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5. 小さな成功

扉を閉めようとしたレイ・フロストの手は、一瞬戸惑うように止まった。


昨夜、廊下で交わしたクロエ教師とのやり取り――「明日放課後の個別指導」が頭を離れない。楽しみなような、不安なような入り混じった感情に、軽く胸がざわついていた。


「……やっぱり、早く休もう」


誰にも聞こえないほど小さく呟き、自室のドアを静かに閉める。


薄暗い照明の下では、獣人のルームメイトであるガルド・ブラストがすでに横になっているらしく、仕切りカーテンの向こうからかすかな寝息が聞こえた。レイはそっと靴を脱ぎ、ベッドに身体を沈めて天井を見つめる。


(本当に、制御できるようになるんだろうか)


脳裏に浮かぶのは、師匠ルーファスの名と、自分の氷魔法が暴走しかけた記憶。学園の教師が「ルーファス」という名を知っていること自体が意外であり、それがわずかな期待にも繋がる。


一方で、危険視される力――“絶対零度”を抱えたままで学園生活を満足に送れるのかという不安が大きくのしかかってくる。もし暴走して周囲に被害を出せば、奨学生どころか追放されるかもしれない。


それでも、進むしかない。引き返せば、下層に戻るしかないのだ。


レイは浅く呼吸を繰り返しながら瞼を閉じ、そうして意識はゆっくりと眠りへ落ちていった。


---


翌朝。


普段より少し早く目が覚めたレイは、寮の食堂で軽く朝食を済ませると、ガルド、マリア・フィンチの二人と合流して教室へ向かった。今日は午前中の座学が詰まっており、昼を挟んで実技演習の時間があると聞かされている。


「まったく、座学ばっかだと身体がなまっちまうよなあ」


ガルドが大きく伸びをしながら、廊下をずんずんと進む。廊下の窓からは柔らかな朝日が差し込み、学園内を歩く生徒たちの声が遠くから重なり合って聞こえた。


マリアは苦笑しつつノートを抱え、


「でも、基礎理論がわからないと魔法って使いこなしにくいし……私、回復系に進むなら、むしろ座学が大事になりそう。ガルドくんは得意じゃない?」


「ん? 理論なんてちまちま覚えるより、体を動かすほうがオレは性に合ってるぜ」


ふたりが軽口を叩く横で、レイはどこか上の空だった。今夜の個別指導――氷魔法をどんなふうに扱えばいいのか、考えがまとまらないまま、鼓動が落ち着かない。


---


午前中の授業は、魔力理論や学術史といった座学中心。


講義を担当する教師たちは、王国同盟の成り立ちや各地に点在する封印石の仕組みなどを解説していく。レイにとっては下層で噂に聞いていた程度の知識が体系的に整理される感覚が新鮮だったが、同時に頭がいっぱいにもなる。


(封印術は大陸を守るために欠かせないのか。けど、俺の“絶対零度”がどう関わる?)


ノートに要点を書き留めつつ、何度も疑問が浮かぶ。斜め後ろの席ではガルドが小さくあくびを噛み殺し、マリアが熱心にペンを走らせている。教室の窓からは日の光がまぶしく入り込み、どこか穏やかな雰囲気と緊張感とが入り混じっていた。


昼休み前、クロエ教師がさりげなく言い添える。


「そうそう、今日は放課後に実技演習場が使える時間を取りました。希望者は申請してね。……レイ、あなたは大丈夫でしょう?」


穏やかな声に、レイは当然のように挙手した。ガルドが「オレも行こうかな」と言いかけたが、クロエの視線を見てか「……ああ、個別指導か」と納得した様子で引っ込む。


---


昼休み。


食堂で軽く昼食を済ませたあと、ガルドは「運動しないと体がうずく!」と言って外へ飛び出していく。マリアは「図書棟で回復魔法の資料を見てくるね」と微笑み、残されたレイはひとり教室の窓から外を見下ろした。


(個別指導まであと少し。先に実技演習場に様子を見に行ってもいいかな)


そう思い立ち、レイは人通りの少ない渡り廊下を歩いて演習場のほうへ向かう。遠くからは金属が衝突するような鋭い音や、魔法が爆発する衝撃音が絶え間なく鳴り、校内のどこかで激しい練習が行われているのだとわかる。


建物の角を抜け、開けた中庭の一部が見渡せる場所へ出たとき、その正体がはっきり見えた。バリアを展開した学生たちが、怒涛の勢いで魔法を撃ち込み合っている――しかも一人ひとりの動きが速く、連携が見事だ。


「……セリス、だよな?」


よく見ると、赤茶色の髪を翻し、火炎魔法を練り上げている少女がいる。セリス・アーク――かつて下層で苦労を共にした幼馴染だ。だが今の彼女は、Aクラスの精鋭たちに囲まれてまったく引けを取らないどころか、むしろ主導的な役割を担っているように見える。


「そっち側! 合わせるわよ!」


セリスの高めの声が響いた瞬間、左右の貴族学生たちが息を合わせて光魔法のバリア強度を一段上げる。すかさずセリスが燃え上がる火炎弾を繰り出し、目の前の練習用ゴーレムに連続攻撃を仕掛ける。


その火炎と光の相乗効果は凄まじく、ゴーレムの魔力コアを一瞬で高温で焼き付くすかのように揺さぶる。少し距離を取った別のAクラス生が援護射撃の風魔法を送り込み、さらに衝撃力を増幅させた。


ゴーレムが軋むような音を立て、周囲に閃光と破片が散る。派手な爆裂音が響きわたり、見物している他の学生から「うわあ……」「すごい威力だ……」と感嘆の声が上がるほどだ。


セリスはそんな喝采にも気を緩めることなく、追撃を行おうと構えを変え、仲間たちに次のタイミングを指示している。炎と光と風、そして合体魔法の連携が白熱し、バリアの強度と攻撃の迫力が瞬く間に増していく。


(これが……Aクラスの実力、なのか)


レイは校舎の角から息を呑む。何気ない練習光景にしては、あまりにもレベルが高い。チームプレーだけでなく個々の魔力も相当に強いのがわかるし、セリスを含むメンバーは既に学園トップ層にふさわしい動きすら見せている。


そんな中、セリスがふとレイに気づき、ほんの一瞬だけ視線を交わす。しかし、やはりすぐに表情を逸らして、バリアの仲間へ合図を送る。


(あれが……セリス。昔は一緒に小さな魔法ごっこをしてたのに)


火炎と風、さらに合体魔法の衝撃が轟音を響かせ、バリアが砕け散ったゴーレムの破片を完全に粉砕していく。その上級生顔負けの連続攻撃は、遠目から見ても圧巻の破壊力だとわかった。


レイは思わず胸を締めつけられるような感覚に陥る。Aクラスの世界はこんなにも華やかで、セリスがそこに自然に溶け込んでいる――自分はまだ暴走を恐れて基礎を練習する段階なのだと思うと、まるで別次元にいるような疎外感を味わう。


周囲のAクラス生が賛辞を送るなか、セリスは涼しげに髪をかきあげ、そのまま練習を続行している。バリアを解除し合い、次の標的に向かう動きも洗練されており、チーム全体が一枚上手という雰囲気だ。


(……俺も、もっと強くならないと)


レイは校舎の角からその光景をしばし見つめたのち、小さく唇を噛み、演習場へ足を運ぶことにした。今のセリスに声をかける勇気も湧かず、かといってここで足踏みしているわけにもいかない。今夜の個別指導にすべてを賭けるような気持ちで、彼は階段を降りていった。


---


放課後。


いよいよ個別指導の時間がやってきた。クロエ教師とグレン教師の案内で演習棟へ入り、朝の光とは違う夕方の柔らかな陽射しが差し込む広いフロアを見渡す。


壁には防音や防護の魔力素材が使われていて、いくら暴れても外には影響が出にくいそうだ。ここであれば、レイも思いきって氷魔法を試せる。


「じゃあ、まずは氷魔法を発動させる前に、魔力を小出しにする感覚を掴んでみようか」


クロエ教師が笑顔で指示を出し、隣のグレン教師は腕を組んだまま、頷いているだけで口数は少ない。だが、その眼差しには期待もこもっていそうだ。


レイは深呼吸をして手のひらを前にかざす。これまでの練習では、一気に氷弾や氷塊を作ろうとして制御しきれなかった。今日は“小さな魔力操作”を繰り返す意識を忘れないようにする。


(焦らず、少しずつ……)


まずは指先に、ごく弱い冷気を集めるイメージ。今すぐ攻撃を作るのではなく、魔力を段階的に送り、手のひらで受け止める感覚を育てる。


薄青い冷気が手元にまとわりつきはじめると、胸の奥にかすかな違和感が生じる――暴走のトラウマが呼び覚まされそうになるが、ここで踏ん張らなければ何も変わらない。


「いいわ、レイ。そのまま呼吸を整えて、魔力を無理に溜め込みすぎないで」


クロエ教師の声が聞こえ、レイはさらに冷気を細かく分割して制御しようと努める。


(いける……前よりは、感覚がわかる)


体が覚えかけた恐怖を意識で押さえ込むようにし、少しずつ氷の要素を手のひらに集約していく。白くかすかな結晶が舞うように生成され、やがて水滴のように溶けたりまた固まったりを繰り返す――大きく膨らませるより、こまめに魔力を入れる作業だ。


「おお……ちゃんと暴走してないじゃないか」


珍しくグレン教師が感嘆の声を漏らし、クロエ教師も「すごいわ!」と微笑む。レイはほっと息をつきながら、まだ体がこわばっている感覚を自覚した。


「でも、完璧に安定しているわけじゃないわね。もし周囲で騒ぎが起きたり、あなたが焦ったりすれば、まだ一気に氷魔力が噴き出す恐れがある。今日の感覚を自分の中に落とし込んで、地道に練習を続けましょう」


「はい、わかりました。ありがとうございます」


レイは軽く礼をし、ノートに必要事項をメモする。今の手ごたえを忘れないように――氷を“大きく使う”より“段階的に扱う”練習を積み重ねることが大事だと、ようやく肌で感じ取れた。


---


個別指導が終わる頃には、空が夕焼けに染まり始めていた。


外へ出ると、ガルドとマリアが入り口付近に立っていて、「どうだった?」と顔を覗かせる。レイは若干の疲労感を抱えながらも、笑みを返した。


「うん、ちょっとだけ上手くいったよ。手応えがあるというか……」


「おお、そりゃよかった。クラス対抗戦のときも、暴走を恐れず実力を出せるかもな!」


ガルドが豪快に笑い、マリアは「よかった……」と小さく安堵の息を漏らす。二人の温かい反応に、レイの心は少し軽くなった。


(セリスも、ああしてAクラスであんなに力を発揮しているんだ。俺ももっと上を目指そう)


そう思うと、小さな自信と同時に焦りが湧いてくるが、今日は確かな一歩を踏み出せた。遠い存在に見える幼馴染と、胸を張って並び立つために、この先も制御の練習を積まなければならない。


「よし、それじゃ腹が減ったし寮に戻るか!」


ガルドがそう言って手を振り上げる。マリアはそれに小さく笑い、レイは「俺も腹減ったな」と返す。夕闇が忍び寄り始めた学園の通路を三人で歩きながら、数時間前に見たセリスの華々しいバトルシーンが、レイの心に深く刻まれていた。


(絶対零度……きっと、制御さえできれば、俺もセリスに追いつける)


廊下を進む足取りには、わずかに自信の重みが加わっている。レイは静かに拳を握り、氷の魔力が暴走しないよう、自分が一歩ずつ成長していく未来を思い描いたのだった。

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