3. 暴走
大ホールの中央で、白髪の初老の男性が壇上に立っていた。背筋が伸びた威厳ある姿から、学園の上級教員あるいは理事長のようにも見える。静まり返った空気の中、レイ・フロストを含む新入生たちの視線が一点に集まった。
「新入生諸君、入学おめでとう。私はこのアルセラ魔法学園の理事長、バールド・ヴェルノと申します」
張りのある声がホール全体を包む。伝統や理念を語る挨拶が続くが、そこには“封印術”や“大陸の魔力秩序”といった専門用語も散りばめられている。レイにとってはまだ聞き慣れない言葉ばかりだが、学園が国際的な魔術研究や王国同盟の“封印協力”に深く関わっていることだけは伝わってきた。
単なる学校ではなく、大陸の安全保障にも寄与する拠点――それがアルセラ魔法学園なのだろう、とレイは胸の奥で感じる。
壇上の理事長は視線をゆっくりと巡らせながら、続けて言葉を紡いだ。
「本日、皆さんにはこの後すぐに“簡易属性測定と実技試験”を行ってもらいます。多様な魔術適性を持つ学生が増えているため、早めに各自の力量や資質を把握したいのです。これはクラス確定のごく一部にすぎませんので、あまり気負わずに臨んでくださいね」
一瞬、ホール内がざわついた。レイの隣でガルド・ブラストが「おいおい、早速やるのかよ!」と小声でつぶやき、マリア・フィンチはそっと口元に手を当て「わ、緊張する……」と呟く。
レイ自身も胸がちくりと痛む。“絶対零度”という自身の力を、こんなにも早く人前で示すことになるのだろうか。
(また――あの時みたいに制御を誤ったらどうしよう…)
思い出すのは、下層で魔法練習をしていたときの恐怖だ。あのときは勢い任せに氷魔法を放ってしまい、自分の周囲一帯まで凍らせてしまった。仲間の足元や、壁に張られた布まで白く凍り付いた光景に、自分でも背筋が凍る思いをした記憶がある。幸い大怪我には至らなかったものの、人々が怯えた視線を向けるのを見た瞬間、レイは強い罪悪感と恐れを抱くようになった。
「集会は以上です。それでは、上級教師のアナスタス先生が各クラスへ誘導を行います。名前が呼ばれた方から順次、指示に従って別会場へ移動してください」
理事長の言葉を合図に、新入生たちは名簿を呼ばれながら分かれていく。レイたちBクラスの新入生はクロエ教師のもとへ向かい、別の棟へ移動するようだ。
人波に揉まれながらホールを出ようとしたとき、レイはちらりと赤茶色の髪――セリス・アークの姿を探す。後方に見えた気もするが、案内の声に急かされて結局確認できずじまいだった。
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実技演習棟は校舎とは別の独立した建物だった。天井の高い屋内演習場は、魔力を遮断する特殊な壁材で囲まれており、万が一魔法が暴走しても外に被害が及びにくいという。
そこに集められたBクラスの新入生たちを前に、クロエ教師が口を開く。
「ここで軽い属性測定と簡易実技の確認を行います。後日のクラス振り分けにも多少影響が出るかもしれませんが、まずは気楽に臨んでみてください」
そうは言っても、生徒たちの顔には緊張の色が浮かんでいる。実際、ここからが“本格的な学園生活”のスタート地点なのだ。
コンクリートの床には大きな魔方陣が描かれ、中央には水晶玉のような装置が一つ据えられている。炎・光・闇・土・氷など、属性によって光や温度変化が違うと聞くが、レイにはまだはっきりわからない。
「それでは最初に……ガルド・ブラスト」
クロエ教師の声に、獣人のガルドは嬉しそうに「よし、来た!」と前へ出る。
彼が水晶玉に大きな手をかざすと、ほのかな茶色の輝きが広がり、魔方陣にも土の裂け目のような模様が浮かび上がる。
「土属性、魔力量はやや高め。身体強化や近接戦闘に適性が高そうですね」
短髪の男性教師――グレン教師が評価を口にする。ガルドは「おお、いい感じじゃねえか!」と拳を握り、周囲から微笑ましい笑いが漏れる。
「次は、マリア・フィンチ」
名を呼ばれて進み出たマリアは、緊張した面持ちで水晶玉へそっと手をかざす。すると、薄い水色の光がゆらめき、装置を通して魔方陣に淡い波紋が広がった。
「水属性ですね。魔力量は標準ですが、制御が安定している。回復魔法やサポート系の素質もあるかもしれません」
グレン教師が柔らかく告げると、マリアはほっと息をつき「よ、よかった……」と小声で安堵する。
そして――
「では、レイ・フロスト」
その名が呼ばれると同時に、レイの心臓が強く打った。下層出身の奨学生という噂が、すでに周囲に広がっているのかもしれない。視線を感じる中、レイは心を落ち着かせるように息を吐く。
(大丈夫、あくまで“簡易測定”だ。少しだけ魔力を流せば……)
そう自分に言い聞かせながら、右手を水晶玉にかざす。氷の気配が掌へ集まり、冷たい感覚が水晶の表面へ伝わっていく。
瞬間、ピキッと音がして水晶玉の表層に白い結晶が走った。青白い光が揺れ、周囲を淡く照らす。まるで霜が張るように、水晶がごく薄く凍りついていく。
「これは……氷属性、か。相当強力な魔力があるようですね」
グレン教師が思わず目を見開き、クロエ教師も眉をひそめながら観察する。水晶玉の表面にうっすら付いた霜が屈折を生み、不思議な輝きを放った。
レイは必死で“絶対零度”の冷気が暴走しないよう神経を張り詰める。過去の失敗が脳裏をかすめ、あの恐怖をもう二度と味わいたくないと思うあまり、緊張で背中に汗がにじむ。
(抑えられる……抑えられる……!)
ぎりぎりまで魔力を抑え込み、何とか大きな異常を起こさずに手を引っ込めることに成功した。
周りからは小さなどよめきが起こり、興味深そうな視線がレイに集中している。
「魔力量はかなり高めですね。上級魔法への伸びしろがありますが、その分、制御を誤ると危険度も高い。焦らず訓練を重ねましょう」
グレン教師の声に、クロエ教師もうなずき、
「大丈夫、現時点で異常な暴走が見えたわけじゃないから、安心して」
と、やや優しい口調でレイに目を向ける。レイは肩の力を抜きながら「はい」と答えたものの、他の生徒が向ける視線からは漠然とした警戒や好奇心を感じずにはいられない。
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続く簡易実技テストは、標的に向かって基礎魔法を放つだけの初歩的な演習だという。5人ずつ前へ出て小さな的に魔法をぶつけ、その威力や精度を教師が確認する。
ガルドは得意げに土属性の拳撃を繰り出し、標的を揺らすほどの力を見せるが、制御はまだ荒削りな印象。マリアは水魔法で優しい波動を作り出し、回復系素質への期待を集める。
そしてレイが氷魔法を放つ番になった。指先に集中した冷気を標的めがけて飛ばし、まずは小さな凍結で留める――それが彼の計画だった。
(……やれる、今度こそ制御しきってみせる)
そう決心していたのに、標的の表面が白く凍り始めた瞬間、体の奥で冷気がうねりを上げるのがわかる。
(だめだ、また……!)
必死に押しとどめようとするが、一度うずまいた絶対零度の魔力は静まろうとせず、じわじわと周囲を巻き込もうとする。レイの脳裏に下層で周囲一帯を凍り付かせた恐怖が蘇り、心臓が一気に早鐘を打つ。
息をのんだガルドとマリアが「レイ?!」と声を上げる。
レイは痛いほど奥歯を噛みしめ、魔力を引き戻すイメージを必死に繰り返す。――すると標的に付着した氷がパリン、と砕け散り、散乱する破片が床を転がった。
「……っ」
レイは膝をつきかけながらも何とか踏みとどまり、肩で大きく息をする。周囲で生徒たちがざわつき、ガルドが駆け寄って支え、マリアも「大丈夫?!」と慌てる。
グレン教師とクロエ教師がすぐにやって来て、レイの状態を確認する。クロエ教師が静かに言う。
「焦らなくていいわ、レイ。もし危険を感じたらすぐに言ってちょうだい。氷魔法は繊細だから、少しずつ学んでいけばいい」
「……はい」
レイは短く答え、荒い呼吸を整える。視界の端には、他の生徒が多少の警戒心を含んだまなざしでこちらを見ているのがわかった。
(危なかった……もうちょっとで本当に周囲まで凍らせる暴走を起こすところだった)
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簡易実技テストが一通り終わる頃には、空は夕陽に染まり始めていた。生徒たちの魔力量や属性の傾向がざっと把握され、正式クラス分けは後日の試験後に発表されるらしい。
演習棟を出た廊下で、ガルドが心配そうに声をかける。
「レイ、大丈夫か? さっきの暴走っぽいやつ、まだひきずってるんじゃないか」
「いや……もう平気。ありがとう」
笑みを作ってみせるが、冷や汗はまだ微かに残っている。マリアも「本当に無理しちゃだめよ」と優しく言う。皆が気遣ってくれるのが嬉しい一方、“絶対零度”という危険な力を抱えた自分が足を引っ張るのではないかという不安が募る。
夕焼け色の光が敷地内を染める頃、レイは校舎の影に赤茶色の髪を見つけた。セリス・アークだ。
思わず近づいて声をかけようとするが、彼女のほうもレイの存在に気づいて立ち止まる。
「……セリス」
レイが名前を呼ぶと、セリスは少しだけ逡巡してから小さく手を挙げた。
「さっきはごめん、あまり時間がなくて」
瞳はどこか曇っているように見える。下層で隣家同士だった頃が嘘のような距離感――レイはやるせなさを覚えながら「久しぶり……」と声をかける。が、セリスはそっけなく頷き、
「私、一応Aクラスの推薦組だから、同じBクラスの人たちとはなかなか接点がないかも。後で顔合わせする機会はあると思うけど」
それだけ言うと、すぐに背を向けて歩き出す。レイにとっては一瞬の再会でしかなかった。ガルドやマリアがそれを遠巻きに見つめ、気まずい沈黙が漂った。
「なんだあれ……感じ悪ぃな」とつぶやくガルドに、マリアは「しっ」と咎める。
レイは微かに唇を噛みしめる。幼馴染だったセリスとの距離が、学園という環境で余計に広がっていくのを痛感せざるを得ない。
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その夜、Bクラス寮の食堂では、新入生向けの簡易な夕食が用意されていた。大皿に盛られた肉料理にガルドが喜び、マリアは彼を「食べすぎ注意」と笑いながら宥める。レイも同席するが、セリスの姿はやはりない。Aクラス推薦組は別寮にいるのだという。
部屋に戻ると、レイはベッドに腰掛けて今日の実技テストを反芻する。あと一歩でも暴走が激しくなっていたら、周囲を巻き込んでいたかもしれない――下層での失敗が鮮やかに蘇り、血の気が引くような感覚に襲われる。
(もし危険だと判断されたら、奨学生資格を失うかもしれない……)
そんな不安が頭をもたげるが、ここで諦めるわけにはいかない。絶対零度を自分の手で制御し、仲間を守れる力に変えなければならないのだから。
「おいレイ。明日も朝早いらしいぜ。そろそろ寝たほうがいいんじゃねえか」
ガルドがベッドに寝転がり、リラックスした様子で言う。レイは「……そうだな」と応え、カーテンを引いて窓の外を見る。星がちらちら瞬いているが、下層にいた頃とは空気の明るさが違うのか、どこか淡い光だ。
(絶対零度……この力を本当に制御できる日が来るのか? セリスもあんな遠い場所に行ってしまって……)
そんな思いを抱えながら、レイはゆっくりと目を閉じた。学園が自身に何をもたらすのかはわからないが、ここで成果を出す以外に道はないと、わずかに握った拳が震えるのを感じた。
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翌朝。まだ外は薄暗いが、レイは早くに目を覚ました。窓の外には上層特有の澄んだ冷たい空気が漂っている。ベッドから起き上がり、軽くストレッチをしていると、ガルドが大きなあくびをして起き出した。
「おいおい、朝っぱらから元気だな。オレなんかまだ眠いってのに」
「なんか……昨日、色々あったからね。寝つけなかった」
レイが肩を回しながら言うと、ガルドは「まあ、無理すんな」と笑う。今日もまた動きがありそうだ、と彼は張り切っているようで、クラス対抗戦への意欲を語る。
一方、レイの胸には“絶対零度”の制御への不安が依然として渦巻いていた。セリスとの距離を感じることも、その不安をさらに大きくしている。
やがて朝食を済ませると、Bクラスの新入生は再びクロエ教師の呼び出しで教室へ向かうことになったらしい。ガルドは「走りに行く時間がねえじゃねえか」と不満げだが、レイは頭の中で昨夜の暴走を振り払おうとしていた。
廊下で鉢合わせしたクロエ教師が、穏やかな微笑みを向ける。
「おはよう、レイ。体調はどう?」
「ええ、大丈夫です。……あの、もし僕の魔力がまた暴走したりしたら、学園側からは……」
言葉を区切りつつ、レイは昨日の不安を正直に吐き出す。クロエ教師はわずかに首を振り、柔らかな口調の中に凛とした響きを含ませて答える。
「危険魔術は私たちも注意して見ます。でも、それは“伸びしろ”があるとも言えるわ。すぐ退学や除籍になるわけじゃないから、焦らずに取り組んでちょうだい。私たちはあなたをサポートするためにいるんだから」
レイはその言葉にわずかに救われる気がした。そして、クロエが最後に付け足すように言う。
「……ルーファス先生の弟子さんなら、なおさらね」
「ル、ルーファス……」
師匠の名前を学園で耳にするとは思わず、レイの心臓が高鳴る。クロエ教師はそれ以上は何も言わず、「後でまた話しましょう」と歩き去っていった。
師匠はかつて学園に籍を置いていたのか、それとも何らかの研究を行っていたのか。疑問は尽きないが、今はクラス説明会が目前だ。
(いつか真相を聞けるだろうか……でも、まずは自分の力を制御しないと)
そんな思いを抱えながら、レイはガルドやマリアと合流し、クロエ教師の案内する教室へ向かった。学園生活の試練は、まだ始まったばかりである。