表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
双月記  作者: 村野夜市
3/146

わたしたちが席に着くや否や、厳かな鐘の音が鳴り響き、入学式が始まった。

聖堂に鳴り響く鐘の音はそれはそれは美しく荘厳で、それを聞いただけで涙が出そうになる。

わたし、小さいころは、聖職者になりたかったんだよなあ、なんてことを思い出す。

それもこれも、毎日、この鐘の音を、一番近くで聞けるから。

いつか、自分自身の手でこの鐘を鳴らしてみたい、って、思ってた。


だけど、聖職者ってのは、大勢の前で、立派なお話し、をしないといけない。

それから、悩める人の話しを聞いて、相談相手にならないといけない。

いや、話しを聞くだけだったら、いくらでも聞くんだけど。

それに何かを言うとなると、途端に、わたしには難しくなる。

だから仕方なく諦めた。


鐘、撞くだけの聖職者、とかあったらよかったんだけど。

いや、撞く以外も、毎日、鐘をピカピカに磨き上げるとかなら、できる。というか、やりたい。

一日中、黙々と鐘を磨き続けるなんて、いいなあ。憧れる。


うっとりしかかったところで、はっと我に返る。

いかんいかん。今は鐘の妄想をしてる場合じゃない。

大事な入学式なんだから。


背筋を伸ばして、壇上に集中する。

式はちょうど先生方の紹介が済んで、学長のお話しが始まったところだった。


初等院、中等院、高等院と、入学式と卒業式と、もう六回も経験してきたけど。

学長のお話しって、いつもすっごく長くて感心する。

あんなに長く、よく話せるよなあ。

何、話そうとか、前もって考えてくるんだろうけど。

あんなに話すことを見つけられるのからして、もうすごい。

学長になるには、長いお話しをする才能、ってのも必要なんだろうな。


それにしても。

さっきから、いろんな人が、こっちをちらちらと振り返って見るのが、なんとも居心地悪い。

もちろん、みんな見てるのは、わたしじゃなくて、隣の一三夜なんだけど。

ただの背景に過ぎないとしても、人の視界に入るというのは、どうにも緊張する。


その一三夜はまた、どうしてか、さっきからずっとわたしのほうを見て、にこにこしている。

人を観察するのは好きだけど、人に観察されるのは、慣れてない。

というか、いっつも気配を殺して、誰にも気づかれないで隅にいるのが、得意技だったのに。

なんだってまた、そんなにわたしを見るんだろう。

どこかおかしなところでも、あるのかな。


不安になって、こっそり身形を確認してみた。

今日は大事な式典だから、一応、きちんとした格好をしてきたつもりだ。

袖の長い上衣に、足首まである裳。どちらも洗い張りをして、火熨斗も当ててきた。

髪も朝から三回結い直したし、ちゃんと鏡を見て全身確認もした。


いや、違う。

あれはきっとわたしじゃなくて、わたしのむこうの壁も見てるんだ。

きっと、壁の染みか何かが、すっごく興味深い形だったとか、そういうやつ・・・

ほら、天才の人って、普通の人間には気付けないことにも、気付いたりするじゃない。


恐る恐る、ちらっと目を上げて、盗み見ようとしたら。

ばちっ、と音でもしそうなくらいに、目が合ってしまった。

う。壁の染みって、わたし、でしたか?


・・・・・・。

なんでそんなに見るの?

わたしそんなに物珍しいかな。

珍獣、ではないと思いますけど。


いっそ直接尋ねてみたいけど。そんなことできるはずもない。


うー・・・。

余計なことに気を取られずに、ちゃんと式典に集中しなくちゃ、って思うんだけど。

どうにも落ち着かなくて困ってしまう。


おまけに、ひそひそと話す声まで聞こえてきた。


ねえねえ、さっきから一三夜、あの隣の娘のことばっかり、見てない?

ねえ、ずっと見てるよねえ?

あの娘、一三夜のなんなの?

なんか、ぱっとしない感じの娘だけど。

知り合い?って、まさかねえ。


いやいや。

ぱっとしないなんて、わざわざご指摘いただかなくても、しっかり自覚しておりますとも。


一三夜さん。

あなたのおかげで、わたしまでいらん注目を集めて、非常に迷惑しておりますよ。

わたしはこっそりため息を吐いた。


・・・ふぅ。


いや、いかんいかん。

記録魔導器はため息まで律儀に記録してしまうのよ。

使い始めて初日の記録が、ため息だらけって・・・

後で削除はできるけど、というか、絶対、するけど。

それでも、ため息だらけの画面を見たら、わたしきっと、もう一度、げんなりする。

それが書記吏員の辛いところ、でもあるんだけどねぇ・・・


なにかもっと厳かな式典に相応しい記録を!

晴れ晴れと喜ばしい日なんだから!

そうだ、学長のお話しに、もっと集中しよう!


わたしはもう一度背筋を伸ばし、顔を上げて前を見よう!・・・として・・・


「げげっ!」


奇怪な叫び声を上げ、思わずのけ反った瞬間、折り畳み式の床几がぱたんと閉じて。

おもむろに背中から床に落ちた。


・・・ううう。この折り畳み式の床几、昔から、苦手なんだ。

ちょっと偏って体重をかけたら、すぐに、ぱたんと閉じるから・・・


頭のなかは床几への八つ当たりでいっぱいだ。


だって、さっき見てしまったものが、あまりに意味不明、理解不能で、そっちを考えられないから。

ふと、目を上げた瞬間、視界いっぱいになるくらいすぐ近くにあったのは。

切なそうに微笑む一三夜の顔。

大粒の涙を今にも零れ落ちそうにして、わたしの顔を覗き込んでいた。


なんで?

どうして、そんなふうに、わたしを見るの?


あんなふうに見つめられる理由が、わたしには見当たらない。

今日会ったばっかりで、お互い、見知らぬ同士なのに。

いや、一三夜は有名な人だから、わたしは一方的に、少しは知ってたけど。

一三夜には、わたしを知っている理由なんて、まったく全然これっぽっちもないんだから。


分からない。

・・・わからない・・・


その次の瞬間。


厳かな式典の僅かなざわめきと人熱れのなか、聖堂に響き渡った大音響。

聖堂って、どうしてこんなに音が響くんだろう・・・


さっき以上に、一斉に注目を浴びてしまった。


う。う。う。

もう、お家に帰りたい。


半べそをかきつつ目を開けて、もう一度、ぎょっとした。

え?今、わたし、どうなってんの?


目の前は真っ暗。

というか大きな壁に顔を押し付けられて、ちょっと息が苦しい。

どく、どく、と心臓の音がからだに響く。

うん?

この壁、なんかあったかい?


そういえば、わたし、したたかに背中を床にぶつけたはず。

だけど、不思議なことに、どこも痛く、ない?


「千鶴さん!

 怪我は?」


ふいに目の前の壁が退いて、焦った声が降ってきた。


「あ。・・・っと・・・」


わたしは必死に頭のなかを整理して、状況を確認しようとした。

確か、床几が閉じて、背中から床に落ちて・・・


目の前に、普通、そんな場所にはあり得ないような近くに、人の顔があった。

息遣いさえ聞こえるようで、見開いた瞳には、間抜けな顔のわたしが映っている。


え?

いや、近い近い近い!!!

さっきより、近い!!


慌ててのけ反ろうとするけど、背中の後ろには床があって、もう逃げるところがない。

頭の後ろには庇うように腕が回されていて、おかげでぶつけずに済んだみたい。

そうか。

この顔の近さは、わたしの背中に腕を回しているからだ。


どうやら、わたしを庇って一緒に転んでくれたらしい、とようやく理解した。


「あ。あの。・・・どうも・・・有難・・・う・・・

 でも、その、そろそろ、退いて・・・」


もらえませんか?まで言えなかった。


一三夜はわたしごと跳ね起きると、その勢いのまま、ぎゅっとわたしを胸に抱きすくめた。

え?あの、ちょっ・・・


「・・・ごめん・・・ごめんなさい・・・

 オレのせいで・・・あなたを、傷つけ・・・」


声に涙が混じっている。

もしかして、わたしが怪我したと思って、泣いてる?

いや、泣くほどのことじゃ、ないですよね?


「あ。いや、あの。怪我は、多分、ない、です。

 その、庇ってくれた、んです、よね?

 お蔭さまで、その・・・助かりました。」


「当たり前のことをしただけ。

 そもそも、あなたを驚かせたオレが悪いんだから。」


一三夜はきっぱり言うと、肘のところで、ずずっと涙をすすった。


「くそ。ごめん。オレって、いつも、大事なところで、こんな・・・」


「いや、あの。

 ところで、そろそろこの手を離してもらえませんか・・・」


さっきから、きゃあ、とか、いやあ、とか、悲鳴みたいなのが周りから聞こえてくる。

それ以上に背中に刺さる視線が、ちくちくと痛い。

壇上の学長も、何事かと、話しを中断して、こっちをじっと見ているようだ。


だけど、返ってきたのは予想外の言葉だった。


「いやだ。離さない。」


は、い?

今、なんとおっしゃいました?


「もう、離さないよ。」


一三夜はダメ押しするように繰り返してから、わたしを抱えたまま立ち上がった。


「みなさん、大事な式典の最中に申し訳ありません。

 彼女を驚かせ、転ばせたのは、僕の失態です。

 学長先生、彼女を医務室に運ぶお許しをください。」


朗々と響く声で、そんなことを言った。


え?いや、怪我なんて、してませんよ?


慌てて一三夜の腕から降りようとするけれど、なんだかぴったり収まってしまっていて降りられない。


「無駄だよ。逃がさない。

 だから、お願いだから、じっとしていて?」


一三夜は宥めるように優しく言ってから、聖堂中に響き渡る声で言った。


「この佳き日、佳き所、ここから始まる、みなさんと、僕らの時間に、祝福を!」


リンゴ~ン。


そこへ、まるで示し合わせたかのように、鐘が鳴った。

ちょうど時報の鐘の鳴る時刻だったんだ。

それは、たまたまの偶然なんだろうけど、その鐘の音はまるで祝福の鐘のようで、胸がどきどきした。


わあっ、と一斉に歓声が上がり、聖堂を揺るがすように鳴り響く。

それから、割れんばかりの拍手が巻き起こった。


え?いや、なにこれ?

いったい、どういうこと?


「有難う。みんな、有難う。」


いや、なんで、そこで、お礼、言ってんの?


一三夜は、にこやかに周囲を見回しながら、愛想をふりまいている。

それから、そのまま拍手と歓声のなかをゆっくりと歩き出した。


通り道にあたる人たちは一斉に道を開けて、惜しみない拍手を送ってくれる。

みんな眩しいくらいきらきらの笑顔になっている。


いや、なんで、わたしたち、拍手で送り出されてんの?


しかし、この状況。

花道を抱きかかえられて・・・

なんでしょうね、これ、えっと・・・


「結婚式。」


ああ、そう、結婚式!


「えっ?」


わたしは一三夜の顔を見上げる。

一三夜は、にっこにこの満面の笑みで、こっちを見下ろす。


「みたいだね?」


「・・・あ。うん・・・

 あ?」


「いっそこのまま、結婚式したことにしてしまう?」


けろっとそんなことを言ってのけた。


「あ、いやいやいや。それは、しません。」


急いで否定する。

なんで、いつの間に、そんなことに、なってんの?


「・・・そっか。残念。」


いや、残念じゃないでしょう?


聖堂の入口のところで、一三夜はくるっと後ろを振り返る。


「みなさんと、そして僕らの前途に、幸いあれ!」


リンゴ~ン。

そこで何故か、再び鳴り響く、祝福の鐘。

わたしたちは、割れんばかりの拍手と歓声とを背負って退場した。





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ