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結局、一三夜は部屋の前まで送ってくれた。
ただ、流石に部屋に入れてくれとは言わなくて、そこはちょっとほっとした。
「ああ、僕の部屋、隣だから。
いつでも来てくれていいよ?」
「げ。隣なの?」
「今年の新入生は、書記吏員の研修生は二人だけだから。
寮も隣同士にしてくれたんだ。
僕は同室でもよかったんだけど。
あなたの同意のない限り、男女じゃ同室にはできないって言われて。」
そりゃ、そうでしょうよ。
というか、それはまだ、助かった。
大昔は学生寮って、男女別だったそうだ。
けど、今は、男子女子って区分も曖昧だし、個室の保安対策も万全だ。
学士院生は、みんな、成年式を済ませた大人なんだし。
学生寮以外の住居じゃ、隣同士、男だとか女だとか、普通気にしないから。
だから、学生寮も、ひとつの建物に男女の区別なく、全員一緒に住んでいる。
ただ、流石に、男女同室、ってのは、当人同士の申請がない限りは、あり得ない。
逆に言うと、申請さえすれば、同じ部屋にしてもらえるんだけど。
って、わたしは、一三夜と同室とか、同意しないけどね?
「だからもし、なにかあったら、大声で呼んでね?
すぐに駆け付けるからさ。」
「ここ、結構しっかり防音してあるよね?」
学生ってのは、昔から、部屋で歌ったり楽器鳴らしたり集まって騒いだり、するものらしい。
騒音の苦情は学生寮の定番で、だから、防音に関しては、かなり厳重にしてあるって聞いた。
「大丈夫。君の声なら聞こえるから。」
「げ。」
逆にそれ、怖いよ?
「虫とか不審者とか出たら、いつでも呼んでね?
すぐに駆け付ける。」
って、部屋の入口には鍵、かけてあるはずだけど。
どうやって入るつもり?
・・・いや、これは今は、あんまり追及しないでおこう。
「あなたが一番不審だって気もするんですけど?」
思わず下から睨んだら、あはは、と軽く笑い飛ばされた。
「心配しないで?呼ばれなければ、無理やり押しかけたりはしないから。」
是非ともそう願いますよ。
わたしは軽く目礼だけして、そそくさと自室に入った。
学生寮はふたりで一部屋を使うことになっている。
同室の相手は、適性を見て決められているそうだけど。
わたしはまだ、同室人とは顔は合わせていなかった。
今朝はぎりぎりまで、高等院の寮部屋にいて、そこから入学式に行ったんだ。
中等院高等院と六年間暮らした部屋は、安心できる胞衣のようで、なかなか出られなかった。
初等院までは六人部屋だったのが、中等院になって初めて、二人部屋になった。
六人部屋だったころは、同室の子とも、そんなに親しくはならなかった。
賑やかに話すみんなを、部屋の隅っこから、にこにこと眺めていればよかったから。
親切にわたしに話しかけてくれた子も、わたしの反応が薄いから、すぐに飽きて諦めた。
それに、初等院の六年間は、部屋割りは毎年、入れ替えられることになっていた。
それが、二人部屋になって、そうもいかなくなった。
もちろん、同室の相手とどうしてもうまくいかないときには、入れ替えの申請もできる。
最初、わたしはとっとと、入れ替え申請をされるんだろうって思ってた。
だけど、彼女はそれまで出会ったどの子とも違っていた。
確かに、それまでの成育歴の適正を見て、組み合わせは決められているんだろうけど。
正直、ここまで一緒にいて居心地のいい相手ってのは、それまで出会ったことがなかった。
彼女は、明るくておおらかで、華のある、忍耐強い人だった。
わたしに足りないもの、全部、持っていて、なのに、わたしに合わせて、隣を歩いてくれる。
わたしは彼女に憧れて、それから、彼女のことをとても好きになった。
結局、彼女とは、六年間、同じ部屋で過ごした。
そうして、いろんなこと、一緒にやった。
喧嘩もしたし、仲直りもしたし、一緒に食べて、飲んで、授業を脱け出したり、勉強したり。
一晩中、悩みを聞いたことも、思ってること、とりとめもなく話し続けたこともある。
どちらかが病気になったときには、どちらかが看病をした。
どちらかに嬉しいことがあったときには、一緒に飛び上がって喜んだ。
こんなに長く、一緒にいた相手は他にいない。
わたしにとって、彼女と離れるのは、からだを引き裂かれるように辛かった。
だけど、彼女の目指す場所とわたしの目指す場所は違っていて、道が分れるのは仕方ない。
わたしは笑って、彼女を送り出そうとしたんだけど。
結局、高等院の寮にいられるぎりぎりまで、離れられなかった。
彼女も、仕方ないなって笑って、ぎりぎりまで付き合ってくれた。
あんなふうに一緒にいてくれる人とは、もう、出会えないんじゃないかなって思う。
学士院の寮は、同室と言っても、それぞれの居場所は、わりときっかり分かれている。
中央に天井まである棚が作りつけてあって、それが、ちょうどいい仕切りになるんだ。
部屋に入ると、左右に分かれていて、寝台と机が、それぞれ設えてある。
わたしは左側の自分の場所に入ると、寝台の上に腰を下ろした。
高等院から持ってきた荷物は、床に置いた箱にまだ入ったままだ。
引っ越しのために七日間の猶予期間があったんだけど。
わたしは結局、その間に、ここには一度も来なかった。
この場所はひどくよそよそしくて、ちょっと寒い。
風邪を、引きかけているのかもしれない。
魔導障壁に護られた島のなかの気候は、一年中、暑くも寒くもない。
大昔には、寒い冬や、暑い夏があったというけど。
今は、一年中、常春、という気候らしい。
わたしは、入学式用の正装を脱ぐと、丁寧に畳んで、魔導転送器のなかに入れた。
こんな正装のような衣裳は、学士院の共有物だ。
滅多に着ないし、汚したりもそうしないものだから、それで構わないと思う。
転送器に入れた衣裳は、洗浄室に送られ、洗浄してから、保管庫に保管される。
必要なときにはまた申請して、そこから取り出すこともできる。
洗浄のときに、もしどこか破損が見つかれば、匠のところに送られて、修理もしてもらえる。
とっても便利だと思う。
それから、荷物を開けて、いつも着ている作務衣に着替えた。
同室人の彼女はお洒落さんで、重ね着する衣や、裳もたくさん持ってたけど。
わたしは、基本、年がら年中、作務衣姿だ。
動きやすいし、手入れもいらないし、とっても楽。
そう言ったら彼女は笑ったけど、別にダメだとも言わなかった。
そういや、明日は括り袴を履いてこい、って一三夜に言われたっけ。
履いてこいもなにも、わたしは、これしか持ってないんだけど。
作務衣の下って、見事に括り袴だった。
動きやすくなったところで、ひとつずつ箱を開けて、ゆっくりと荷物の片付けを始めた。
同室人と比べても、わたしの荷物はとても少なかった。
高等院のころは、同室人の場所に置ききれなくなった物を、わたしの場所に置いていたりしたっけ。
どうせあいてる場所だし、大好きな彼女の物を置くことには、まったく抵抗もなかった。
新しい部屋にわたしの荷物を並べたけれど、棚はすかすかなままだ。
それでも、見慣れた物や使い慣れた物を並べると、自分の場所になったようで、ほっとする。
ちょっとだけ、さっきから感じていた寒気がましになった。
寝台にもたれるようにして床に座ってぼんやりしていたら、眠気がさしてきた。
昨日は、あんまりよく眠れなかった。
彼女とは明け方まで話していて、ちょっと眠ったと思ったら、もう、朝だった。
彼女は先に出ていて、荷物のなくなったがらんとした部屋で、身支度をした。
ここにはもう帰ってこないんだって思った。
正装したら、不思議に気持ちはしゃんとなった。
わたしも、もうちゃんと、一歩、踏み出さなきゃ、って思った。
そうだ、今日の式は、わたしの好きな聖堂であるんだっけ。
鐘の音を思い出して、早く行こうと思った。
これから始まる新しい生活は、不安だったけど。
あなたなら大丈夫、って、彼女は何回も言ってくれた。
彼女とわたしの出会いのような出会いが、またきっとあるから、って言ってくれた。
どんな人と出会えるか、楽しみだね、って昨夜彼女は、何回も何回も言ってくれた。
しんとした聖堂に入ったら、不思議と、心が浮き立つのを感じた。
彼女のかけてくれた大丈夫の魔法が、わたしをしゃんと立たせてくれた。
新しい門出を世界が祝福してくれているような気さえした。
けどまさか、その後、あんな怒涛のような展開が待ち構えているなんて、思いもしなかったけど。
・・・・・・疲れた。
同じ研修生ってことは、明日からも、一三夜と一緒かあ・・・
ふたりしかいないのに、よりによって、その相手が、一三夜だなんて・・・
・・・気が重いなあ・・・
大丈夫、大丈夫、という彼女の声が、どこからか聞こえる気がする。
大丈夫、かなあ?
「・・・・・・ねえ、夏生・・・」
わたしは誰もいない虚空にむかって、彼女の名前を呼んでみた。
その自分の声が、少し遠く聞こえる。
眠い・・・・・・
夢を見た。
たくさんの花の咲き乱れる、永遠の楽園。
白い衣を纏った人が、水盤を覗き込んでいる。
「物質界に存在するものは、すべて、化学変化がその使命だ。
この世界が始まったときから、物質は変化を繰り返し、より複雑な物質へと変化を遂げてきた。
生命活動は、それがさらに複雑なものへと進化した形態。
呼吸をし、消化をし、生きていることそのものが、この宇宙の意思に適うこと。
生まれて、生きて、存在しているだけで、生き物は皆、尊い。」
ゆっくりと話す落ち着いた声。
高過ぎることも、低過ぎることもなくて、耳に心地よく響く。
ああ、そうだ。この声を、わたしはよく知っていたっけ・・・・・・
はっと目を覚ました。
なにか、とても大切なことに気付いた気がするけど。
目を覚ましたときには、もうそれがなにか、分からなくなっていた。
窓の外を見ると、いつの間にか、日暮れが近くなっていた。
思ったより長く、眠っていたかもしれない。
部屋がちょっと薄暗い。
灯りをつけようかな、と思ったときだった。
かちゃり、と音がして、部屋の鍵が開いた。
同室の人が帰ってきたらしい。
挨拶しなくちゃ、とあわててからだを起こす。
はじめまして、って、ちゃんと言わないと。
最初って肝心だ、って、彼女にも、何回も言われた。
ゆっくりと扉が開くと同時に、声が聞こえた。
「うっわ、暗っ。
灯りくらいつけたら?
いるんでしょ?ちーちゃん。」
?????
!!!!!
驚いたわたしは、腰を抜かしたみたいにへたり込んだまま、部屋の入口を凝視する。
仕切りのむこうから顔を出したのは・・・
「な・・・つき・・・?」
「うっふ~。
ちーちゃん、今朝ぶり~。」
こっちに両手を差し出しながら、駆け寄ってきたのは、六年間一緒に過ごした、元、同室人だった。
「偉いぞ、ちーちゃん。
あたしがいなくても、ちゃんと支度して、入学式、行けたねえ?」
夏生は、幼い子どもにするようにわたしの頭を撫でまわした。
「え?あ。うん。
いや、それより、夏生・・・」
「それより、あの大脱走はちょっとすごかったね?
あの後、式場はあなたたちふたりの噂話で、もちきりだったよ?」
「大脱走って・・・なんで知って・・・
って、式場?って、なんの?」
「もちろん、入学式だよ?
結婚式じゃないよ?
あなたたちのはちょっと、結婚式みたいだったけど。」
「へ?結婚式って・・・そんなの、わたし、困るよ・・・
いや、そうじゃなくて!」
「みんなさ、入学式そっちのけで、噂話ばっかりしてたよ。
それにしても、あの、一三夜、って人?すごいねえ?
やっぱ、天才って、常人とは違うんだね。」
「天才じゃなくて、忘れないんだ、って言ってたけど・・・」
「へえ。そうなんだ。
って、もうそんないろいろ話すくらい、仲良くなったの?」
「仲良く、はないよ?」
一三夜は恋人になりたいって言ってたけど、ってのは、流石にまだ言わないでおく。
「それにしても、この鉄壁の人見知りを落とすなんて、一三夜、なかなか手強いやつめ。」
夏生は感心したように頷いてみせた。
「ちーちゃんに目をつけるなんて、見る目あるって褒めてやりたいけどさ。」
「目をつける、って・・・」
「あいつ、絶対、ちーちゃんに気があるよね?
って、まさか、一目惚れ?
うわー、やだー、こいつめー。」
夏生はうりうりとわたしを肘でつつく。
「さっきだって、あんまり周りの中傷が酷いから、あなたのこと、連れ出したんでしょ?」
「え?そうだったの?」
「なんだ、気付かなかったの?」
わたしたちは互いに驚いた顔を見合わせた。
それから、夏生は、さっきより強めに、ぐりぐりとわたしを肘でつついた。
「もうー、このー、幸せ者めー。
愛されてんじゃん。」
いや、もう、一三夜の話しはいいよ。
「そんなことより、どうして夏生はここに?」
わたしは強引に話しを変えた。
「そりゃあ、もちろん。
今日からあたしもここに住むからだよ?」
夏生はさっき扉を開けた鍵を、ちゃらちゃらと振って見せた。
「また四年間、よろしくね?
あ。ちーちゃんのとこに、また荷物置かせてね?」
「あ。うん。
荷物なら、どうぞ、だけど・・・
じゃなくて!
夏生は、学士院には行かないって・・・玉菜畑で、研修生になるんだ、って・・・」
「そうそう。
玉菜畑志望なのは変わんないんだけどさ。
学士院出て資格取ったら、魔導保育器の操作もできるようになるって聞いてさ。
折角だし、そうしようかと思って。」
「柔らかくてあったかい赤ちゃん、たくさんだっこしたいから、早く玉菜畑に行きたいって・・・」
それが夏生の夢だって言うから。
だから、わたし、諦めたんだ。
友だちの夢、邪魔しちゃいけないって思って。
「うん。それは仕方ないよね。
しばらくは、柔らかくはないけど、あったかいちーちゃんで我慢するよ。」
夏生はぎゅっとわたしを抱きしめて、あーあったかい、って言った。
「ちーちゃんも、赤ちゃんたち並みにお世話のし甲斐?あるからさ。
ちーちゃんと一緒なら、まあ、学士院も悪くないかな、って。」
「って、夏生、また一緒の部屋ってこと?
これから四年間、ここで一緒ってこと?」
「だから、さっきからそう言ってるじゃない。」
夏生はからからと笑って、わたしのほっぺたを両手で挟んだ。
「・・・なんで、朝、言ってくれなかったの・・・?」
無理やり変な顔にされながら、わたしは夏生に抗議した。
「だってさあ、ちーちゃんの、悲壮な決意声明?聞いちゃったら、気が変わったなんて言えなくて。
それにせっかく、しっかりするんだ、って自分に言い聞かせてるんだから、いい機会だと思って。
ちーちゃんも、いつかはあたしから卒業して、自分の足で歩いていかなきゃなんだし。
それにさ、お別れだ、って思ってて、また帰ってきたら、ちょっとは喜んでくれるかな、って。」
夏生はわたしの目を覗き込んで、嬉しい?って聞いた。
わたしは精一杯夏生を睨み返して、嬉しい、って唸った。
ぼろっ、って涙が零れたら、ぼろぼろ、ぼろぼろ、止まらなくなった。
「もう、やだ。
ちーちゃん、可愛いっ。」
夏生はそんなあたしの首のところに抱きついて、よしよし、って背中撫でてくれた。
わたしも夏生にしがみついて、ちょっとだけ仕返しに、夏生の衣で涙を拭いた。