第70話 温もりに包まれて
「全部ぶちまけなさい。私に、全部」
一ノ瀬の顔がすぐそこにある。
一ノ瀬の目が、俺を力強くとらえている。
「ぶちまけるって、なんのことだ?」
「とぼけないで。私の目をちゃんと見なさい」
「えっと……」
「良介のこと、わかってるから。別に長い間一緒にいたわけじゃないし、話すようになったのも今年の四月から。……でも、私は良介のことを考えてきた。だからわかるのよ。良介がどれだけ抱え込んでるのか。それも“一人”で」
「……心配してくれてるんだな」
「そうよ、心配してる。それもすごく、すごーくよ」
こうして心配してもらえるのは素直に嬉しい。
……だが。
「ありがとう。でも俺は大丈夫だ。だから……」
「大丈夫じゃないでしょ⁉」
一ノ瀬が声を荒げる。
「自分ではわかってないのかもしれないけど、ここ最近の良介はずっと変だわ。ときどき考え込んだように黙ってるし、でも不自然なほどにいつも通りだし。無理してるんでしょ?」
「無理なんかしてない。大丈夫だ。一ノ瀬たちに心配してもらえるだけで、俺は……」
「嘘よ。だって普段の良介なら私なんかの不意打ちでも避けれた。なのにこうして空き教室に連れ込まれたのはどうして? 私が声を出すまで誰かもわかってなかったわよね?」
「っ!」
確かに、考えることに集中しすぎていた。
いつもの俺なら、こうして上に乗られることもなかったはずだ。
「良介のことだから、一人で全部背負って、一人で解決しようとしてるんでしょ? 確かにそれは正解だわ。だって良介は強いし、むしろ誰かがいると足手まといになる。その考えには賛成だわ。でもね、今の良介は危なっかしいのよ。怒りに支配されてる。そんな状態で戦えるわけがない。そんなこと、良介が一番よくわかってるでしょ?」
返す言葉もなかった。
すべて一ノ瀬に見透かされている。
気づかされてしまう。
冷静な自分が、少しずつ姿を現す。
「良介。私はね、そんなちょっと意地っ張りな良介のことも好きよ。……でも、だからこそ心配なのよ。それに抱え込んでほしくないの。辛い思いをしてほしくないの。良介がしてくれたように、私もあなたを助けたいのよ」
カーテンが揺れ、隙間から光が漏れてくる。
ちらりと見えた一ノ瀬の表情は優しくて、温かくて。
目を離すことができない。
「まだ悲しんでもないでしょ? ずっと辛い思いを抱え込んだまま。それじゃ正解は見えてこないわ。だから――全部ぶちまけなさい。私に、全部」
「っ!!!」
なんだ、この感情は。
体の内側でせき止めていたものが溢れようとしている。
ダメだ。だってまだ、俺は俺のやるべきことを……。
「良介」
一ノ瀬が俺の頬に触れる。
――その瞬間。
風がふわりと舞い込み、カーテンが開いた。
温かな光が暗かった部屋に差し込んでくる。
俺の頬に触れる一ノ瀬の手のひらは温かくて。
人を思う優しさに溢れていた。
内側から込み上げてくる感情。
「俺は、俺は……」
「知ってる? 私たちは別に悲しんだって、悔しんだっていいのよ? たとえそれが傍から見れば無様で、自分にとって恥ずかしいことでも。必要なことなの。前を向いて、正しく進んでいくために、やらなきゃいけないことなの」
一ノ瀬が俺の頭を両手で包み込み、自分の胸に押し当てる。
「いいのよ、泣いたって。どれだけ強い人だって、男の子だって。大人だって泣いてもいいの」
背中を一定のリズムで、ゆっくりと叩く。
「そしたらきっと、ちょっとだけスッキリするわ。だから今は……ね?」
「っ……!!!」
ダメだ、泣くなんて俺は……。
でも、俺の“意地”が一ノ瀬の温度でほどけていく。
「私の胸の中で、泣いていいわよ。――特別なんだから」
その言葉を受け取った瞬間、せき止めていたものが一気に溢れ出した。
子供のように、みっともなく泣いた。
俺の涙が一ノ瀬の制服にシミを作っていく。
そんなのお構いなしに、俺の目から涙が流れた。
「まったく、良介は」
一ノ瀬が優しく微笑む。
それからもずっと、一ノ瀬は俺の背中をさすってくれた。
俺の涙はなかなか止まらなかった。
なかなか、止まってくれなかった。
♦ ♦ ♦
※花野井彩花視点
扉の前に立つ。
中から聞こえてくるのは、大好きな人の泣いている声で。
ドアに手をかけたところで、引っ込める。
隣に立っている弥生ちゃんや宮子ちゃんも同じように何かを悟り。
目を合わせて頷いた。
「今は二人にしてあげよっか」
「……そうだね」
「それが九条くんにとって一番だし」
ゆっくりと空き教室の前から立ち去る。
……そっか。そうなんだ。
でも、私たちは好きな人の幸せを願っているから。
早く元気になってほしいから。
私たちにできることはほとんどないけど、良介くんに恩を返していきたい。
だから私たちは、そっとその場を去る。
それが全員にとって“幸せ”だとわかっているから。




