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わたしたちが席に着くや否や、厳かな鐘の音が鳴り響き、入学式が始まった。
聖堂に鳴り響く鐘の音はそれはそれは美しく荘厳で、それを聞いただけで涙が出そうになる。
わたし、小さいころは、聖職者になりたかったんだよなあ、なんてことを思い出す。
それもこれも、毎日、この鐘の音を、一番近くで聞けるから。
いつか、自分自身の手でこの鐘を鳴らしてみたい、って、思ってた。
だけど、聖職者ってのは、大勢の前で、立派なお話し、をしないといけない。
それから、悩める人の話しを聞いて、相談相手にならないといけない。
いや、話しを聞くだけだったら、いくらでも聞くんだけど。
それに何かを言うとなると、途端に、わたしには難しくなる。
だから仕方なく諦めた。
鐘、撞くだけの聖職者、とかあったらよかったんだけど。
いや、撞く以外も、毎日、鐘をピカピカに磨き上げるとかなら、できる。というか、やりたい。
一日中、黙々と鐘を磨き続けるなんて、いいなあ。憧れる。
うっとりしかかったところで、はっと我に返る。
いかんいかん。今は鐘の妄想をしてる場合じゃない。
大事な入学式なんだから。
背筋を伸ばして、壇上に集中する。
式はちょうど先生方の紹介が済んで、学長のお話しが始まったところだった。
初等院、中等院、高等院と、入学式と卒業式と、もう六回も経験してきたけど。
学長のお話しって、いつもすっごく長くて感心する。
あんなに長く、よく話せるよなあ。
何、話そうとか、前もって考えてくるんだろうけど。
あんなに話すことを見つけられるのからして、もうすごい。
学長になるには、長いお話しをする才能、ってのも必要なんだろうな。
それにしても。
さっきから、いろんな人が、こっちをちらちらと振り返って見るのが、なんとも居心地悪い。
もちろん、みんな見てるのは、わたしじゃなくて、隣の一三夜なんだけど。
ただの背景に過ぎないとしても、人の視界に入るというのは、どうにも緊張する。
その一三夜はまた、どうしてか、さっきからずっとわたしのほうを見て、にこにこしている。
人を観察するのは好きだけど、人に観察されるのは、慣れてない。
というか、いっつも気配を殺して、誰にも気づかれないで隅にいるのが、得意技だったのに。
なんだってまた、そんなにわたしを見るんだろう。
どこかおかしなところでも、あるのかな。
不安になって、こっそり身形を確認してみた。
今日は大事な式典だから、一応、きちんとした格好をしてきたつもりだ。
袖の長い上衣に、足首まである裳。どちらも洗い張りをして、火熨斗も当ててきた。
髪も朝から三回結い直したし、ちゃんと鏡を見て全身確認もした。
いや、違う。
あれはきっとわたしじゃなくて、わたしのむこうの壁も見てるんだ。
きっと、壁の染みか何かが、すっごく興味深い形だったとか、そういうやつ・・・
ほら、天才の人って、普通の人間には気付けないことにも、気付いたりするじゃない。
恐る恐る、ちらっと目を上げて、盗み見ようとしたら。
ばちっ、と音でもしそうなくらいに、目が合ってしまった。
う。壁の染みって、わたし、でしたか?
・・・・・・。
なんでそんなに見るの?
わたしそんなに物珍しいかな。
珍獣、ではないと思いますけど。
いっそ直接尋ねてみたいけど。そんなことできるはずもない。
うー・・・。
余計なことに気を取られずに、ちゃんと式典に集中しなくちゃ、って思うんだけど。
どうにも落ち着かなくて困ってしまう。
おまけに、ひそひそと話す声まで聞こえてきた。
ねえねえ、さっきから一三夜、あの隣の娘のことばっかり、見てない?
ねえ、ずっと見てるよねえ?
あの娘、一三夜のなんなの?
なんか、ぱっとしない感じの娘だけど。
知り合い?って、まさかねえ。
いやいや。
ぱっとしないなんて、わざわざご指摘いただかなくても、しっかり自覚しておりますとも。
一三夜さん。
あなたのおかげで、わたしまでいらん注目を集めて、非常に迷惑しておりますよ。
わたしはこっそりため息を吐いた。
・・・ふぅ。
いや、いかんいかん。
記録魔導器はため息まで律儀に記録してしまうのよ。
使い始めて初日の記録が、ため息だらけって・・・
後で削除はできるけど、というか、絶対、するけど。
それでも、ため息だらけの画面を見たら、わたしきっと、もう一度、げんなりする。
それが書記吏員の辛いところ、でもあるんだけどねぇ・・・
なにかもっと厳かな式典に相応しい記録を!
晴れ晴れと喜ばしい日なんだから!
そうだ、学長のお話しに、もっと集中しよう!
わたしはもう一度背筋を伸ばし、顔を上げて前を見よう!・・・として・・・
「げげっ!」
奇怪な叫び声を上げ、思わずのけ反った瞬間、折り畳み式の床几がぱたんと閉じて。
おもむろに背中から床に落ちた。
・・・ううう。この折り畳み式の床几、昔から、苦手なんだ。
ちょっと偏って体重をかけたら、すぐに、ぱたんと閉じるから・・・
頭のなかは床几への八つ当たりでいっぱいだ。
だって、さっき見てしまったものが、あまりに意味不明、理解不能で、そっちを考えられないから。
ふと、目を上げた瞬間、視界いっぱいになるくらいすぐ近くにあったのは。
切なそうに微笑む一三夜の顔。
大粒の涙を今にも零れ落ちそうにして、わたしの顔を覗き込んでいた。
なんで?
どうして、そんなふうに、わたしを見るの?
あんなふうに見つめられる理由が、わたしには見当たらない。
今日会ったばっかりで、お互い、見知らぬ同士なのに。
いや、一三夜は有名な人だから、わたしは一方的に、少しは知ってたけど。
一三夜には、わたしを知っている理由なんて、まったく全然これっぽっちもないんだから。
分からない。
・・・わからない・・・
その次の瞬間。
厳かな式典の僅かなざわめきと人熱れのなか、聖堂に響き渡った大音響。
聖堂って、どうしてこんなに音が響くんだろう・・・
さっき以上に、一斉に注目を浴びてしまった。
う。う。う。
もう、お家に帰りたい。
半べそをかきつつ目を開けて、もう一度、ぎょっとした。
え?今、わたし、どうなってんの?
目の前は真っ暗。
というか大きな壁に顔を押し付けられて、ちょっと息が苦しい。
どく、どく、と心臓の音がからだに響く。
うん?
この壁、なんかあったかい?
そういえば、わたし、したたかに背中を床にぶつけたはず。
だけど、不思議なことに、どこも痛く、ない?
「千鶴さん!
怪我は?」
ふいに目の前の壁が退いて、焦った声が降ってきた。
「あ。・・・っと・・・」
わたしは必死に頭のなかを整理して、状況を確認しようとした。
確か、床几が閉じて、背中から床に落ちて・・・
目の前に、普通、そんな場所にはあり得ないような近くに、人の顔があった。
息遣いさえ聞こえるようで、見開いた瞳には、間抜けな顔のわたしが映っている。
え?
いや、近い近い近い!!!
さっきより、近い!!
慌ててのけ反ろうとするけど、背中の後ろには床があって、もう逃げるところがない。
頭の後ろには庇うように腕が回されていて、おかげでぶつけずに済んだみたい。
そうか。
この顔の近さは、わたしの背中に腕を回しているからだ。
どうやら、わたしを庇って一緒に転んでくれたらしい、とようやく理解した。
「あ。あの。・・・どうも・・・有難・・・う・・・
でも、その、そろそろ、退いて・・・」
もらえませんか?まで言えなかった。
一三夜はわたしごと跳ね起きると、その勢いのまま、ぎゅっとわたしを胸に抱きすくめた。
え?あの、ちょっ・・・
「・・・ごめん・・・ごめんなさい・・・
オレのせいで・・・あなたを、傷つけ・・・」
声に涙が混じっている。
もしかして、わたしが怪我したと思って、泣いてる?
いや、泣くほどのことじゃ、ないですよね?
「あ。いや、あの。怪我は、多分、ない、です。
その、庇ってくれた、んです、よね?
お蔭さまで、その・・・助かりました。」
「当たり前のことをしただけ。
そもそも、あなたを驚かせたオレが悪いんだから。」
一三夜はきっぱり言うと、肘のところで、ずずっと涙をすすった。
「くそ。ごめん。オレって、いつも、大事なところで、こんな・・・」
「いや、あの。
ところで、そろそろこの手を離してもらえませんか・・・」
さっきから、きゃあ、とか、いやあ、とか、悲鳴みたいなのが周りから聞こえてくる。
それ以上に背中に刺さる視線が、ちくちくと痛い。
壇上の学長も、何事かと、話しを中断して、こっちをじっと見ているようだ。
だけど、返ってきたのは予想外の言葉だった。
「いやだ。離さない。」
は、い?
今、なんとおっしゃいました?
「もう、離さないよ。」
一三夜はダメ押しするように繰り返してから、わたしを抱えたまま立ち上がった。
「みなさん、大事な式典の最中に申し訳ありません。
彼女を驚かせ、転ばせたのは、僕の失態です。
学長先生、彼女を医務室に運ぶお許しをください。」
朗々と響く声で、そんなことを言った。
え?いや、怪我なんて、してませんよ?
慌てて一三夜の腕から降りようとするけれど、なんだかぴったり収まってしまっていて降りられない。
「無駄だよ。逃がさない。
だから、お願いだから、じっとしていて?」
一三夜は宥めるように優しく言ってから、聖堂中に響き渡る声で言った。
「この佳き日、佳き所、ここから始まる、みなさんと、僕らの時間に、祝福を!」
リンゴ~ン。
そこへ、まるで示し合わせたかのように、鐘が鳴った。
ちょうど時報の鐘の鳴る時刻だったんだ。
それは、たまたまの偶然なんだろうけど、その鐘の音はまるで祝福の鐘のようで、胸がどきどきした。
わあっ、と一斉に歓声が上がり、聖堂を揺るがすように鳴り響く。
それから、割れんばかりの拍手が巻き起こった。
え?いや、なにこれ?
いったい、どういうこと?
「有難う。みんな、有難う。」
いや、なんで、そこで、お礼、言ってんの?
一三夜は、にこやかに周囲を見回しながら、愛想をふりまいている。
それから、そのまま拍手と歓声のなかをゆっくりと歩き出した。
通り道にあたる人たちは一斉に道を開けて、惜しみない拍手を送ってくれる。
みんな眩しいくらいきらきらの笑顔になっている。
いや、なんで、わたしたち、拍手で送り出されてんの?
しかし、この状況。
花道を抱きかかえられて・・・
なんでしょうね、これ、えっと・・・
「結婚式。」
ああ、そう、結婚式!
「えっ?」
わたしは一三夜の顔を見上げる。
一三夜は、にっこにこの満面の笑みで、こっちを見下ろす。
「みたいだね?」
「・・・あ。うん・・・
あ?」
「いっそこのまま、結婚式したことにしてしまう?」
けろっとそんなことを言ってのけた。
「あ、いやいやいや。それは、しません。」
急いで否定する。
なんで、いつの間に、そんなことに、なってんの?
「・・・そっか。残念。」
いや、残念じゃないでしょう?
聖堂の入口のところで、一三夜はくるっと後ろを振り返る。
「みなさんと、そして僕らの前途に、幸いあれ!」
リンゴ~ン。
そこで何故か、再び鳴り響く、祝福の鐘。
わたしたちは、割れんばかりの拍手と歓声とを背負って退場した。