表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
双月記  作者: 村野夜市
99/146

97

彼月がわたしを連れて行ったのは、研究室と隣り合った部屋だった。


「一応、こっちは控室ってことになってるんだけど。」


扉を開けると、なかからは獣臭い臭いというか、なにか饐えたような臭いが漂い出してきた。


「うっわ、くっさ。

 ・・・やっぱりか・・・

 千鶴はちょっとここで待ってて?」


彼月は肘を曲げて鼻の辺りを覆いながら、部屋のなかへと踏み込んだ。

なにやら、がらがら、ばさばさ、という音がしばらくしたかと思ったら、彼月が顔を覗かせた。


「まだちょっと臭いけど。

 ここにずっと立ってるのもなんだし。」


なかに入ると、窓という窓が全開してあった。

左右の壁には作り付けの棚。

そして、部屋のなかは、混沌に支配されていた。


床には座卓らしきものと、敷きっぱなしの布団。それから大量の衣類。

あとは、布やら、食器やら、食べ物やら、何に使うのかよく分からない道具まで。

ありとあらゆるものが、無秩序の名の元に、予想外のところにある。


毛足の長い、高級そうな敷物は、元は花の絵が描いてあったみたいだけど。

得体のしれない染みと、こびりついた固形物で、混沌を描いた抽象画のようになっていた。


「忙しいとすぐこれだから・・・」


彼月はぶつぶつ言いながら片付けて行く。

彼月の周りから、部屋のなかへと、みるみる秩序が拡がっていくようだ。


わたしも、彼月を手伝おうと、ごそごそと、その辺のものを手に取った。

広がった毛布を畳んだは畳んだけど・・・これ、どこに置こう?

床に置いたらまた元の木阿弥だし・・・


きょろきょろしていたら、うっかり床にあった器を倒してしまった。

器には、言葉にはし難い色の液体が入っていて、敷物の混沌にさらに混沌を付け加えてしまった。


「・・・ごめん、わたし・・・」


謝ろうと彼月を見たら、ああ、いい、いい、と軽く手を振った。


「今さら、染みのひとつやふたつ増えたところで、誰にも分らないよ。

 というか、千鶴がつけた染みだって言ったら、あの人たち、大喜びで保存しようとするかも。」


保存?!


「ああ、でも、片付けはいいから、千鶴はその辺にでも、座っ・・・いや、座る場所なんか、ないな。

 まったく・・・三日前に、いったん全部、片付けたのに・・・」


三日?

三日でこれですか?

すごい。

それはまた、べつの意味で才能を感じますね?


とにかく、うっかり歩き回ったりしたら、惨状に惨状を付け加えるだけだ。

そう考えたわたしは、あとは彼月にお任せして、なるべく動かないことにした。


ふと、足元を見ると、一冊の古い絵本が落ちていた。

何度も読み返したのか紙は柔らかくなって、手の当たるところは手垢で黒くなっている。

背表紙もぼろぼろになって、糸が出ていた。


わたしはその絵本を見るともなしに眺め始めた。

開いてみると、小さいころに、わたしも読んだことのある物語だった。

多分、島の人なら、みんな一度は読んだこと、あると思う。

そのくらい有名な物語だ。


千の鶴が空を舞うとき。世界に奇跡が訪れる。

その言い伝えを物語にしたものだ。

古い古い物語で、作者ももう分からない。

だけど、わたしにとっては、自分の名前の由来でもあったから。

大好きな物語で、何度も何度も繰り返し読んだ。


こんなところで、この物語と再会するとは思わなかった。

それにこの本は、わたしの読んだ本よりも、さらに古そうに見えた。

わたしは、本をばらばらにしてしまわないように気をつけながら、懐かしく眺めた。


そうこうしているところへ、みすずが顔を出した。

戸口から部屋のなかを覗き込んだみすずは、あらら、と笑った。


「ごめんなさいね。

 片付けをさせようと思って、お茶に誘ったわけではありませんわ。」


そう言いながら入ってきて、彼月と並んですばらしい速さで部屋を片付け始める。


「まさか、こんなになってるとは、流石に思いませんでした。」


「みすずはこの部屋は使ってないの?」


「ええ。わたしは、夜は部屋に戻るようにしているので。

 あとの三人は、戻る時間が惜しいと言って、ここに寝泊りしているみたいですけど。」


彼月とみすずの連携は素晴らしかった。

あっという間に、部屋はきれいに片付いてしまった。


「部屋に戻って、とっておきのお茶を取ってきたの。

 千鶴さんに飲んでいただこうと思って。」


最初見たときには分からなかったけど、綺麗になった部屋の一角には、小さな台所がついていた。

みすずはそこでお湯を沸かして、いい香りのするお茶を淹れ始めた。


「千鶴さんがいらっしゃるって知っていたら、いろいろと用意しておきましたのに。

 こんなものしかなくて、残念だわ。」


そう言いながらも、綺麗なお菓子を次々にお皿に並べる。

あっという間に、座卓の上はお菓子の花園になっていた。

最初のあの惨状を思えば、まったく魔導みたいだ。


準備が整ったのを見計ったように、ぞろぞろとあとの三人がやってきた。

それぞれ座る場所は決まっているのか、思い思いの席につく。

みんな自分の隣にとわたしを呼んだけど。

わたしは彼月と並んで座卓の一辺に座ることにした。


器のなかには、塩漬けにされた花がひとつずつ入っていた。

みすずがそこへお茶を淹れると、その花はふわっとお茶のなかで開いた。


「すごい。きれい。」


思わず歓声をあげると、みすずは嬉しそうに微笑んだ。


「すずさん、これ、滅多に淹れてくれないのに。今日は特別ね?」


「お菓子も、滅多に見ないとっておきのばかりですわ。」


ひかるとひなたも嬉しそうだ。


きれいな淡い緑色のお茶のなかで開いた花は、あの一輪だけ咲いていた桜のようだった。

こうして午後のお茶会は和やかに始まった。











評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ