第69話 愛する人のために
あれから数日が経った。
「でね、お母さんが塩と醤油を間違えちゃって~」
「あははっ! よくある間違いだよね……って、塩と醤油⁉ 形状があまりにも違いすぎない⁉」
「こないだは私が砂糖とみりんを間違えてたんだよね~」
「それ、もはや間違えたとかいうレベルじゃないよ……」
花野井と瀬那が、葉月の話を聞いて苦笑いを浮かべる。
朝に俺の家の近くで集まって、五人で登校する。
いつも通りの光景。
家の場所が変わっただけで、普段通りの日々だ。
……俺以外は、だけど。
「九条くんもそういう間違いするよね~?」
「え、あぁ、するな」
「「するの⁉」」
花野井と瀬那が食い気味に聞き返す。
「えっと……何の話だった?」
「塩と醤油を間違えるって話! 塩と砂糖とかなら似てるし分かるけど、普通間違えなくない?」
「……間違える人なんかいるのか?」
「それがいんの」
「えへへ~意外に私ってうっかりさんなのかな~」
「「意外じゃないから!!!」」
総ツッコみをくらう葉月。
葉月は相変わらずぽわぽわした笑顔を浮かべていた。
何一つ、変わらない日常。
でもやはり……俺は思い出してしまう。
燃え盛る家、店。
悲しそうなこずえの顔と、涙を浮かべる瞳さん。
そして――ニヤリと笑った須藤の表情。
全部、あいつのせいで……。
許せない。いや、許しちゃいけない。
俺がこの手でやるしかないんだ。
「九条? どした?」
瀬那が心配そうに俺の顔を覗き込む。
「なんでもない」
俺がそうとだけ言うと、瀬那が立ち止まる。
そして真剣な表情で俺のことをまっすぐ見た。
「……九条がそう言うならあたしら別に深追いはしないけどさ、何かあったらいつでもあたしらに頼んなよ? 家のこととかお店のこととか、色々あったの知ってるしさ」
「瀬那……」
「私たち、これまで良介くんにいっぱい助けられてきたからね。だから何でも言って! 私たちにできることがあれば何でもするから! ほ、ほんとに何でもするし……!!!」
「花野井……」
「できることは少ないと思うけどさ~? でも少しは九条くんの力になれるかなって思うし~。ちょっとだけ元気にするくらいかもしれないけど、それでも大切なことだと思うからさ~」
「……葉月」
三人が俺に優しい言葉をかけてくれる。
そうか。
三人は俺の事情を知っているから気を遣っていつも通りの日常を演じてくれていたのか。
でも本心はこっちで、本気で俺の力になりたいと言ってくれている。
この目に嘘があるわけがない。
俺はいつの間にか、こんなにもいい人たちに囲まれていたのか。
それが嬉しいと同時に……怖い。
みんな須藤には間違いなく狙われていて。
あのときのようなことが起こりかねない。
……やっぱり、もっと早く手を打たないと。
まだ須藤の居場所は掴めてないけど、できるだけ早く叩き潰さないと。
二度と何かやる気にならないくらい、それこそ須藤の“人生”を終わらせるくらいに。
「ありがとう、みんな。そのときが来たら頼らせてもらうよ」
そう言って、俺は歩き始める。
これは俺一人でやるべきだ。
頼っている暇なんてない。
俺は大丈夫だ。
ずっと一人だったんだから。
それにこれは、俺一人でやるべきなんだ。
最初から最後まで、俺と須藤の問題なんだから。
♦ ♦ ♦
※一ノ瀬雫視点
良介が歩いていく。
傍から見ればいつもと変わらない。
何も変わっていない。
……けど、逆にそれがおかしい。
だって家と店を燃やされて、普通でいられるわけがない。
良介は無理をしている。
私たちに気を遣って、悩みを抱え込んでいる。
「良介くん、大丈夫かな……」
「心配だね……」
「九条くんの邪魔にならないように、陰から支えるしかないね~」
他の三人もそれを感じ取っているみたいだ。
……でも、そんな悠長なこと言ってる場合なの?
きっと良介は色んな感情を心にパンパンに閉じ込めている。
私の本能が、良介の精神状態が危険なことを知らせている。
どれだけ良介が強くても、良介は私たちと同じ高校生だ。
その事実は絶対揺るがない。
このままじゃ――良介が危ない。
「…………」
私は私の信念に基づいて行動する。
他の三人も間違ってないし、きっと正解だ。
でも、色んな正解がある中で私は選ぶ。
私が愛する人にするべき行動を。
♦ ♦ ♦
昼休み。
今日の放課後はどこを調べようか考えながら一人廊下を歩く。
他の四人には申し訳ないが、一人にさせてもらった。
今は一人でいたい。
じゃないと傷つけてしまいそうだから。
「須藤……」
体の内側を焼いている憎悪の感情。
俺がやるんだ。俺が、俺が……!
「ッ――⁉」
体を引っ張られる。
そしてあっという間に空き教室の中に連れ込まれると、扉がガンと音を立てて閉まった。
教室内はカーテンが閉まっていて薄暗い。
「なんだこれは……」
体を起こそうとするも、誰かに上に乗られていて動けない。
一体誰なのか、確認するよりも先に声でわかってしまった。
「――良介」
「い、一ノ瀬?」
一ノ瀬の顔が陰になって見えない。
しかし、それでもいつものおふざけじゃないことはわかって。
一ノ瀬は俺をじっと見ると、力強く言ったのだった。
「全部ぶちまけなさい。私に、全部」




