何も言えない僕の末路
「ねえ朽名氏、アンタ佐伯と仲いいんでしょ? いじめ、手伝ってくんない?」
「……」
朽名氏香苗はとある一室で数名の女子につめられていた。教材を抱えて曖昧に微笑むだけの朽名氏に女子からの嘲笑が浴びれられる。クスクスという笑いをこの展開を朽名氏は既に何度か経験していた。
「佐伯ってばアンタが話しかける前はボッチだったってのに、今や理恵君の優しさにつけこんで調子に乗ってるじゃない。アンタは思うところないわけ?」
「……」
宮月理恵はクラスの王子様的存在だった、その王子様が佐伯四葉にご執心なのだ。誰からどう見てもあの二人は両想いだった。
女子たちはクラスカーストの上位にいた、だというのに底辺だと思っていた佐伯に宮月を奪われるのが気に食わないらしかった。彼女らは元から佐伯をいじめていたが、最近になって佐伯の友人というポジションにいる朽名氏をいじめに勧誘するようになったのだ。
長い沈黙の後リーダー的立ち位置にいる女子が
「仕方ないねー。そんな四葉チャンが好きなんだ」
と呟いた。
「ま、気を変えるのは早い方が良いんじゃね?」
じゃあねと手を振りながら彼女たちは空き教室から出て行った。
緊張のゆるみからか自分への失望からか、朽名氏は扉が閉まると同時に崩れ落ちた。教材がばらけ落ちたが、そんなことさえ気にせず脱力した。こんな短い髪にも埃なんかは絡みつくのだろうかと朽名氏は思ったが時は既に遅かった。
思うところが無いわけないよと朽名氏は心の中でつぶやいた。佐伯と友達でなければ、佐伯が宮月を好きにならなければ、自分はいじめに誘われることなんてなかったんだから。そして自分がもっと決め事が得意な人間ならずっと楽になれただろうから。
いじめに誘われても、いじめを悲しむ佐伯を見ても、自分の望みに気付いても、曖昧に微笑むことしか出来ない。
(何も言えない僕の末路はきっとロクなもんじゃないんだろうな)
朽名氏が教室に戻ってあたりを見渡すと佐伯がいないことに気付いた。
「あれ、佐伯さんは?」
「あー確か百合園さんと出てったよ」
近くにいた男子に尋ねると彼は知らんけどと後付けして言った。
百合園黒子はこのクラスの女子生徒で、相談役として多くの女子から慕われている。大人で気品のある雰囲気でクラス一の美女だと言われていた。
佐伯も百合園に相談事をしたがったのだろう。
(佐伯さんは色恋沙汰に関して僕を信用してないもんな)
朽名氏は納得すると次の授業の準備を始めた。
何事も無く放課後までたどり着いた今日の日、朽名氏は言葉を失った。いや、そんなもの端からなかったのかもしれない。
「あのね香苗ちゃん。わたし、この後理恵君に告白しようと思うの」
「……」
いつもの笑みを張り付けることさえできずに朽名氏はただ茫然と、丸っこく可愛らしくてそれでいて強い意志の宿った瞳を見つめていた。その瞳が、そのさらさらと流れる美しい髪が、その純粋な心が、明日には誰かのものになっているんだという事実が朽名氏に沁みた。全身が傷口になってしまったようだった。
「そうか、がんばってね……」
応援する資格すら黙ってきた自分にはないのだと朽名氏は理解しながらもなんとか口にすれば、佐伯は嬉しそうに笑うんだった。
今日何もかも終わってしまった気がした。残されたのは本編より退屈な長い長いエンドロールだけである。
いつしか朽名氏は教室で一人きりになっていた。その風景は朽名氏の心の中で漠然とはびこっている「おいて行かれてしまった」という感想に相応しかった。チャイムのならないこの学校の時間は果てしなく静かに流れていく気がした。
ドアの開く音がしてハッと朽名氏は顔を上げた。
「香苗ちゃん?」
ドアに手をかけているのは百合園だった。こいつが佐伯を後押ししたのかと思うとモヤモヤとしたものが頭の中で充満していく。
「どうしたの? 何か悩みでもあるのかしら?」
真っ直ぐ百合園が朽名氏を見つめる。あまりに真剣な瞳に、額をハッキリ出した長い髪をしてこういう人が信頼されるんだろうなと朽名氏は妥協した。
「……佐伯さん告白するんだって、知ってました?」
「香苗ちゃんも四葉ちゃんのそういうところ、嫌なの?」
百合園は朽名氏をいじめに勧誘した彼女らのことを思い出しながら言ったのだが朽名氏はそんなこと気付きもしなかった。
「嫌だよ」
朽名氏の声が震えた。感極まるのは当然だった。朽名氏がずっと言えなかった思いはただの純然たる恋心だったんだから。対象が佐伯でさえなければこんなことにはならなかったんだろう。
(好きだったんだ。ずっと。ちゃんと。僕が先に好きだったんだ)
初めは佐伯が一人でいるから声をかけたに過ぎなかった。しかしかかわっていくうちにその純粋な性格に、ヒロイン然としたところに惹かれていった。恋に落ちた時にすぐ言葉に出来ていたら、こんなことにはならなかった。
空しくて苦しくて朽名氏は眉間にしわを寄せた。そんな朽名氏に百合園はにっこり微笑むのだった。
「私も四葉ちゃんのそういうところが嫌いで、気に食わなかったの。だからいじめを始めた。ねえ、香苗ちゃんも協力して?」
重ねられた百合園の手のぬくもりと悪魔の笑みに飾られた冷たい瞳が温度を狂わせる。
佐伯を応援するふりをして、佐伯の友達のふりをして、香苗はその隣に存在してきた。それと同じような存在がいることに朽名氏は感動を覚えていた。
「はい。わかりました。僕を実行犯にしてください」
正気の沙汰などなくなったその答えに悪魔は笑った。
「理恵君、急に呼び出しちゃってごめんね」
「べつにいいけど、どうしたんだ?」
「わたし、香苗ちゃんのことが好きなの」
「……そうか。それ、本人にもう言った?」
「いや、まだだけど。言えないよ」
「香苗ちゃんには好きな人がいるから」
「あの朽名氏ってやつさすがですね。百合園さんがそそのかしただけのことはあります」
「でしょう? 嫌われそうだから佐伯四葉をターゲットに選んだんだけど予期せぬ収穫だったわ。あのこは男女問わず魔法をかける最強のファタールになるわよ」
笑みを張り付け目の前の人々をだまし続ける朽名氏を見ながら悪魔は言った。この箱庭すべてが彼女のおもちゃ箱に過ぎないのだ。
朽名氏がはじめて悪魔の笑みを知った日、あの日はただの始まりに過ぎなかった。
(僕の末路はもっとひどいことになるんだろう)
人を変える代償をいつか人は払わなくてはいけない。