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SS. レイとセリス

 夜の空気は、身体の芯にまで染みこむように冷たい。


 ここは階層都市アルセラの最下層――ロウレイヤー。


 上層の人間にとっては想像もつかないかもしれないが、この辺りの夜はいつも湿り気と埃と人いきれが入り混じった、独特のにおいをはらんでいる。


 俺はレイ・フロスト。まだ十代半ばのガキで、魔法を扱うにも素人同然だけど、胸の奥には“絶対零度”なんて異名を持つかもしれない氷の力が眠っているらしい。


 ただ、その力をどう使えばいいのか全然わからない。


 師匠と名乗っていたルーファスは「上層を目指せ」と言い残してどこかへ消えてしまった。


 手のひらをぎゅっと握れば、かすかな冷気が集まってくる感覚だけはあるが、暴走を恐れて深く踏み込めずにいる。


 そんな下層にも、今夜は夜市が開かれていて、普段より明るい。


 そこで、同い年のセリス・アークが炎の魔法を試すつもりだと聞いた。


 彼女は火の扱いがまだ不安定で、よく小さな火事騒ぎを起こしかけるから、正直ヒヤヒヤする。


「セリス、どこ行ったんだ…」


 人混みを縫いながら、ついぼやいてしまう。


 見覚えのある屋台のおじさんに尋ねると、赤茶色の髪をした少女なら裏路地へ向かったと言われた。


 やれやれ、あんな狭い裏路地で火を使うなんて、ろくでもない予感しかしない。


 裏路地に入ると、一気に人通りが減った。


 怪しげな商売をする店が並び、足元にはゴミや紙くずが散らばっている。


 女の子が来るには危険な場所だと毎回言っているのに、セリスは構わず突っ込む。


「ここなら炎を試しても目立たない」なんて開き直られたら、もうため息しか出ない。


 そんなことを思っていると、通りの先で淡く灯る赤い光が見えた。


 やっぱり彼女が火を使っているのだろうと思い、俺は急ぎ足になる。


 道端の老婆が声をかけてきたが、生返事でかわしてさらに進む。すると、暗がりの中で揺れる炎の輪郭がはっきりと目に入った。


「セリス!」


 路地の一角で、浮かせた火の球を操っているのは他でもないセリス・アーク。


 片手を腰に当て、もう片方の手で火の塊を出したり消したりしている。


 赤い軌跡が宙を舞うたび、じゅうっと布が焼けそうな嫌な音が響きそうで、見ていて肝が冷える。


「遅かったわね、レイ」


 苛立ちまじりの声が耳に刺さる。俺は苦い顔で問いかけた。


「こんなとこで火を使うなんて……下手をすれば屋台まで燃えるぞ」


「大丈夫よ、もう慣れてきたから暴走なんかしないって」


 セリスはそっぽを向いて口をとがらせる。


 実際、前よりは扱いがうまくなっているのかもしれない。


 でも、その分リスクだって大きくなる。


 俺が説得を試みようとした矢先、セリスが手元の火球をさらに大きくし始めた。


「……あれ?」


 彼女の声に焦りが混じる。


 火球の形が崩れ、いびつに膨れ上がっていくのが目に見える。


 セリスはあわてて火を消そうとするが、火球はふわふわと浮かびながら屋台のボロ布へ向かってしまう。


「まずい!」


 俺が叫ぶ瞬間、ぼっと布が燃え上がった。


 セリスも身を引きながら「嘘でしょ…!」と声を上げ、火に近づけない様子。


 こんなところで火事を起こしたら大騒ぎになる。


「くそっ、仕方ねえ!」


 俺はすぐさま両手を突き出し、胸の奥に眠る氷の力を呼び起こそうとする。


 暴走しないよう、小さく刻んで冷気を放つイメージ……しかし、最初はうまく氷塊ができず、かすかな白い気体が舞うだけ。


 セリスが「急いで!」と悲鳴を上げ、俺は必死で二度目、三度目のトライ。


 ばりばりと嫌な音がして、屋台の布一帯を不完全な氷が覆う。


 ジュッという蒸気が立ち、どうにか火が鎮まってきた。


 俺は肩で息をしながら立ち尽くし、セリスは尻餅をついたまま安堵の表情を浮かべる。


「おまえら、またかよ……!」


 そこへ屋台の主人が駆け寄り、焦げた布を見て憤慨している。


 セリスは平謝りで頭を下げ、「弁償します……」と落ち込み、俺も「すみません、ほんとにすみません」と繰り返す。


 店主は半分呆れながら「けが人がいないだけマシだな」と吐き捨てて立ち去った。


 下層では子供が魔法に手を出してトラブルを起こすのは、珍しくないのかもしれない。


 周囲の野次馬も「またガキがやらかしたか」と冷ややかな視線を投げ、すぐに人混みに戻っていく。


 俺たちはほんの短い間に囲まれ、また散らされる。


 セリスが肩を震わせて漏らした声は、ほとんど涙交じりだった。


「ごめん……レイ。あたし……また失敗した」


「まあ、これぐらいで済んでよかったよ。大火事になったら終わりだったしな」


 俺も息が上がっている。背中にじわりと汗が噴き出すのを感じながら、セリスを手招きして路地の外へ向かわせる。


 彼女は俯き気味に頷き、よろけそうになった身体を支えつつ夜市のメイン通りへ戻った。


 一度は賑わいの中心へ出たものの、さすがに気力もなくなった二人は「今日は帰ろう」と決める。


 途中、怪しげな屋台が紫色のスープを差し出してきたが、さすがに俺たちは丁重に断った。


 やがて、人通りが少なくなる区画へ抜け出す。そこは階段状の空き地で、ガラクタが積まれた場所。


 俺とセリスがよく待ち合わせに使うスペースだ。


 セリスがへたりこむように腰を下ろし、俺も隣に座る。


 頭上には、下層特有のかすんだ夜空。スモッグなのかネオンなのか、星は小さくしか見えない。


 しばらく息を整えたあと、セリスがぽつりと尋ねる。


「ねえ……あたしたち、このままで終わるのかな。こんな暴走みたいな炎と氷しか使えないまま、下層で暮らしていくの?」


「……嫌なら、上を目指すしかない。学園に入ればもうちょいまともに魔法を学べるって、ルーファスが言ってたろ。奨学生枠しかないけど、チャンスはゼロじゃない」


「うん、あたしも上層に出たい。こんな場所じゃ、火を操っても迷惑だって言われるだけだし……いつか絶対見返してやりたい」


 彼女の瞳は小さな炎を宿すように輝いている。


 俺も「絶対零度なんてヘンテコな異名を、本物の力に変えたいしな」と苦笑する。


 そしたら、こんな下層で“危ない奴”扱いされずに済むはずだ。


 そう決めると、セリスはふっと笑顔を見せた。


「いつか上へ行って、あたしは火炎魔法でもっとすごいことをしてみたい。派手な演出とかして、貴族たちを驚かせてみたいし……」


「それ、いいじゃん。俺だって氷で負けてらんないしな。……いつか学園へ行けたら、同じチームで炎と氷を組み合わせるのも面白そうだ」


 思わず苦笑いし合う。むちゃな話かもしれないが、そうやって夢を語り合うことで、この鬱屈した下層の夜を耐えられる気がする。実際、俺たちは子供なりに必死に生きていて、今日みたいな小さな失敗もいつか大きな一歩になると信じるしかない。


「じゃあ、行こう。絶対にここから抜け出すんだ」


 俺がそう宣言すると、セリスも力強く頷く。


 彼女の火と俺の氷が真逆だろうと、助け合えるなら本当に最強になれるかもしれない。


 ガラクタの空き地を立ち上がり、夜市の終わりかけを横目にしながら下層の街を歩く。


「ありがとう、レイ。あたし、火炎を暴走させるたびにあんたに助けられてる。今度こそ、こんな事故起こさないようにがんばるから」


「別に何度でも消すさ。……俺が氷を失敗したら、あんたの炎でカバー頼むかもな」


「ふふ、いいわよ。お互い様でしょ」


 そう言って微笑むセリスの横顔を見て、俺も自然と笑ってしまう。


 下層の夜はまだ続くが、二人でいる限り、今日のような危機だって乗り越えられるんじゃないか……そんな気にさせてくれる。


 もうすぐ街灯が減って、道が暗くなる。


 でも俺たちには火炎と氷という光と影のような力がある。


 それを正しく使えれば、いつか学園へ行けるかもしれない。


 こんな夜の小さな騒動が、大きな約束の始まりになろうとしている。


 あのときはまだ気づかなかったけれど、セリスとの誓いが俺の胸に強く刻まれて、炎と氷が交わる未来を信じた。それが下層での日常を変える、確かな一歩だったのだと思う。


 そして、どんなすれ違いが待っていようとも、その夜に抱いた夢だけは消えることはないと、今でも俺は信じている。

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