表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
双月記  作者: 村野夜市
9/146

学士院を通り抜けして、一三夜は裏門のほうへ回った。

そこはあんまり人も来ないらしくて、整備も行き届いてなくて、柵もところどころ壊れていた。

蝶番の外れかけた門を、一三夜は力任せに押し開く。

ぎっ、と妙な音がしたかと思ったら、門は開かずに、どさっとそのまま外れて倒れた。


「あーあ。壊しちゃった。

 まあ、いいっか。」


一三夜は外した門の扉を脇に立てかけると、こっちを振り返ってにこっとした。


「学校の裏山って、なんか、わくわくしない?」


いえ、取り立てて、わくわくはしませんが。

それより、わたしは今、一三夜の壊した戸のほうが気になるよ?


一三夜はちらっとだけ苦笑すると、そのまま乗騎を押して、裏口から外に出た。

そこは草のいっぱい生えた荒地だった。


「大昔はここに裏山に続く道があったらしいんだ。

 今は、こんなだけどね。」


一三夜はそんなことを言いながら、わたしの前に乗った。


「ちょっと高度を上げるよ?

 植物が多くて、法定高度じゃ飛べないから。」


操作盤をなにやらかちゃかちゃといじると、ふわっ、と乗騎が高く浮かび上がる。


「公道でこれをやると、違法改造で、すぐ警吏に捕まるんだけど。

 こんなとこ、誰もいないから、いいかな。」


いや、捕まらなければいい、というものでもないと思うのですが。


「うわっ、高い・・・」


わたしは足の下の地面を恐る恐る覗き込む。

乗騎は人の身長よりさらに高く、建物の二階くらいの高さに浮かんでいた。


「怖い?

 じゃあ、結界は作動しておこう。」


一三夜がさらになにか操作すると、からだが乗騎の上に安定するのが分かった。


「あなたにどうしても、見せたいものがあってさ。

 もう少しだけ、付き合って?」


そんな顔してお願いされたら、嫌だとは言えなくなるよ。

不承不承頷いたら、一三夜は、にこっとして、乗騎を進ませ始めた。


乗騎は、さっきよりもゆっくりとした速度で森の上を飛んでいく。

見慣れた街中や整備された学内とは、ちょっと違った景色。

大昔、道だったところは、辛うじて、周りの林より木々が低い。

けど、注意して見ないと分からないくらい、もう、鬱蒼とした一面の森だ。


高さは、慣れるともう、それほど怖くはなくなった。

ゆっくりと流れていく周りの景色を眺めていると、ちょっと、さっきみたいに風を感じてみたくなった。


「一三夜、あの・・・」


言いかけて、口ごもったら、なに?と一三夜が振り返った。


「結界を、その・・・」


「外してみる?」


全部言わなくても、分かってくれるのが有難い。


小さく頷くや否や、ふわっ、とからだが浮かび上がる感覚があって、思わず一三夜にしがみついた。


「大丈夫。落としたりしない。」


その声にちょっと安心する。


結界を外すと、途端に、風や音や匂いが、わーっと一斉に、押し寄せてきた。

さらさらと風が髪をなぶっていく。

なんだか、ちょっと冷んやりとしていて、いい匂いもする。

あんまりそれが心地よくて、なんだかくすくす笑いたくなった。


「う、ん?

 どうした?

 笑ってるの?」


一三夜の訝し気な声が聞こえる。

それにますますおかしくなって、わたしは声を立てて笑い出した。


「なに?

 どうしたの?

 なにか、面白いことでもあった?」


笑い出したわたしに、一三夜は焦ったように尋ねた。


「一三夜が、びっくりしてるのが、おかしい。」


「は?なに、それ?

 ・・・・・・そっか。

 まあ、あなたが笑ってくれるんなら、なんでもいいけどね。」


一三夜はちょっと呆れたように言ってから、少しだけ、乗騎の速度を上げた。


「折角だし、も少し、風を起こすかな。」


「風って、楽しいね?」


「そ?

 そんなこと言ったら、調子に乗って、もっと速くするよ?

 しっかり捕まって!」


その声を合図に、乗騎は、ぐん、と速くなった。

わたしは、一三夜にぎゅっと捕まって、流れる景色と吹き抜ける風を感じる。

胸のなかから、わくわくが、次々と湧き上がってくる。

わけもなく、笑いが止まらなくなって、困った。


森を抜け、まばらになった林を抜けた途端、視界いっぱいに広がったのは、一面の桜色だった。

大昔、空から降ったという雪のように、舞い降りる花のなかを、乗騎は風のように駆け抜けていく。

あんまり綺麗で、思わず、笑うのも忘れていた。


「・・・これは、桜?」


「そうだよ。

 この辺りは、昔、桜並木があったんだ。

 昔の人たちは、春になると、ここへきて、桜見をしたそうだよ。」


桜の花なら知っている。

画像も見たことあるし、生花店に行けば、枝にいっぱい咲いたのが、一年中、売られている。

だけど、こんなふうに、一面、桜の色に埋め尽くすような景色は、知らなかった。


「魔導障壁ができてから、桜は、温度管理された温室でしか咲かなくなったからね。

 いや、桜以外も、だけど。」


一三夜は乗騎の高度と速度を落とした。

乗騎は並木の間をたゆたうように、ゆっくりと進んでいく。


「実は、この少し先に、魔導障壁の綻びがあってさ。

 本当は、綻びは、見つけたらすぐに、修復しないといけないんだけど。

 ここの並木が桜だってのには気付いていたから。

 もしかしたら、咲くかも、って思って、修復しないでおいたんだ。」


「魔導障壁がないと、桜は咲くの?」


「外の、冷たい空気が入ってくるからね。

 桜は、冬の寒さがないと、咲かないんだ。」


「冬の、寒さ?」


魔導障壁がなかったころには、夏は暑くて、冬は寒かったらしい。

暑いとか、寒いとか、実験室で体験したことはあるけど。

あんなのがずっと続くなんて、かなり辛かっただろうなって思ったっけ。


だけど、そっか。

桜は、冬、寒くないと、咲かないんだ。


「売り物の桜は、わざと寒い風に当てて、咲かせてるんだ。

 けど、昔は、なにもしなくても、春になったら、桜は咲いた。

 桜は春を告げる花だった。

 昔の人は、桜を見て、春になったのを祝ったんだ。」


桜は春の使者。

寒くて辛い冬の終わりを教えてくれる。

一面の桜を見ていると、胸のなかがざわついてくる。

なにかが、そこから、わーっと噴き出してきそうな感じ。

これはもしかしたら、遺伝子に刻まれた、ご先祖様の記憶なのかな?

嬉しくて、けど、ちょっと、不安なような、どこか、むしょうに物悲しくなるような。

とても、とても、複雑な感情だった。


わたしは手を伸ばして、舞い落ちる花びらを捕まえた。

掌に乗せた花びらは、綺麗な桜色をしていて、なんだか宝物を捕まえた気持ちになった。

わたしはその花びらを大切に懐にしまった。

これ、帰ったら、押し花にしよう。


一三夜は並木のちょうど真ん中辺りで乗騎を地面に下ろした。

乗騎を長椅子代わりにして、並んで腰かける。

前を見ても、後ろを見ても、ずらっと並ぶ桜並木が、どこまでもどこまでも続いている。

そんな場所で、一三夜はおもむろに、おむすびの包を取り出した。


「どうせだったら、昔の人みたいにここであなたと桜見がしたくてさ。」


なるほど。

こんな素敵なお昼ご飯は、想像もつかなかった。


一三夜はおむすびを半分に割って差し出してくれる。

有難う、と受け取ったら、なんだか、ものすごく嬉しそうに、にっこり微笑んだ。


さっそく、大口を開けて、ぱくり、と頬張る。

ちょうどいい塩気と、つぶつぶのお米の味が、口いっぱいに広がる。

お行儀悪いけど、すっごく幸せ。


むふむふ、とあっという間にひとつめを平らげてしまった。


ふと、隣を見ると、一三夜はまだおむすびを手に握ったまま、こっちをにこにこと見下ろしていた。


「ふふ。ついてるよ?お嬢さん。」


そう言って、わたしのほうに手を伸ばしてくる。

細くてきれいな指先につまんだご飯粒を、一三夜は、ぱくっと自分の口に入れた。


「あ。」


「ふふ。ご馳走様。」


顔が熱い。

ものすごく恥ずかしい。

子どもみたいに、顔にご飯粒付けてたのもだけど。

なにも、それ、自分で食べなくても・・・


下むいて焦ってたら、笑い声が降ってきた。


「あなたのその可愛い顔見てたら、胸がいっぱいになって、もう何も入らないな。」


「え?」


可愛い、とか、あんまり言われ慣れてないから、ひどく戸惑ってしまう。

一三夜って、きっとちょっと、普通の人とは、感覚がずれてるんだろうね。

だとしても、そうしょちゅう、可愛いとか、言わないでくれないかな。

そのたびに、どきどきしちゃって、わたし、困るから。


抗議しようと思って顔を上げたら、目が合って、あ、と言った。


「次の、だね?

 ちょっと待っててね?」


一三夜はそう言うと、手に持ったおむすびを無理やり口に押し込んで、ふたつめを取った。


「よ、っと。

 はい。」


さっきのも美味しかったけど、差し出されたおむすびも、もっと美味しそう。

やだ。

おむすび見て笑うなんて、なんだか、恥ずかしいけど。

ついつい、笑顔になっちゃう。

抗議しようって思ってたのも、すっからかんに忘れていた。


受け取って、ほくほくしてたら、一三夜の笑い声が降ってきた。


「そんなに喜んでもらえるなんて、わざわざ買いにいった甲斐があったよ。」


「いいお店、教えてもらえてよかった。

 今度、夏生とも一緒に行くよ。」


それに、とわたしは、辺りの景色を見回してから言った。


「こんなに綺麗な場所で食べられるなんて。

 最っ高のお昼ご飯だね。」


心底、そう思う。

力を込めて言ったら、一三夜は嬉しそうに微笑んだ。


「それはよかった。綻び、慌てて修復しなくてよかったよ。」


「あ!

 それって、大丈夫なの?

 その、黙ってて、怒られたり、とか、しないの?」


魔導障壁の綻びなんて、実は結構、重大な問題なんじゃないだろうか。

心配になって見上げたら、バレたら怒られるだろうなあ、とあっさり笑った。


「まあ、僕は怒られるのなんて、日常茶飯事だから。

 それに、桜の季節も、あと少しだけだから、それが過ぎたら、急いで修復しておくよ。」


「一三夜が修復するの?」


「一応ね。

 これでも、魔導理学は習得してるからね。」


そうだった。


「この程度なら、小さな綻びだろうし。

 障壁内は、魔導圧を高めてあるから、瘴気は流石に入ってこないだろう。

 この辺りは、あまり人も来ないから、異変に気付いてるやつも、そうそういないだろうし。

 もしかしたら、バレないうちに、修復できるかも。」


「怒られないうちに、修復、できるといいね?」


そう言ったら、わたしの目を、じっと覗き込むように見た。


「怒られてもいいよ。

 あなたのその笑顔が見られたから。

 このご褒美と引き換えなら、多少の罰は甘んじて受けることにする。」


そんなこと言うけど。


「わたしは、わたしのせいで、一三夜が怒られるのは、嫌だなあ・・・」


「あなたのせいじゃないよ?

 僕が、あなたをここに連れてきたかっただけ。

 あなたは、無理やり共犯者にされて、なのに、そんなふうに笑って僕を許してくれる。

 寛大な女神だ。」


なんかさ、そんなふうに言われると、わたし、なんかすごいみたいだけど。

本当にすごいのは、わたしじゃなくて、一三夜だと思う。


「ここに連れてきてもらえて、よかった。

 桜、見せてもらえて、よかった。

 それで、一三夜が怒られるんなら、わたしも一緒に怒られる。

 修復、とか、手伝えないけど。

 代わりになにか、一三夜のためにできることがあったら、なんでもする。」


そう言うと、一三夜はびっくりしたみたいに、わたしの顔をじっと見た。

合わせられた視線を、どうしてか逸らせなくなる。

そのまま一三夜は、ちょっとかすれた声で、淡々と呟いた。


「・・・バカだな・・・

 なんでもする、なんて、そう易々と口にするもんじゃないよ?」


それから、自分から目を逸らせると、ひとつため息を吐いた。


「いいや、バカなのはこの僕だ。

 無垢な女神をこんな場所に連れてきて、正気を保てるほど、自分は聖人じゃないって忘れてた。

 自分で自分の首を絞めるような真似をして、いったい何をやってるんだか。」


それから、ひょい、と乗騎から飛び降りて、いきなり走り出した。


「え?どこに行くの?」


慌てて追いかけるけど、一三夜には到底、追いつかない。

見る見る間に桜色の吹雪のむこうへと、その姿は消えていく。


なんだろう。胸がざわつく。

どきっ、どきっ、どきっ、と自分の心臓の音が聞こえる。

息が苦しくて、もう、走れなくなる。


嫌、だ・・・行かないで・・・

置いて行かないで!


胸の奥底から、言葉が迸った。


口に出して言ったかどうかは分からない。

どうしてそんな言葉が出てきたのかも、分からない。

どこか、別の世界の出来事のように、わたしは、それを感じていた。


そのとき。

小石か、木の根っこか、何かにつまづいて、わたしは転びそうになった。


あ・・・・・・


その瞬間だった。

ごぉっという風が巻き起こり、辺りの花を巻き上げて、強く吹き抜けていく。


ふわっ、とからだが浮く感覚があって、気が付くと、一三夜の腕に抱きとめられていた。


「あ・・・。一三夜?」


なにが起こったのか、分からなかった。

ただ、一三夜は隣にいて、わたしは転ばなかった。


一三夜は、入学式のあのときのように、ぎゅぅっとわたしを抱きしめた。

それから、声を絞り出すようにして言った。


「置いていきません。

 今度こそ。

 何があっても。

 絶対に。」


一言、一言、誓うように呟く。


そのとき、ごぉおっと、さっきよりもっとすごい風が巻き起こった。


あまりの風に目を開けていられなくなる。

一三夜は、風上に背中をむけて、わたしを庇うように、からだの下に抱きすくめた。


「・・・・・・あ・・・・・・」


うっすらと開いた目に映ったのは、この世のものとは思えない光景だった。


ごぉっと渦を巻くように、花を巻き込んで風が並木を吹き抜けていく。


「花の、竜だ。」


それはまるで、桜並木のなかを突き抜けて行く、桜色の竜のようだった。


「・・・はは・・・あははは・・・」


背中に、一三夜の笑い声が聞こえた。

あはははは、と、一三夜はいつまでも笑っていた。







評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ