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聖堂を出たところで、わたしは、じたじたと手足を振り回した。
「とにかく、早くおろしてください!」
あ、はいはい、と一三夜は割とあっさりとおろしてくれた。
もっと早くこうしてほしかったなあ。
あんな、目立つ前に。
目の前でぴったりと閉じられた扉を眺めて、ため息を吐く。
なんだか、世界から閉め出された気分。
一三夜はそんなわたしを見下ろして、さて、これからどうする?と明るく尋ねた。
「・・・もう一度、ここを開けて、中に入るってのは・・・?」
未練がましく見上げたら、ほう、と感心したような目をむけられた。
「あれだけ目立って出てきたところに、もう一度戻ろうだなんて。
あなたって、勇者だね?」
・・・・・・それ、褒めてないよね?
そんなことくらい、わたしだって、分かってますよ。
ただ、やっぱり、諦めきれない。
だって、入学式だよ?
「大丈夫。
入学式出なくても、学士院を追い出されたりしないよ?」
「そりゃ、そうだろうけど・・・」
なんか、晴れの門出に水を差されたみたいで、なんとも、後味が悪い。
「それより、これから一緒にどこか・・・」
「あの!」
言いかけた一三夜をわたしはちょっと強く遮った。
「わたしのこと、どうしてそう構うのか、その意図は分かりかねますけど。
わたしは、あなたみたいな人とは、その、あんまり親しくはなれないというか・・・」
「僕みたいな人?」
一三夜は自分を指さして、きょとん、と首を傾げた。
う。そこ、説明させますか。
「その、わたしとは住む世界の違う人です。」
「僕、異世界になんて住んでないよ?
ちゃんと学士院の学生寮に・・・」
「あ、いや、その世界じゃなくて。
なんというか、身分違いというか、人としての値打ちの差というか・・・」
「この島に身分制度はないよ?
それに、人に優劣はない。
そんなことは、初等院で習うよね?」
「いや、それはそうだけど。」
「適正の違いはあっても、人はみな、尊いものです。
生まれて、生きて、存在しているだけで、尊いのです。
中等院に入ると、最初に習うよね?」
「いや、それも習いましたけれども。」
中等院生だったわたしは、その言葉にえらく感動したもんだ。
そんでもって、持ち物に片っ端からその言葉を書き付けたっけ。
今となってはその、なんだか気恥ずかしい記憶だけれども。
「それに、あなたと僕は、学士院の同級生なんだし。
適正だって、多少は通じるところもあるんじゃないかな?」
「え?あなたも、学生なの?」
驚いて聞き返したら、一三夜は、にっこり笑って、うん、と頷いた。
「え?だけど、あなたはもう、学士院の卒業資格もあって、総合研究院に勤めてる、って・・・」
「ああ。魔導理学と魔導工学に関してはね。
でも、これから四年間、学生やります、って言って、研究所も辞めたんだ。」
「えっ?辞めた?
そんな、もったいない・・・」
思わず耳を疑った。
総合研究院の研究員なんて、なりたいと言って、なれるもんじゃない。
大勢の人が憧れて挑戦するけど、叶うのはほんの一握り。
それを、あっさり辞めたとか、あり得ない。
けれど、それを聞いた一三夜は、わたし以上に驚いた顔になった。
「せっかく、あなたと一緒に学生生活を送る好機だというのに?
もったいないってのは、それを逃すことだよね?
あなたとの時間と引き換えにできるものなんて、この世にもあの世にも、存在しないよ?」
「い、いやいやいや。
卒業資格持ってんのに、もう勉強なんて、いらないでしょ?」
「ああ、それなんだけどさ。
僕も、書記吏員の資格を取ろうと思って。」
一三夜は胸につけた記章をわたしに示してみせた。
それはわたしが胸につけているのとまったく同じ色だった。
「ええっ?
気付かなかった・・・」
「まあ、こんな小っちゃい記章だし。
それに聖堂のなかは、帳で薄暗かったからね。」
いや、それにしても、今の今までまったく気付かなかったとは・・・
一三夜が魔導の研究者だってのは知ってたから、多分、専門もそっちだろうって思ってて。
いや、もしかしたら、先生かもしれないとも思ってて。
だから、わざわざ記章を見たりしなかったんだ。
「・・・先入観って、怖い・・・」
「まったく、その通りだよねえ。
しかし、すごいねえ。
こんなとき、こんなところで、それを悟るなんて。
やっぱり、あなたは素晴らしい人だ。」
ぱちぱちぱちと拍手をされて、わたしはげんなりと一三夜を見上げた。
「わたしのこと、バカにしてます?」
一三夜は、まったく邪気のない目をして、ぶんぶんと首を振る。
「まさか。心から感心したんだよ?」
「・・・・・・。あなたみたいな天才から、そういうこと言われると・・・」
天才、のところに敏感に反応して、一三夜は軽く顔をしかめた。
「僕は、天才じゃない。
ただ、忘れられないだけ。」
「忘れられない?」
「そう。
・・・・・・それが、僕の受けた罰だから。」
「罰?」
さらに深く尋ねようとしたら、一三夜は、さらりと微笑んだ。
「僕は、忘れられない。
眠っても、時間が経っても、たとえ、死んで生まれ変わったとしても。
全部、覚えてるんだ。」
「・・・・・・、生まれ変わっても?」
それって、前世の記憶、とかいうやつですか?
わたしは思わず一歩、後退った。
「・・・あの、わたし、あんまりそういう話しは信じられない、というか・・・」
一三夜はとても悲しそうに微笑むと、知ってる、とひとつ頷いた。
「あなたはいつも、そう言うんだ。
そうしていつも、そんなふうに、僕のこと、不審そうな目をして見る。」
「え?
それって、まさか、わたしと前世で知り合いだった、とか、言います?」
一三夜はわたしをじっと見つめる。
その微笑みは、とても深くて、あたたかかった。
「知り合いなんてもんじゃない。
もっと、深く、強く、絆を結ばれた同士。」
「げげっ。」
思わずもう一歩、後退ったら、一三夜は嬉しそうに笑いながら、ぼろぼろと涙を零した。
「もう、かなわないなあ。
いつも、その反応だから。
だけど、それを見るたび、僕は、嬉しいって思ってしまうんだ。
ああ、また、ちゃんと、あなたと出会えたんだ、って。」
「・・・出会えた?」
「あなたを見つけるために、僕は、記憶を手放さない。
それがどんなに自分を苛むものだとしても。
それでも、あなたをまた見つけたいから。」
わたしを見つめたまま、一三夜はゆっくりと近づいてきた。
食い入るようなその瞳から、わたしは目を逸らせない。
これ以上、踏み込んじゃいけない、と心のどこかで警鐘が鳴る。
なのに、一歩も足を動かせなかった。
「あなたがいなければ、僕に存在する理由なんかない。
もう、何度も、あなたを失うたびに、僕自身もまた、滅んだんだよ。
僕の存在は魂ごと凍り付き、そのまま脆く、崩れて落ちたんだ。
だけど、絶対零度の冷たい闇のなかで、いつも、僕は再生されてしまう。
そうして、気がつくと、いつも、あなたを探し始めている。
永遠に続くこの苦しみの代わりに、僕は願った。
何があっても、絶対に、あなたのことは、忘れない。
あなたを失ったあの瞬間の、苦しみや悲しみに、たとえ永遠に苛まれ続けるとしても。
それでも、僕は、あなたを見つけるためなら、それも全部まとめて背負っていく。」
「・・・え、っと・・・あの・・・」
一三夜の話しは、あまりにも信じられないようなことばかりで。
今すぐそれを納得しろと言われても困るんだけど。
それでも、ただの思い込みの激しい人の作り話とも断じきれなくて。
わたしは困り果てていた。
一三夜はゆっくりとこちらに手を伸ばして、まるで当然のように、わたしを引き寄せた。
「おかえり。
この腕も、この胸も、あなたのかたちとぴったり合わさるようにできているんだよ。」
すっと吸い寄せられるように収まった胸のなかは、どうしてか、とても居心地がよかった。
力づくで動けなくさせられているわけじゃないのに、そこから動けなかった。
まったくもって、こんなこと、あり得ない。
真面目に一歩一歩足元を確かめながら道を歩く。
わたしという人間は、そういう人間だったはずだ。
入学式を脱け出して、こんな誰が通るか分からない場所で、今日会ったばかりの人と。
これまで生きてきた常識を総動員してもあり得ない展開だ。
「・・・ごめん。困ってるね?」
苦笑交じりの声と一緒に、一三夜は自分から、そっとわたしを離してくれた。
「ごめん。
あんまり嬉しくて、急ぎ過ぎてしまった。
あなたは、何も憶えていないのに。
今日、ここでこうしてまた出会えて、はじめまして、から一歩ずつ。
大丈夫。心配しなくていいよ。分かってる。
だけど、今ここでひとつだけ、知っておいてほしいことがある。」
一三夜はわたしの目を覗き込みながら、ゆっくりと言った。
「あなたは、僕のことは、あまりよく知らないだろうけど。
僕は、あなたのことを、とてもとても、よく知っている。
そして、僕は、あなたに、この僕の恋人になってほしいって、心から願ってる。
僕のその気持ちだけは、知っておいて?」
そう言われましても・・・
まあ、言われたからには、知ってはいるんでしょうけど。
「大丈夫だよ。
心配しなくても、あなただって、いつも僕のこと、好きになってくれたから。
今度だって、きっとそうさせてみせるよ?」
いやそれ、一歩間違えると、単なる危ない人だと思うんだけど。
自信たっぷりに笑ってみせる一三夜に、わたしが返したのは、ちょっと引きつった笑顔だった。