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その日、わたしは夏生に頼まれて、ちょっと遠くの店まで買い物に出かけた。
風邪を引きそうだからって、薬粥の材料を頼まれたんだ。
薬粥は、たくさんの木の実や草の実を入れた夏生の得意料理。
ちょっと風邪を引きそうだとか、お腹の調子が悪いとか。
軽い不調は、お医者には行かずに、これを食べて治す。
ただ、それを作るには、手に入りにくい珍しい食材もたくさん必要だった。
大抵はついでのときに買い置きしてるんだけど、たまたま今回、切らしていた。
そういうときに限って、必要になるもんだよね、うんうん。
人力乗騎は晶が乗って行ってしまってたから、仕方なくわたしは歩いて行くことにした。
まあ、歩くとちょっと遠いんだけど。
たまには運動しないと、本当、いろいろやばいし。
商店街をひとり歩きながら、わたしは無意識に、耳をすませていた。
あの、水月の乗騎の、けたたましい制動機の音が、聞こえないかな、って。
前は、水月に会いたくないから、そうしてたんだけど。
今は、なんだか、前とは、ちょっと違う。
けど、結局、商店街を抜けるまで、その音は聞こえてこなかった。
なぁんだ、がっかり~、って思ってから、なんで、がっかり?って思い直す。
最近、わたし、自分で自分の気持ちがよく分からない。
ここのところ、水月は、仕事がすっごく忙しいみたい。
まあ、お隣さんなんだから、用があれば、いつでも行けるんだけど。
わざわざ行く用事なんて、取り立てて、何もないし。
いや、用がなくったって、会いたけりゃ、会いに行けばいいんだ、うん。
って?え?
会いたい?
いやいやいや。べつに、会いたくなんて・・・
会いたい、っかな。
だってほら、いろいろと、言わないといけないこともあるし。
そうだよ、ほら。お礼とか。ごめんとか。
先日のほっぺた事件以来、水月とは会ってない。
あのときのことは、あれから何度も思い返している。
心配そうに覗き込みながら、そぉっとそぉっと、手拭で冷やしてくれたっけ。
手当してくれただけなのに、わたしってば、そわそわしちゃって。
結局、お礼もろくに言わずに、そそくさと、帰っちゃった。
あれはやっぱり、失礼、だったよね。
だけど、今頃になって、謝りに行くのも、お礼言いに行くのも、変だろうし。
もんもん、もんもん、と悩むうちに、日にちだけ経ってしまって、ますます行きにくくなった。
だから、今日は、もしかしたら、って思ってたんだ。
もしかしたら、商店街で、偶然、水月と会えるかもしれない、って。
そうしたら、久しぶり、って、こないだは、有難う、って。
軽く言えたらいいなあ、って。
みすずのくれた薬はすっごくよく効いて、ほっぺたの腫れもすぐに引いた。
なんだか、恨めしいくらい、あっさりその日のうちに治ってしまった。
いやいや。
怪我、治ったら、有難いでしょ。恨めしい、って何よ、わたし。
みすずがわざわざ薬を届けてくれたのも、元はと言えば、水月がみすずに言ってくれたから。
それも、お礼、言わなくちゃ、なんだけど。
いや、そんなことまで、わざわざ水月に言う必要はない?
やっぱり、わたし、最近、なんか、おかしい。
だいだい、なんでこんなに、水月、水月、水月って。
わたしは彼月の恋人でしょ?
あれからも、彼月とは毎日、朝晩、通信で話してるけど。
だんだん、話すこともなくなっちゃってて。
最近じゃ、単なる、定時連絡っぽくなってきてる。
朝。おはよう。元気?今日も一日、頑張って。
夜。お疲れ様、おやすみなさい。
何か、他に書くことないかなって思うんだけど。
取り立てて、事件もないわたしの日常。
朝、起きて、事務所行って、仕事して、帰って、寝る。
ご飯も、毎日、似たようなのばっか食べてるし。
いやこれ、彼月にうっかり報告なんかしたら、またいろいろと、叱られそうだ。
そういえば、怪我したことは、彼月には言いそびれた。
そんなに大した怪我じゃないし。
わざわざ言うほどのこともないだろうし。
もしかしたら、後の月の月の人たちから聞かされたかな、って思ったけど。
彼月も、それについては、取り立てて、何も言わなかったから。
まあ、あえてこちらから言わなくてもいいかな、って。
あんな怪我なんて、その日のうちに治ってたんだし。
彼月の衣の撮影のときにも、これなら、迷惑かけるようなこともないだろうし。
だけど、今日は久しぶりに、遠くへ出かけるなんて、ちょっと変わったことをしているから。
これは、夜の通信の話題になるかな?
けど、夏生が風邪を引きそうとか言ったら、また心配、かけるだろうか。
やっぱり、余計なことは、言わないほうがいいかな。
今夜もまた、お疲れ様、おやすみ、だけかぁ。
・・・なんとなく、気が重い。
恋人って、毎日、通信しないといけないのかな。
どうもそのあたりの、作法?とか、よく知らないんだよね・・・
今度、夏生と晶に相談してみるかあ。
夏生は、長く付き合ってた恋人もいたし。
晶は、学生のころから百戦錬磨だ。
いい知恵を授けてもらえるかもしれない。
しかし、教えを乞うからには、なにか、一席、設けないとね。
うちに、晶、呼ぶかな?
って、そうなると、宴席の料理は、どうしても、晶担当になっちゃうんだよね。
夏生もわたしも、普通にはお料理するんだけど。
夏生はともかく、千鶴にやらせると、いつ手を切るか、火傷するか、はらはらする、とか言われて。
段取りはなってない、手際は悪い、手順も違う、とか、次々とダメ出しされた挙句。
あーもう、お前は邪魔だ、あっち行ってろ、って、いつも、台所を追い出される。
そうして、最後には、結局、晶に全部やらせる羽目になる。
確かに、三人のなかじゃ、晶が一番上手なのは、間違いないんだけどさ。
凝った料理も、品数の多さも、晶にはかなわないし。
晶自身も最初からそのつもりであれこれ持ってくるし。
いやいやいや。師匠、働かせてどうする。
しかし、折角の宴で、千鶴の下手くそな料理食うくらいなら、俺がやる、って。
こうしていても、晶の言う声が、聞こえてくるようだ。
となると、どこか、外か?
夏生も、お金は貯めるばっかりじゃなくて、たまにはぱーっと使えって言うし。
日頃から、ふたりには、ご迷惑をおかけしているのだもの。
ここはいっちょ、宴席を設けて、ご招待、してもいいかな?
そのくらいの蓄えはある、はず。
・・・それなら、水月も呼ぶ、かな。
この間のおむすびの宴はとっても楽しかったし。
そういえば、あのとき、水月が一三夜の衣の写真、持ってて。
それで、後の月の月の人たちと知り合いだったって分かって。
彼月とも、再会できたんだっけ。
あのおむすびの宴は、もうずい分前のことのような気がする。
あのころまで、わたしは水月のこと、苦手だったのに。
あのころから、急に、苦手じゃなくなったんだよね。
水月。
・・・どうしてるのかな。
前は、よく商店街を人力乗騎でうろついてたけど。
最近は、そういうのも見かけない。
あれで、商店街の人たちからは結構、頼りにされてて、修理なんかもよく請け負ってる。
どんなものでも、およそ、魔導、と名の付くものなら、なんでも直してくれる、って。
八百屋のおじさんも前に言ってたっけ。
修理の代金代わりに、玉菜一箱もらった、って、前はおすそわけに来てくれたりもしたんだけど。
うちだって、こんなに玉菜もらっても困るって、返しちゃったりもして。
そうしたら、それを商店街中の飲食店に配って歩いて。
そのお礼に、ひと月くらい、あっちこっちで昼飯ただにしてもらった、って。
そんな武勇伝、語ってたこともあったなあ。
・・・・・・水月のたわいもない話し、わたし、あんまり聞いてないつもりだったけど。
こうして思い出してみると、意外と覚えているもんだ。
なんていうか、水月って、商店街の人たちから、すっごく可愛がられている。
からかわれたり、笑い話の種にされたりもするみたいだけど。
水月のこと嫌いな人って、この商店街にはいないんだよな。
そういえば、水月って、いつからここにいるんだろ。
わたしたちと同級生ってことは、卒業したのも同じころだと思うんだけど。
水月って、うちの事務所の大家さんなんだよね。
それって、あの土地と建物を、その時点で所有してた、ってことだし。
学校卒業したてで、それだけの大金を持ってるなんて、埋蔵金でも掘り当てたのかな。
その辺の話しも、よく知らないなあ。
前に夏生が、事務所探してたら、水月のほうから声かけてきたって言ってたけど。
どういう経緯で、今のところに事務所を借りたのか、実際のところ何も知らないに等しい。
もう、結構、長い間、あの場所で仕事してるんだけど。
もっとも、つい最近まで、わたしは、事務所と家との往復以外、ほとんど外に出なかったから。
わたしの存在すら知らなかった、って人も結構多かった、って後になって聞いた。
宴、には、水月もご招待しよう。
そんで、もっといろいろ、話しをしよう。
わたし、水月のこと、本当に、何にも知らないから。
もっと、知りたい、って思うから。
って、あれ?
水月も呼ぶなら、彼月も呼ばなきゃ?
い、いやいやいや。
そもそも、彼月のこと、相談したいのにさ。
彼月、呼ぶわけにいかないじゃない。
って、あれれ?
なんで、水月も、って思ったんだっけ?
・・・わたし、やっぱり、おかしい。
そっか。水月にも、恋愛指南、してもらったらいいじゃない。
って、水月って、恋人とか、いたことあるのかな?
・・・・・・みすず、とか。
うん。なんか、そんな感じするよね。あのふたり。
水月とみすずって、やっぱり、恋人なのかなあ。
今度、聞いてみようか。
けど、なんか、そうだって、あっさり言われたら、そうか、って、思って・・・
いやあの、だとしても、だからって、その・・・
みすずじゃなくても、あの水月だもの。恋人のひとりやふたり、いるよなあ。
いや、ふたり、はいないか。晶じゃあるまいし。
水月って、優しいし、人気者だし、見た目もそう悪くはないし。
細いけど、背はあるし、なにより、気遣いというか、気配りの権化っぽいし。
ああいう人を恋人にしたいって考える人は、結構、多いと思う。
いやむしろ、今までひとりも恋人がいなかったなんて、そう思うほうがおかしい。
水月とみすず。悔しいけど、すっごくお似合い。
けど、もし、そうなら、水月はもっと、みんなに宣伝して回ってるはず。
だから、きっと、なにか、そうできない事情、みたいなものが、あるんだろうな。
他人が言わない話、わざわざ聞き出すこともないんだけど。
なんだろ、その、事情、って。
いやいや。それこそ、わたしがそんなことに首つっこんでどうする。
自分のこともままならない、恋愛初心者なのに。
自分より上級者のあれこれなんて、何もできるわけない。
歩きながら、次から次へとわいてくる、いろんなもやもやを考えていたら。
いつの間にか、買い物するはずだった店を通り越してた。
いかんいかん。
慌てて引き返そうとする。
そのときだった。
さぁぁぁぁぁっ、と突然の雨。
あれ?今日って、雨天日だったっけ?
すっかり忘れていた。
というか、あんまり外に行かないもんだから、雨天日も気にしてなかった。
魔導障壁の内側は、お天気も操作されてて。
だから、雨はあんまり降らない。
けど、まったく降らないのもよくない、たまには降ってほしい、って人もいるから。
雨天日ってのがあって、それは前もって告知されてるんだ。
前もって分かってるから、その日は、濡れたくない人は、外に出ないし。
どうしてもって人は、ちゃんと傘を持って行く、はず。
わたしのような、うっかり者、以外は。
道理で、さっきから、人通りが少ないと思った。
道行く人たちは、みぃんな、傘を差している。
その間をすり抜けて、わたしは、ぱしゃぱしゃと雨水を跳ね散らかしながら、走っていく。
とにかく早く、お店に急ごう。
雨は次第に本降りになっていく。
予告されてるんだから、文句の言いようもない。
恨むべきは、うっかりした自分。
しかし、運動不足がいきなり走ったら、息がすぐに上がる。
心臓が、ばくばくと激しく動く。
ろくに走ってないってのに。
店は、まだまだ遠い。
頭から次第にずぶ濡れになっていく。
濡れた衣がはりついて、気持ち悪い。
そのうえ、重くて走りにくい。
髪から雫も垂れてきて、だんだん、寒くなってくる。
う。しまった。やばい。
これは、わたしのほうが、風邪、ひきそうだ。
そのときだった。
目の前にいきなり舞い降りた、一台の乗騎。
すぅっと、扉が開いて、中から、声がした。
「早く、乗って。」
え?
乗騎の中からそう言ったのは彼月だった。
だけど、わたし、ずぶぬれだし。
こんな姿で乗ったりしたら、乗騎の中を汚してしまう。
躊躇っていると、いきなり彼月が乗騎から降りてきた。
「いいから、早く。」
彼月はわたしの肩を抱いて、乗騎に乗るように促す。
このままだと、彼月までずぶ濡れになってしまう。
わたしは急いで乗騎に乗り込んだ。




