64
水月はあの制動機のうるさい人力乗騎を引っ張ってきた。
後ろ乗ります?って聞かれたけど。
< 人力乗騎のふたり乗りは法令違反です。 >
そう返したら、くくっ、と肩をすくめて笑って、それ以上は言わなかった。
ふたり並んでゆっくり歩く。
こんなふうに歩くのも久しぶりだなあと思う。
水月は何も言わずに黙っていたけど。
今日の沈黙は、そんなに居心地も悪くなかった。
しばらく歩くと、小さな公園に差し掛かった。
昔、あの、ひとりでお花見をした公園だ。
この公園を通り抜けすれば、うちへの近道だ。
わたしが公園のなかへ足を向けると、水月もそのままついてきた。
「そこで、ちょっと休んで行きませんか?」
長椅子のところを通りかかったとき、水月がそう行って指さした。
あの桜の前の長椅子だった。
わたしはちょっと迷ってから、自分から先に、長椅子に座った。
間を少し開けて、水月も隣に座った。
ふたりして、何とはなしに、前を眺めた。
まったく同時に、揃って同じことをしていた。
公園には他に誰も人影はなかった。
まあるい月が、高い空に掛かっていた。
水月はこっちを見てちらっと笑った。
わたしもつられて、ちょっと笑った。
なんだか、少し、照れくさかった。
ちょっと、飲み物でも買ってきます、と言って、水月はどこかへ走って行った。
しばらくして帰ってきた水月は、小瓶入りの甘酒をふたつ、手に持っていた。
受け取った小瓶は、ほんのり温かかった。
こんなの、どこで売ってたんだろ。
両手に感じる温もりが心地いい。
嬉しくなって、わたしは瓶の蓋を取った。
水月も隣で同じようにしていた。
ふたり、同時に小瓶を差し上げて、乾杯の仕草をした。
何でもないことだけど、不思議に水月とは波長が似ている。
何故か、今夜はそれを強く感じた。
「この間は、彼月さんのところへ行ってもらって、すみませんでした。」
水月のほうからそう口を開いた。
わたしは少し考えてから、魔導手帳を差し出した。
< あれ、わたしが行ってよかったのかな、って、思ってたんだ。 >
どうして?と問いかける水月に、わたしはまた少し考えてから返した。
< 彼月には、迷惑だったかもしれない、って思って。 >
「彼月さんになにか言われたんっすか?」
ちょっと心配そうになった水月に、わたしはもう一度考えてから返した。
< 行ってすぐ、帰れ、って言われた。
早く帰れって。 >
ああ、と水月は軽く頷いた。
「それは彼月さんは、あなたにうつしてしまうのが心配だったからじゃないっすかね。」
< そうかもしれないけど・・・ >
確かに彼月も、あのとき、そんなふうに言っていた。
< ちょっと、言い合いみたいになって、けど、彼月が疲れて眠ってしまって。
だからわたし、お粥だけ作って、帰った。 >
「断言します。
そのお粥、彼月さんきっと、ものすごく嬉しかったと思いますよ。」
・・・そうかな。
そうだといいんだけど。
< 彼月って、食べ物とか、こだわりが強いよね? >
「ああ、そうっすね。
けど、あれで、自分のことには、そんなに構わないんっすよ。
多分、あなたの関わることにだけ、ものすごく拘るんです。」
そうなのかな。
< わたし、お料理も、彼月みたいに上手じゃないし。
あのお粥も、そんなに美味しくなかったかも。 >
「そんなわけありませんよ。
たとえ、技術的にはどうあれ、あなたに作ってもらった、って。
もうそれだけでも、至福のご馳走です。
風邪も吹き飛んだことでしょう。」
水月ならそんなふうに言ってくれるけどね。
< お見舞い、迷惑だったんじゃないのかな? >
「迷惑だなんてことは、絶対にありません。
もっとも、あなたにうつすかもしれないと思って、気が気じゃなかったかもしれません。」
そんなふうに言われると、あのときの彼月の頑なな拒絶も、彼月の優しさだって思えるけど。
だけどそれを、水月の口から言われてもなあ・・・
ちょっと釈然としない顔をしていたかもしれない。
水月は薄く微笑んで、慰めるように言った。
「彼月さんってね、孤高の人なんっすよ。
辛くても、それは周りには絶対に見せなくて。
いつも、自分の理想とする自分でいようとしている、というか。
だから、弱ってるところを、あなたに見せたくなかったのかもしれません。」
< 弱ってるところを、見せたくない? >
「誰より、あなたの前では、格好いい自分でいたいんっすよ。
いつもしゃんと背筋を伸ばして、あなたに安心して寄りかかってもらえるように。」
< そんなことしなくても、彼月はじゅうぶん、すごい人だと思ってるけど。 >
「多かれ少なかれ、みんなそういうもんじゃないっすか?
好きな人の前では、無理して格好つけるもんでしょ?」
無理して、格好つける、か。
分かるような気もするけど・・・
わたしは、あんまりやったことないかも・・・
昔、一三夜と自分は釣り合ってないと感じたことはある。
そのときわたしは、背伸びして、一三夜に釣り合う自分になるよりも。
そもそも、一三夜と自分なんてあり得ないって、そう思っていた。
いや、それを言うなら、そもそも、わたしと釣り合ってくれる人なんて、この世にいなさそうだけど。
誰かによく思われたくて、格好つける、か。
もしかして、わたしはそこから、やらないといけないのか?
< 水月も、そうなの?
好きな人の前で、格好つけたり、する? >
そう尋ねたら、水月は、たはっ、と苦笑いした。
「ああ、それはね?しますよ?多少はね?
まあ、あんまり成功してない、というか、伝わってない気もしますけど・・・
だいたい、オレ程度じゃ、無理しても、高が知れてる、というか・・・
彼月さんの域にはほど遠い、っすかねえ・・・」
へえ、そうなんだ。
水月もそうなら、それって普通のことなのかな。
そういえば、昔、夏生が言ってた。
恋人に追いつくために、頑張りたいって。
夏生の恋人は、うんと年上で、玉菜畑に勤めるお医者さんだった。
その人のこと、夏生はずっとすっごく尊敬してて、追いかけ続けて。
憧れて、片思いになって、告白して、両想いになって。
わたしはずっと夏生の傍にいて、それを見ていたんだけど。
彼に相応しい自分になるんだ、って言う夏生は、きらきら眩しくて。
あれって、夏生も、彼の前では、ちょっと無理して背伸びしてたってことかな?
だけど、夏生のあれは、辛そうじゃなかった。
頑張ってるのも、幸せそうだった。
だけど、彼月の無理は、なんだか苦しそうだ。
それに、無理してる彼月を、わたしは格好いいとは思わない。
< 病気のときには、そんなの、気にしなくてもいいと思うんだけど・・・ >
具合が悪いときにまで無理しないといけないなんて。
そんなんで、伴侶としてなんて、長くやっていけない気もする。
「苦しいときほど、それを堪えてしゃんとする。
彼月さんって、そういう人なんっす。」
それは、大変そうだなあ。
< そこまでしないと、ダメなものかな? >
「ダメってことは、ないかもしれませんけどね。
オレなんて、とても、あの真似はできませんし。
だけど、それをやるのが、彼月さんって人っす。」
そうなんだ・・・
それにしても、水月は彼月のこと、どうしてそんなふうに言い切れるんだろう。
< 水月って、彼月のこと、よく分かってるんだね? >
思わずそう尋ねてしまっていた。
だって、あまりにも、水月は自信たっぷりに言い切るから。
水月は、はっとした顔をして、それからちょっと困ったように笑った。
「彼月さんとオレは、生まれたところが同じで。
だから、古い馴染みなんっすよ。」
それって、同じ玉菜畑の出身ってこと?
晶とわたしみたいに?
< そっか。名前も、彼月、と、水月、って、なんだか似ているものね。
もしかして、共通の遺伝子を持っているとか? >
その割に、容姿も性格も、そんなには似ていないと思うけれど。
もっとも、晶とわたしも、見た目も性格も、ついでに言うと能力も、まったく似てないけど。
晶はわたしのこと、同じ遺伝子を持つ姉だと言い張っている。
「・・・遺伝子は・・・、どうでしょうね?
ただ、そういうのじゃなくても、その、長い長い付き合いというか・・・」
そっか。夏生とわたしみたいなものか。
確かに、夏生なら、わたしのこと、よく分かっててくれてるかも。
< じゃあ、初等院とか中等院とかからの友だち?
もしかして、寮で同じ部屋だったとか。 >
「あ。まあ、そんな感じっす。」
なるほどだ。
< あ。名前が似てるから、仲良くなった、とか? >
そういうのがきっかけになって友だちになった人たちも見たことある。
水月は、ああ、そうですねえ、と曖昧に笑った。
「確かに、彼月さんもオレも、名前に、月ってついてますけど。
彼月さんの月は、彼方に輝く、本物の月。
オレのは、水面に映った、月の影、っすよ。」
なんだかそれって、水月は自分の名前を卑下しているようにも聞こえる。
< 遠くの月も綺麗だけど、水に映った月は、すぐ近くに降りてきてくれたみたいでいいと思う。
水に映る月もとても綺麗だよ。
わたしは、どっちも好きだな。 >
「はあ、なるほど。
そう言われると、水月ってのも、悪くないっすね。」
水月はそう言って、くくっと笑った。
彼方の月と水面の月、かあ。
なんかそれって、彼月と水月の人柄そのもののようにも感じる。
手が届かないくらい高いところにいる孤高の月と。
すぐ近くにいるように見えるのに、手を触れようとすると逃げて行く水面の月。
ふ、と何気なく、顔を上げたところに。
わたしは、小さな花を見た気がして、思わず近寄って、よく見ようとした。
「どうかしました?」
< 花を。見た気がして。 >
「花っすか?」
水月も立ち上がって、一緒に探しだした。
「あ。これかな?」
すぐに水月は見つけて、わたしに教えてくれた。
それは、小さいけれど、確かに本物の桜の花だった。
その花を見ていると、記憶がさらさらと流れる川のように溢れてきた。
< 昔、ここで、ひとりでお花見をしたことがあるの。
あのときも、一輪だけ、桜が咲いていた。
一三夜は、研究院に呼び出されてそっちに行ってて。
わたしは、まだ、一三夜のこと、自分がどう思ってるのか分からなくて。
なのに、何を見ても、一三夜のこと、考えてしまってて。 >
とりとめもなく、昔話なんか始めてしまった。
脈絡のないわたしの言葉を、水月は黙って、目で追っていた。
< 一三夜と一緒に、風になった。
それから、ずっと続く、桜の並木を見た。
風が花を吹き散らしながら、通り抜けて行って。
一三夜はそれを、花の竜だって言った。
それを見て、一三夜はおかしくなったみたいに笑った。
いや、多分、あれは、泣いてたんだと思う。
なんでそんなに泣いてたのか、その理由は結局、聞けなかった。 >
一三夜を思うとき、いつも思い出すのはそのときのことだった。
他の記憶は次第に曖昧になったけど。
このことだけは、何故か今も、鮮明に覚えていた。
< あのとき、わたしは、一三夜がわたしを置いて、どこかへ行ってしまうんじゃないかって思った。
置いて行かないで、って思わず言った。
そしたら、一三夜は、置いて行きません、って。今度こそ、絶対に、って、言ってた・・・ >
けど、結局、一三夜はわたしを置いて、綻びのむこう側へ行ってしまった、んだ・・・
あのときの、桜の花も、すぐに散ってしまった。
わたしは、今度こそ、花を散らさないように手で囲った。
だけど。
そのときまた、あの意地悪な風が吹いてきて、花を連れて行ってしまった。
わたし、よっぽどがっかりした顔をしてたのかもしれない。
帰る道々、水月はずっと、わたしのこと、慰め続けていた。




