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2. 寮生活

学園の正門をくぐってすぐ、レイ・フロストは足を止めた。

 門の内側には立派な石畳の広場が広がり、右手には「受付所」と書かれた案内板が見える。下層ロウレイヤーとは空気の密度すら違うような雰囲気だ。建物や道が整然としていて、洗練された白壁の建物が目を惹く。


(まるで別世界みたいだな……)


レイは心の中でそう呟き、ここが自分の新たな学び舎になるという事実に複雑な気持ちを覚える。門番の男性は一瞥しただけで通してくれたが、それも奨学生証の効力が大きいのだろう。余計な問い詰めがなかったことに、ひとまず安堵する。


白く塗られた壁沿いに魔導ランプが規則的に取り付けられ、やがて広場の中庭へと通じる道へ合流する。淡い昼光の下、噴水が小さく水音を立て、周囲では既に多くの生徒が談笑していた。種族も服装も実にさまざまで、皆どこか楽しげだ。


「……本当に学園なんだな」


思わず口をついて出た声は、半分呆れにも似た感慨を伴う。今ここにいる自分が、つい昨日まで下層の路地裏にいたのだと思うと、現実味が薄い。


広場の一角にある受付所へ近づくと、新入生らしき者が数名並んで手続きをしているようだ。紙を記入したり、何か説明を受けたり――どうやら入学手続きの最終確認らしい。レイは最後尾へ向かって歩み寄る。

 すると、脇から小柄な少女が足早に行列を横切ってきた。


「すみません! 遅刻しちゃう!」


水色のリボンを揺らしながら、少女は受付の窓口に飛び込む。髪は淡い茶色で目元は柔らかい印象を受ける。どこかふわふわとした雰囲気だ。


「マリア・フィンチさんですね。そんなに急がなくても大丈夫ですよ」


窓口の係員が苦笑しながら声をかけ、書類を手渡す。マリアと呼ばれた少女はペンを握りしめ、ほっとしたように息をついた。


「そ、そうですか……すみません、つい焦っちゃって」


そんな光景を見ていると、レイの肩の力も少しだけ抜けていく。厳粛で堅苦しい雰囲気かと思っていたが、こうして普通に遅刻を気にする姿があるのは、ある意味で学園らしい。


一方で、列の後方ではささやく声が聞こえた。


「ねえ、あの人……下層出身?」

「多分。ほら、着てるものとか古めかしい感じするじゃない」


レイの服装や古びた鞄を見ての反応だろう。ちらちらと好奇の視線を浴びても、レイは視線を伏せただけで何も言わない。言い返したところで何が変わるわけでもない、と頭ではわかっている。


やがてレイの番になり、受付係の女性が書類を取り出した。


「……レイ・フロストさんですね。奨学生枠の最終登録をしますので、こちらにサインをお願いします」


彼女が手際よく用紙を差し出す。そこには細かい文字が並び、学園規約への同意事項などが羅列されていた。


「規約……って、こんなにあるんですね」


「大半は全生徒共通ですが、奨学生の方だけ追加でチェックする項目がいくつかありまして。特に成績が下がってしまった場合、奨学金が打ち切られる可能性もあるのでお気をつけくださいね」


厳しい条件だと感じつつも、差別意識というよりは制度上の確認らしい。レイは用紙に署名し、そっと返す。


「入寮の場合は、こちらの地図を参考に寮棟へ行ってください。今日の夕方には新入生向けのオリエンテーションが行われますので、それまでに部屋の確認や荷物の整理を済ませるといいですよ」


「ありがとうございます」


そう答えたレイに、受付係はあたたかな微笑みを返した。言葉自体は事務的だが、冷たさを感じないだけでも救われる気がする。


隣の窓口を見ると、先ほどのマリアが書類を抱え、あたりをきょろきょろと見回している。どうやら方向がわからないようで、落ち着きなく視線を動かしていた。


「……寮棟は、確かこっちだよな」


レイは渡された地図を覗き込み、中庭の向こう側に描かれた大きな校舎とグラウンド、そして学生寮の位置を頭に入れる。実技演習場や図書棟など、いかにも魔術学園らしい施設名が幾つも並んでいて、読んでいるだけでも新鮮だ。


「……こんにちは、えっと……レイさん、ですよね?」


控えめな声が聞こえて振り向くと、マリアが頬をわずかに赤くして立っていた。


「さっき受付で名前が聞こえたので……わたしも寮に行くんだけど、地図の見方がイマイチわからなくて」


「俺も今、ちょうど場所を確認してるところだよ。地図、見る?」


「わ……ありがとう!」


マリアは安堵したように胸をなで下ろす。レイが見せる地図を二人で覗き込み、「たぶんここが学生寮だね」と指さしながら行き方を再確認する。


「レイさんは……奨学生なんだよね? すごい。限られた枠だって聞いてるし、下層からって聞くと本当に珍しいんだなあって思って」


「珍しいというか……そうだね。あまり気にしなくていいよ」


悪意のない彼女の言葉に、レイは苦笑で返す。けれど、下層出身者が珍しいという事実を改めて突きつけられると、どこかばつの悪さを感じる。それでもマリアの明るさが、レイの緊張を少し解きほぐしてくれた。


そのまま二人で地図を頼りに進むと、学生寮が並ぶエリアへと出る。大きな看板には“Aクラス寮”や“Bクラス寮”などの矢印が示されている。どうやら成績や実技のレベルによってクラスが振り分けられ、寮もクラスごとに別れているらしい。


「クラス分けって、最初の模擬戦か何かで決まるんだっけ?」


レイがふと呟くと、マリアが首を傾げる。


「私も詳しくないけど、属性測定とか軽い実技試験があるって聞いたよ。成績が良ければAクラスになる、とか……。私はあんまり自信ないけどね」


「そうか。俺も、細かいことは聞かされてないな……」


二人でそんな雑談を交わしていると、“Bクラス寮”と書かれた建物にたどり着いた。三階建てで白い外壁が施されているが、古い傷や年季の入った窓枠が目立つ。


「ここか。とりあえず中に入って、部屋を確かめようか」


扉を押して中へ入ると、やや古びた廊下に、荷物を運ぶ生徒たちの足音が響いていた。寮母らしき女性が「部屋番号を間違えないでね」と呼びかけている。


レイの書類によれば部屋番号は二階の「205号室」。マリアは一階の「106号室」らしい。


「じゃあ、後でまた会おうね。何か困ったら教えてくれる?」


「もちろん、よろしく」


そんなやり取りをして、マリアは一階の奥へ向かった。その様子からして人懐っこい性格なのだろう。レイは彼女の背を見送り、階段を上がって二階へ向かう。


205号室のプレートを見つけ、そっとノブを回して中へ入ると、鉄製のベッドが二つ並んだ質素な部屋があった。机とイスが各一組、古びた棚とロッカーが備え付けられている程度の最低限の設備だ。


(まあ、ここで寝起きできれば充分だろう)


レイは荷物をロッカーへ放り込んで一息ついた。その時、廊下から急な足音が近づき、勢いよく扉が開く。


「おーい、ここが205号室だよな……って、お前が先に入ってたのか?」


姿を現したのは、狼のような耳を持つ獣人の青年。がっしりとした体格で、腕には鍛えられた筋肉が盛り上がっている。


「同室ってことだな。オレはガルド・ブラスト。獣人連邦から来たんだけど、慣れねえことばっかだ。よろしくな!」


「レイ・フロスト……。よろしく」


レイが戸惑いながらも挨拶すると、ガルドは豪快に笑ってみせる。


「お前、細っこいけど度胸ありそうな顔してんな! にしても、この寮は随分しょぼいな。オレの想像してた“学園ライフ”とは違うが……ま、寝られりゃいいか」


どさっと荷袋をベッドに下ろすと、ガルドは部屋の中を一通り見回す。どうやら大雑把な性格らしい。


「お前もBクラスか? クラス分け試験ってのがあるらしいけど、早く腕試しがしたくてたまんねえよ。オレ、実技は得意なんだ」


「そ、そうなんだ。俺も詳しくは知らないけど、模擬戦とかあるって聞いた」


ガルドは力こぶを作りながら「早く来い来い!」と意気込んでいる。下層の灰色の世界にいた時には感じられなかった、眩しいほどの前向きオーラだ。レイはその活力に、負けていられないという思いを新たにする。


ほどなくして荷ほどきが終わると、夕方から始まるという新入生オリエンテーションの時間が迫ってきた。寮のロビーには多くの生徒が集まり、教師らしき人物たちが誘導している。レイとガルドが連れ立って一階へ降りると、見知った顔があった。


「やあ、レイさん。……そちらは?」


マリアが不安そうにしていたところ、レイは「ルームメイトのガルドだよ」と紹介する。ガルドは尻尾を揺らしながら「おう、よろしくな!」と豪快に声をかけ、マリアは少し照れたように微笑む。


すると、ロビーの奥から茶髪ボブに眼鏡をかけた女性教師が手を叩いて場を静めた。


「皆さん、注目。私はクロエといいます。Bクラス寮の担当教師のひとりです。今から簡単なオリエンテーションを始めますので、よく聞いてくださいね」


クロエ教師は資料を配りながら、門限や外出許可などの規則を手短に説明していく。優しげな顔立ちだが声に芯があり、自然と生徒たちの注意を引きつけていた。レイは配られた紙を眺めつつ、ふとクロエの視線が自分に留まったように感じる。しかし、すぐに目がそらされる。


(下層出身って気づいたかな……いや、そんなこと一々考えても仕方ないか)


オリエンテーションが終わると、クロエ教師は「後日、クラス分けのための実技試験を行います」と告げる。どうやら推薦枠でAクラス入りが決まっている生徒もいるらしいが、B~Cクラスは改めて測定されるようだ。


「この後は学園本校舎で全体集会があります。案内役の指示に従って移動してください」


あっさりそう言って締めくくられると、ほかの教師たちが「それでは行きましょう」と声をかけ、生徒たちは列を作り始めた。


ガルドが「動けるのが楽しみだぜ」と肩を回す横で、レイもマリアも行列に並ぶ。そしてふと、通路の向こうに見覚えのある姿を見つける。

 赤茶色のセミロングで、華やかな雰囲気の服を着た少女――セリス・アーク。下層の隣家で苦労を分かち合ったはずの幼馴染だが、今はスタッフらしき人物と上層寄りの会話をしているように見える。


「……レイ?」


一瞬だけ視線が交わり、レイは手を上げかけた。けれどセリスはスタッフに話しかけられたのか、そのまま歩み去ってしまう。ガルドが訝しげに眉をひそめ、


「知り合いか?」


と尋ね、レイは「まあ……幼馴染なんだ」とだけ答えた。

 かつては同じ下層で支え合ってきたはずなのに、今の彼女は遠い存在に見える。レイは胸の奥に小さな痛みを感じながら、列とともに移動を始めた。


本校舎へ案内されると、玄関ホールは高い天井と光沢ある大理石の床で埋め尽くされ、壁には魔力を活用した照明が等間隔に飾られている。目を上げれば学園の紋章らしきシンボルが据えられ、その威厳がひしひしと伝わる。


「わあ……」


誰かの小さな感嘆が、レイ自身の心情を代弁しているかのように響いた。長い旅の果てに、自分は本当に別世界へ来てしまったのだと実感する。


二階の大ホールへ移動すると、新入生が百人以上は集まっているだろうか。壇上に現れた学園の代表者が歓迎の挨拶を始めようとしていて、ホールはざわめきに包まれていた。

 ガルドは「すげえな」と鼻を鳴らし、マリアは人の多さに少し気後れしている様子だ。


一方、レイは“絶対零度”という自分の魔力を思い出す。あれを本格的に扱うときが来たら、周囲がどう反応するのか。危険視されるかもしれないし、認められる可能性もある。そこには大きな賭けがあるだろう。


(でも、やるしかない。セリスにも、いつか胸を張って話せるように……)


代表者が「これより新入生歓迎集会を始めます」と宣言し、大きな拍手が湧き起こる。その中でレイは、少しだけ手を叩きながら心の準備をしていた。


――下層からここまでの道のりを思えば、始まったばかりの逆境など、きっと乗り越えられるはず。

 自分に言い聞かせるように、小さく拳を握る。


(ここで、俺は強くなるんだ)


ざわつく大ホールの中央で、レイはそう心の中で誓い、学園生活の幕が上がる瞬間を静かに受け止めていた。

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