4. Bクラス
教室の扉の前で足を止めたレイ・フロストは、小さく息を飲み込んだ。ここは、Bクラス専用の教室。これまで説明会や簡易テストなど慌ただしい日々が続き、「自分のクラス」として意識するのは初めてかもしれない。
扉の向こうからは、十数人ほどの談笑する声が聞こえる。ガルド・ブラストの豪快な笑い声が混ざっているあたり、彼が先に来て盛り上がっているのだろう。
レイは心の中で「よし」と小さくつぶやき、ノブを回して教室へ足を踏み入れる。
室内には長机が整然と並び、壁際には魔導書や封印術関連の資料らしき本が数冊置かれた棚が見えた。床は木目が残るフローリングで、窓際には陽の光がやわらかく差し込んでいる。まさに“授業”が行われるための空間という雰囲気だ。
学生らしき十数名がすでに席に着いており、獣人やエルフ、もちろん人間も含め、種族も様々。みな一様に期待と不安をないまぜにして、談笑しながら緊張の糸をほぐしているようだ。
「よっ、レイ! 早かったんだな」
教室の後方から、ガルドの声が響く。隣にはマリア・フィンチが控えめに手を振り、「おはよう」と柔らかく微笑んでいた。
レイも「おはよう」と返しながら、二人の近くへ歩み寄る。
「もう席、決めちゃったんだね」
「だって誰も指定しねえし、座りたいとこ座るのが普通だろ?」
ガルドが肩をすくめて笑い、マリアが「今は自由席って言われたから」と補足する。どうやら新入生が本格的に科目登録や座席割りをするのは、まだ先らしい。
レイが隣の席に腰を下ろそうとしたそのとき、教室の前方扉が開いた。
「皆さん、おはようございます。そろそろ席についてくださいね」
柔らかな声――担任教師のクロエだった。茶髪をボブにまとめ、眼鏡越しにクラスを見渡している。その隣には、短髪の男性教師グレンの姿もある。
おしゃべりをしていた生徒たちは口をつぐみ、ガルドも「お、始まんのか」と身を乗り出す。マリアはさっとノートを取り出して、いつでもメモできるように準備万端だ。レイも姿勢を正し、胸の奥に浮かぶ緊張を意識して引き締める。
「今日はいよいよ、Bクラスのオリエンテーションを行います。学園のカリキュラムや封印術の基礎、そして今後予定されているクラス対抗戦など、大切なお話が多いので、しっかり聞いてくださいね」
クロエ教師の言葉に促され、教室内が静まる。先日の実技テストで自分の氷魔法が注目されたこともあり、レイの意識はさらに集中していた。
「まず、皆さんには必修科目として『魔力理論』『封印術基礎』『学術史』などを受講していただきます。国際的な協力の要にもなる“封印術”は、アルセラ学園の根幹と言っても過言ではありませんからね」
封印術――大陸の危機を救うため七王国同盟が結成された背景には、魔神を封じる必要があったことが深く関係している。下層暮らしのレイも、その程度の知識はある。だが、実際どんな手順で封印が維持されるかなどは、まだよくわかっていない。
興味が湧く反面、自分の氷属性が封印術にどう絡めるか想像できず、微かな不安も抱く。
「選択科目には、召喚術や魔道具工学、属性別の実技特化コースなどがあります。ただし、まだ焦らなくて大丈夫。基礎を固めてから、じっくり興味を持った分野を選んでくださいね」
クロエ教師の穏やかなトーンに、周囲の生徒たちが「召喚術か…難しそう」「魔道具って面白そう」などと小声で盛り上がる。レイはふと(氷属性の自分は、どの道を進むべきなのだろう)と考え込んでしまう。
そこで、グレン教師が前に進み出た。やや無骨な雰囲気だが、真面目で的確な指導が得意そうな印象がある。
「続けて、封印術基礎に関して少し詳しく話します。大規模な結界や封印陣を築くための呪文体系であり、アルセラ学園の使命でもある“魔神封じ”には不可欠な技術です。全学年を通じて学んでいくうちに、皆さんの適正もわかってくるでしょう」
グレン教師の視線が一瞬レイに向いた気がして、レイは背筋を伸ばす。
師匠ルーファスの面影が浮かぶ――封印術に関わる研究を行っていた、という話を断片的にしか知らないが、その片鱗をいつか掴む日が来るかもしれない。
「将来的に上級封印術に進むには、十分な魔力量と安定した制御が必要になります。……レイ・フロスト、いるか?」
不意に名指しされ、レイは心臓がドキリと高鳴る。
「は、はい」
「先日のテストで、氷属性の高い魔力を示したな。ただ制御にはやや不安がある様子だった。もし上級封印術を目指すなら、今のうちから練習を重ねることだ。焦らず、基礎を疎かにしないようにな」
淡々とした口調ながら、敵意や蔑視のようなものは感じない。逆に「伸びしろがある」と認めているようでもある。その言葉に、レイは内心ほっとしながらもうなずくしかなかった。
「クラス対抗戦の話もしておきましょう。今年も大きな行事の一つとして、模擬戦や魔力競技が行われます。ここで活躍すれば、クラス昇格のチャンスがあるかもしれません」
クロエ教師が付け加えると、教室内がどっと盛り上がる。特にガルドは「おお、燃えてきた!」と嬉しそうに拳を握り、マリアは「私には荷が重いかも……」と弱気な声を出す。
レイはそんな二人に苦笑しながら、同時にセリスのことを思い浮かべた。Aクラス推薦組だという彼女とも、いずれ戦う機会があるのかもしれない。胸が少し騒ぐ。
「では、ひとまず説明は以上です。何か質問がある方は?」
クロエ教師が促すと、いくつかの手が挙がる。授業の細かな日程や寮の設備など、事務的な質問が多いようだ。グレン教師が淡々と答え、クロエ教師が補足する形で質疑応答が進んでいく。
そうして短い質問タイムが終わった頃、クロエ教師の視線がレイに向けられた。
「レイ、昨日の氷魔法について少し話したいことがあるわ。終わったら教室に残ってもらえますか?」
一瞬、周囲が「やっぱり制御について?」と噂する声を立てるが、レイは苦笑しながら「わかりました」とうなずいた。
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他の生徒が教室を出て行き、広く感じる空間にレイ、クロエ教師、グレン教師だけが残る。ガルドとマリアは「先に寮へ戻るね」と気を使い、申し訳なさそうにしながら去っていった。
「では改めて。レイの氷魔法――“絶対零度”とも呼べるほど強力な力を秘めているようだけど、その分暴走のリスクも高いと判断しています」
クロエ教師が口を開く。やわらかな声だが、その目には真剣さが宿っていた。
「炎や闇も制御を誤れば危険だけれど、氷魔法も一瞬で周囲を凍結させる可能性がある。広範囲に及ぶだけに、自分も仲間も巻き込んでしまうリスクが高いわ」
レイは下層で練習中に暴走しかけた記憶を呼び起こし、思わず息を詰まらせる。すると、横にいたグレン教師が重々しい口調で続ける。
「いきなり大出力で魔法を放たず、複数の“小出し”で段階的に展開するイメージを持つといい。これは封印術にも通じる考え方で、魔力を分割して都度フィードバックを得るんだ。そうすれば暴走の芽を事前に摘みやすい」
「……わかりました。ちょっと難しそうですけど、やってみます」
レイはノートを取り出し、急ぎメモを走らせる。氷を一度に固めるのではなく、小さな単位で生成→制御→生成を繰り返すイメージ。やってみる価値はある。
「学園には専用の演習場や補助教師が常駐しているから、放課後などを活用して練習を重ねて。失敗しても、ここなら大きな被害を出さずに済むはずよ」
クロエ教師が優しく微笑み、レイも「はい、ありがとうございます」と頭を下げる。すると、彼女が小さく思い出したように言った。
「そうそう、ルーファス……あなたの師匠の研究資料に、氷属性の応用例が一部書かれていたらしいの。まだ詳しい情報はわからないけれど、図書棟には何らかの記録が残っているかもしれない。興味があれば、ゆくゆく調べてみるといいわ」
「ルーファスの、研究資料……」
その名を聞いた瞬間、レイの胸がざわめく。師匠が学園とどう関わっていたのか、詳細は知らないままだが、こうして痕跡が残っているのは大きな手がかりだ。
グレン教師も無言でうなずくようにして、レイの背中をポンと叩く。まるで「頑張れよ」と言いたげだ。
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教室を出て、ガルドとマリアと合流したのは午後の小休止の時間帯。中庭へ向かう道すがら、レイは今聞いたアドバイスを頭の中で反芻していた。
噴水の水音が心地よく、中庭に並ぶベンチには風が通り抜けていく。ガルドが「お、すげえ立派だな」と周囲を見渡し、マリアは「落ち着く場所だね」と笑顔を向ける。
「レイ、先生たちと何話してたの?」
マリアが控えめに聞くと、ガルドも「補習かなんかか?」と興味を示す。
レイは「うん、氷魔法の制御についてアドバイスをもらったんだ」と説明し、二人は「おお、よかったじゃん」「少しでも安心できればいいね」とそれぞれ声をかけてくれる。
その優しさに、レイは自然と肩の力が抜けるのを感じた。
しばらくして、話はクラス対抗戦のことに及ぶ。ガルドが「オレはもうやる気満々だ」と笑い、マリアは「ほんとに自信ないよ……」と苦笑を浮かべる。
やがてマリアがぽつりと呟く。
「でも、上を目指せるのはいいことだよね。セリスさんもAクラスなんでしょ? すごいなぁ……」
その言葉に、レイは返事に詰まる。隣でガルドが「下層出身なんだろ? 相当なコネか実力があったんじゃねえか」と言うが、レイは「そうだね……」と曖昧に答える。セリスとの距離を改めて感じて、胸が少し痛んだ。
ちょうどそのとき、Aクラスの学生らしき一団が敷地内を横切っていく。騒がしさと華やかな雰囲気を纏った彼らの中に、セリスの姿があった。笑顔で仲間と会話を交わし、こちらを見ても特に近づいてくる様子はない。
気まずい沈黙が3人の間に広がり、ガルドが立ち上がって「……戻るか」と先導するように歩き出す。マリアも「うん」と短く答え、レイもまた無言でベンチを離れた。
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夕方になり、Bクラス寮へ戻る廊下には学生たちが行き交い、「今日のレポート、もう書いた?」という声が飛び交っている。レイが部屋へ向かおうと扉の前に立つと、ちょうどクロエ教師と鉢合わせした。
「レイ、ちょうどよかったわ。明日の放課後、時間を作れないかしら?」
「放課後、ですか?」
「あなたの氷魔法の制御を手伝うため、グレン教師と一緒に補習をしようと考えているの。実技演習場を使える枠がありそうだから、ぜひ活用してちょうだい」
拒否する理由などない。レイは「ありがとうございます」と頭を下げる。クロエ教師はそのまま廊下の窓から夕空を見やり、ふっと小さく息をついた。
「クラス対抗戦だけど、日程が繰り上がる可能性があるって話を耳にしたの。上層貴族の意向や視察に合わせて急に決まることも珍しくないから、皆さん準備だけは怠らないでね」
「わかりました……」
試験のスケジュールが前倒しになる――レイは少し焦りを覚えるが、教師のサポートがあるなら、なんとか間に合うかもしれない。
「焦らずに、でも何かあれば相談して」と言い残して、クロエ教師は足早に去っていく。その姿を見届けたレイは、部屋の扉を開けながら胸中で考え込む。
(セリスとの溝、氷魔法の制御、クラス対抗戦……いろいろあるけど、まずは俺の力を安定させないと)
部屋の中は夕闇に溶けそうな静寂が広がっている。外の廊下には魔導ランプがともり始め、やわらかな灯が床に影を作っている。
レイはゆっくりと扉を閉め、カーテン越しに暮れなずむ空を見上げた。明日からの補習が、きっと大きな一歩になるはず――そう自分に言い聞かせながら、心を落ち着かせるように深呼吸する。
まだ始まったばかりの学園生活、そしてクラス対抗戦へ向けた挑戦。師匠ルーファスの足跡を探る道のりも含め、レイの心は揺れながらも前へ進む覚悟を固めつつあった。