8. 申込み
ベッドに倒れ込むようにして目を閉じたのは、ほんの少し前だったはずなのに、レイ・フロストはいつの間にか目が冴えていた。
脳裏をちらつくのは「Aクラス主催のミニ模擬試合」の告知文――下層出身の自分が、いきなりAクラスの土俵に飛び込むなんて現実的ではないかもしれない。だが、参加すれば一気に力を伸ばせるかもという期待もあり、迷いと期待が胸の中で渦巻いている。
(どうする……明日、ガルドやマリアに相談してみよう)
ゆっくりと息を吐いて横向きになり、レイはようやくまぶたを重くしていった。朝練や補講で疲れた身体を言い聞かせるようにして、浅い眠りへ沈む。
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翌朝、Bクラス寮のロビーへ出たレイを包むのは、まだ人影の少ない静かな空気。
すでに朝食の時間が近づいているが、廊下にはまばらな足音しか響かない。ふと軽く伸びをしたところへ、あくびを噛み殺すガルド・ブラストが姿を見せ、後ろからマリア・フィンチも小走りでやってきた。
「お、レイ。今日はちょっと早いじゃねえか」
ガルドが声をかけると、レイは手をひらひら振りつつ返事をする。
「夜中に考え事してたら寝つけなくて……」
「考え事って、クラス対抗戦のこと?」
マリアが静かに問いかける。レイは苦笑まじりに首を横に振った。
「いや、それもあるけど……実は、Aクラスのミニ模擬試合の告知を見てさ。参加してみようかなって考えてるんだ」
ガルドとマリアは同時に「えっ?」と目を丸くする。
Aクラス主催の練習試合といえば、実質エリートたちの腕試しの場。Bクラスの新入生にはハードルが高い。
「おまえ……ホントに行くのか?」
ガルドが思わず声を上げ、レイは肩をすくめながら「まだ決めきれてない。けど、学べることは多そうだし……」と呟く。
マリアは少し息を飲んだような顔をする。
「レイさんの氷魔法を実戦で試す機会かもしれないけど、Aクラスってかなり経験も積んでるし……セリスさんもいるよね?」
彼女の声には心配がにじむ。セリスとのすれ違いが続く中で、そんな場所へ飛び込むのは相応のリスクがある。
「うん、それもあって複雑だけど……ちゃんと向き合う場が欲しい気もしてさ」
レイの言葉に、ガルドが大きな手でレイの肩をぽんと叩いた。
「なるほどな。ま、オレはいいと思うぜ。行ってボコボコにされようが怪我しようが、得るもんはあるだろ?」
「また物騒な……でも、そういう可能性も否定できないけどね」
レイは半分あきれながらも、ガルドの楽天的な発想にやや背中を押される。
「そうだ、まずはクロエ先生やグレン先生に相談してみない? 参加するには手続きが必要かもしれないし」
マリアの提案に、レイは強く頷いた。自分勝手に動くのではなく、教師陣に一言確認を取る方が安心だ。
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三人は食堂で朝食を済ませ、午前の授業が始まる前に職員室を訪ねる。
まだ生徒がまばらな時刻、クロエとグレン教師が書類を整理する姿が見える。ノックして入ると、クロエが軽く微笑んだ。
「おはよう、みんな。どうしたの?」
「先生、ちょっと相談があって……Aクラスのミニ模擬試合が掲示されてるのを見たんですが、出てみようかなと思って。大丈夫でしょうか?」
レイが切り出すと、クロエはわずかに目を見開き、グレンと視線を交わす。
「告知はわたしも見たわ。Aクラスの自主的な練習試合だから、希望者はBクラスやCクラスでも出られるって聞いてる。ただ、最終的な受け入れ判断はAクラス側がするみたいね」
クロエは改めて書類を手にしながら説明する。貴族派が多いAクラスとしては、参加希望者の魔力や安全面をチェックしたうえで受け入れる形らしい。
「教師として止める理由はないわよ。事故やトラブルが起きたらAクラス側にも責任が及ぶし、あなたの氷魔法なら危険だけど、いい実戦経験になるでしょう。グレン、どう?」
横のグレンが腕を組み、むっとした表情でしばし考え込む。
「レイが本気でやりたいなら止めやしない。強い相手にぶつかったほうが実戦感覚も掴みやすい。暴走リスクはあるが、ここで一皮むける可能性もある。ただ、上層寄りの連中から変な圧力が来ないよう気をつけろよ」
その助言に、レイは笑みを浮かべた。危険もあるが、得られるものも大きい――教師陣の見解はそんなところだ。
「ありがとうございます。とりあえずAクラスの主催メンバーに掛け合ってみます。ダメなら仕方ないし、OKなら挑戦してみます」
「ええ。ただ、氷魔法の制御がまだ不安定なんだから、焦ってケガしないようにね」
クロエがやんわり念を押し、レイは深く頭を下げた。
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午前の授業は座学中心で、封印術の基礎や魔力理論を再確認する内容。
ガルドは退屈そうに腕を回し、マリアは熱心にノートを取っているが、レイの思考はAクラスのミニ模擬試合に向かっていた。セリスも当然あそこにいるはずだ、という考えが頭を離れない。
(もし向こうが迷惑だと思ったらどうしよう。でも動かなきゃ何も始まらないよな)
昼休みにガルドとマリアへ「先生たちからOKが出た」と伝えると、ガルドが「あっさり通ったじゃねえか! おまえなら面白いことになりそうだ」と笑い、マリアは「ケガと練習不足には気をつけてね。先に準備もしないと……」と優しく釘を刺す。
「うん、ありがとう。まずは主催メンバーに参加希望を伝えてみる。日時や場所を確認したいし、書類とかあるかもしれない」
そう言ってレイは、食事を急いで片付けるとAクラス棟の掲示板へ向かった。
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Aクラス棟は、BクラスやCクラスの建物より装飾が華やかで、学生たちの出入りにも洗練された空気が漂っている。
廊下の一角に貼られた告知には、“ミニ模擬試合 受付:リオン・グレイ、セリス・アーク 他”と名前が記されていた。
(やっぱりセリスも関わってるのか……)
レイは息をのむ。彼女と直接会話せずに済む方法はあるだろうか、と一瞬考えかけるが、そこへちょうど金髪の少年が書類を抱えて通りかかった。どこか理知的な雰囲気の彼に思い切って声をかける。
「すみません、ミニ模擬試合に参加したいんですけど……」
少年はレイを見て一瞬キョトンとしたあと、「ああ、Bクラスか。参加希望か?」と尋ねる。
「はい。もし可能なら混ぜてもらえればと思って……」
「ふうん……オレはリオン・グレイ。今回の練習試合をまとめてるひとりだ。仮申込書があるから、必要事項を書いて後で持ってきなよ」
リオンと名乗る金髪の少年は、涼しげな笑みを浮かべつつ手際よく用紙を取り出し、レイに渡す。名前や所属クラス、得意属性などを記入する欄と、「Aクラス有志が審査のうえ参加を承認」との文言がある。
「審査って……具体的に何をするんでしょう?」
「単純だよ、実力をざっくり見せてもらうだけ。危険なヤツを入れるわけにはいかないからね」
リオンの淡々とした口ぶりに、レイは内心ドキリとする。氷魔法が危険視される恐れはあるが、挑むしかない。
「わかりました。書き終わったらまた持ってきます。……それと、セリス・アークにも用があるんだけど、彼女はいますか?」
レイが思い切って名前を出すと、リオンがわずかに片眉を上げる。
「セリス? 彼女は実行委員だけど、今はいないよ。別のメンバーと打ち合わせ中で、戻るのは後かもしれないな。下層の幼馴染だって? 面白いね」
リオンはなんとも言えない笑みを残して去っていく。レイは複雑な気持ちのまま申込書を握り締め、ひとまずBクラスに戻るべきだと歩き出した。
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午後の授業を終えてBクラス寮に戻ると、ガルドとマリアが待ち構えていて、「リオンってヤツどうだった?」と興味津々。
「審査があるみたい。書類はすぐ出すけど、実際にOKかどうかは数日後だってさ。セリスとは会えなかった」
「ま、意外とあっさり通るかもよ? あのセリスさんがどう出るか、気になるな……」
ガルドがニヤニヤし、マリアはやや心配げ。レイは急いで申込書を記入し、再度Aクラスへ。途中で教師に声をかけられても「ミニ模擬試合の書類を出しに行くんです」と答えるだけで特に止められなかった。
リオンに用紙を渡すと、彼はさっと目を通してから「フロスト……氷属性か。面白いかも。今度実力を見せてもらうね。事故が多いと困るから誓約書も書いてもらうけど、それでOKなら仮承認とするよ」と言う。底には油断できない空気を感じるが、レイはめげずにうなずき返す。
「そうだ、セリスは……」
思わず訊ねるが、リオンは肩をすくめて「もういないよ。別の仕事してる。会いたきゃ時間ずらせばいいさ」と笑うだけ。レイはやるせない気分のまま礼を言い、寮への帰路に就いた。
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夜。Bクラス寮の食堂で簡単に夕食を済ませたあと、レイはガルドとマリアに経過を報告。
「承認されるかどうかは数日後だって。リオンってヤツがまとめてるらしいけど……通らなきゃ仕方ないし、通ったら全力で頑張るよ」
「リオン・グレイか……貴族の名門らしいし、Aクラスでも相当優秀だって聞く。おまえ、ワクワクするだろ?」
ガルドがウキウキと身を乗り出し、マリアは「怪我しないようにね……。それにセリスさんと顔を合わせるかもしれないし、いろいろ気をつけて」と念を押す。
「ああ、そこはわかってる。絶対に無茶はしないつもりだけど、やれるだけやってみるよ」
そんな話の最中、ロビーから教師の声が響き、「クラス対抗戦のチーム編成について話がある」と生徒たちが集まり始める。Bクラスも本戦に向けた動きを本格化させようとしているのだ。
レイはガルドとマリアと互いに顔を見合わせ、軽い会釈を交わす。今後ますます忙しくなるだろう。Aクラスの模擬試合を待ちながら、Bクラスのチーム戦にも絡まなくてはならない。
(セリスとは、あの場で会うことになるのかな……)
彼女の姿を思い浮かべても、まだ先の読めない状況に戸惑いはある。でも、行動しなければ何も変わらない。レイは立ち上がり、夜の寮ロビーで始まった話し合いに加わるべく歩き出した。周囲には日々の喧騒やクラスメイトの熱気が満ちはじめており、忙しくもやり甲斐のある時間が続きそうだ。