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第7幕(Ⅱ) 山の麓にそよぐは・・・その馨香なる・・・。(後)

「陛下。どうぞこの酒を。」


まるで頻繁に杯を交わしているかのような気兼ねのなさで女王であるルルディに向かって杯を薦めてくる彼はまるで親類の年長者のようでもあり、そんな辺境伯とその家族との晩餐は終始和やかな時間そのものだった。


かつて、いや壮年にさしかかる現在いまでさえ辺境の虎と人々に恐れられているこの伯爵は昔から宮廷の堅苦しさを嫌い、余程の用件が無い限りは首都へは姿を現すことはなかった。というか、この家門はそもそも領地から動く気すらないようにみえた。


首都にて中央の権力に固執する貴族達の中には、そんな彼の生きざまを辺境でしか生きられぬ田舎者の一族がと揶揄する輩も確かにいるが、それは自らが己の無知を晒していることにも気付かぬ愚か者であると触れ廻っているようなものだった。



そう、中央で政務に関わる者であるならばこの辺境の地を守護する彼ら一族の重要性を身に染みて知っている故に。そして皇家がかの家門を決して手離さないということは暗黙の真実である故に。


そう、様々な派閥の貴族達の中でも真っ当な家門に属する者であるならば、この国の成り立ちからどの時代においても、決して飾らぬ誠の言葉を捧げ、命を惜しまぬ果敢な行動で国に忠誠と命を捧げて生きてきたこの辺境の一族が代々の皇家からその実直さを愛され絶大な信頼を寄せられていることは周知の事実であったのだ。



辺境の虎は酔いの回った朗らかな物言いで彼女に豪快に酒を勧めてくるが、そんな彼をその隣席の若者が窘める。


「父上。陛下はまだ・・・。」


そう成人の儀を終えていない身ゆえに、まだ飲酒を控えている私に向かって益々顔を綻ばせながら伯爵は言葉を放った。


「おお。では、成人の儀に陛下に御酒いただけるように、この花酒を贈らせていただきましょう。」


伯爵は手に持っていたそのボトルを開けることなく、給仕に下げさせた。




「陛下。ご迷惑でなければ、食後のお茶を外でいかがでしょうか。」


今までにこやかな笑顔を浮かべながらも口を開くことのなかった伯爵夫人が温もりの籠った声で艶やかに微笑んで場を温めるとその場の誰もがほっと胸を撫で下ろしたように空気が緩む。


そして食事が終わった今、ルルディは館の庭園の東屋に案内されていた。


辺境伯の館の庭園は伯爵夫人の趣向に沿ったもののようで、至るところに花咲き乱れ、優しい空気をまとっている。


月夜に照らされた冷気さえ心地良いものだな、とルルディはすうっと息を吸い込む、とその瞬間彼女は五感が身体ごと花の芳香に包まれるのを感じた。


彼女は東屋の椅子に腰かけている自分の身の内に、その爪先から微かに螺旋を描きながら密やかな昇華に向かって蠢く快さが身体の末端を痺れ刺すかのように己の在り方が幼く震えるままでいることを自分に赦してみる。


そうしてルルディの心がほぐれ、幾重にも彼女にわれた責務の鎖がほどけてていくその痛烈な爽快感が女王ルルディに微笑むのを感じるとともに、彼女はだが、とまた自分の奥底に”秘”されたかのように刻みこまれているかのように決して消えないなにかが熾火のような焦燥感となって彼女を叱咤してくるかのような錯覚に囚われそうになる。


その苦悶のジレンマに爪先が浸かろうとして・・・と、その時、こちらの安寧を窺うかのような声色の柔らかい耳障りの音律のような声がふんわりとルルディを包み込む。


「陛下。お茶を。温かいうちにどうぞお召し上がりくださいませ。」


伯爵夫手ずからカップに注いでくれたお茶から立ち上った湯気の温もりとそれが運ぶ芳醇な香りが庭園の澄んだ空気に交じり合う。


「このお茶は・・・。」


「わたくしの秘蔵の茶葉でございます。お気に召していただけたらさいわいでございます。」


「うん。私の好きなお茶だ。皇城でもよく兄上が。

そうか、この地の茶葉だったのか。」


それは執務室でよく兄が準備してくれているお茶だった。


「そうでございますか。宰相殿下が。」


伯爵夫人は呟くようにそう言うと、ルルディを見つめながら、視線を彼女から外さにまま言葉を繋ぐ。


「陛下。この茶葉は、リューリランの花からのみ摘むことができるのですよ。」


「リューリラン?」


「はい。この辺境の領のある場所にのみ咲く花です。」


「ほう。それはどこに?ぜひその花を見てみたいものだ。」


「そうでございますね。陛下が、森へ入られたら、もしかしたら。」


伯爵夫人の語尾が消え入りそうな。


「伯爵夫人?」


「陛下。もし、陛下が。」


伯爵夫人の笑顔が何か切なげな表情に曇ったように感じられたルルディが伯爵夫人の顔をじっと見つめた瞬間、夫人のその顔にまた笑顔が綻ぶ。


「いえ。リューリランは不思議な花なのでございます。

かつて始祖の時代、この地に光が訪れた時にこの地を覆いつくさんばかりに祝福の花が開いた、と文献に記してあるのです。」


「ほう。そんな古い文献があるのか?」


ルルディは本を読むのが、息をするかのように好ましい読書魔だった。


即位してからは、政務に終われゆっくりと本を読むことなど叶わない日々だったが。


「はい。我が家には図書棟がございますので。もし陛下がご興味がおありでしたら、ぜひ明日にでもご案内させていただきます。」


「それは、実に興味深い話だ。

どうせ、神託の降りる”光日”まで時間があるようだし。

ぜひ、行ってみたい。伯爵夫人。」


「かしこまりました。では、明日。

どうか今日はゆっくりと御休みくださいませ。」


ルルディは伯爵夫人が何かを言いかけたその先が気になりはしたが、それ以上の問いを許さぬかのように話を切り替えた伯爵夫人の笑顔を月明りが青白く照らす。


ルルディは今宵の引き際を感じすっくと立ちあがる。


「今宵のもてなしに感謝する。そしておいしいお茶をありがとう。夫人。」


ルルディは伯爵夫人に別れを告げると、部屋へと戻った。






「ルル。いつかお前に。」


誰?私の名を呼ぶ、あなたは。


ルルディは自分が花畑の中に立っているのを見ている。


見ている?

誰が?誰を?どうして?


そう、どこか遠くから見ている自分がその自分に吸い込まれていくかのように感情がリンクする。



「大好きよ。いつも、ずっと。」


笑いながらその男を見上げているのは私。


私の屈託のない笑顔に応えて、私の手をそっと持ち上げるとゆっくりと手の甲に接吻するくちづける。


その男から伝わる温かさが懐かしさを醸し出す。


自分を見つめるその男のその・・・・。


「ルル。いつか、きっとお前を。」


花畑に風が舞う、その吹き荒れる勢いのままその螺旋に巻き込まれる花たち、と共に自分も渦の中へと。



「待って。あなたは、だれ?だれなの?」


はっと目覚めた時、寝台の上で手を伸ばしている自分に気づいた。


身体を起こす。


バルコニー側に引かれたカーテンから朝の光が漏れていた。


この夢。


初めて見た夢だが、だが、前にも同じような夢を見たような錯覚がこみあげる。


「枕が変われば。といったところか。

いや、これから向かう未知の場所への緊張なのかもしれないな。」


ルルディは立ち上がり窓側のカーテンをシャアッと開いた。

眩しいほどの朝の光を浴びながら、そのまま足をバルコニーに踏み出すと、彼女はぞんぶんに朝の光を浴びながら思い切り体を伸ばして、とても、そうとてもリラックスしている自分に気づいたのだった。


「ああ。ここは・・・。

ここは、ほんとうに気持ちの良い場所だ。」



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