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結に寄って、おむすびを買って行く。
水月もわたしも、何も言わなくてもそのつもりだった。
この一年、水月は、すっかりみんなから忘れ去られていたけど。
戻ってきた途端に、何故か、みんなの記憶も戻っていた。
水月は、この一年間は、行方不明だった、ってことになっている。
まあ、当たらずとも遠からず、というところか。
結のご主人は、いつぞやの約束だ、と言って、全種類ひとつずつ、包んでくれた。
水月はお金を払おうとしたけど、ご主人は、頑として受け取ってくれなかった。
その光景を見ていて、わたしは、また、泣きそうになってしまった。
水月はちゃんと帰ってきたんだ、って、こんなことですごく実感した。
大荷物になったけど、魔導乗騎の物入れには、全部入った。
これ一見、人力乗騎なんだけど。
実はれっきとした魔導乗騎で、機能的にも、一通りどころか、実はいろいろ揃っている。
水月って、実は、こういうの作るの趣味なのかも。
ゆっくりと乗騎を走らせると、ショウちゃんも走ってついてきた。
一応、外に出るときには、魔導口輪と結界首輪をつけてある。
ショウちゃんが、人間を傷つけるようなことはないんだけど。
見た目、大きな犬だから、一応、念のため。
ショウちゃんも事情は分かってるのか、おとなしく、つけさせてくれている。
目的地は学士院の裏山。
懐かしい道をてろてろと進む。
道々、いろんな人に声をかけられる。
水月はそれにいちいち答えて、笑顔に笑顔が返ってくる。
それも、懐かしい光景だった。
ところが、大きな道に出るなり、ひと騒動起きた。
「そこの二人乗り~、止まりなさい~。」
そう言って、警吏が追いかけてきたんだ。
「千鶴さん、しっかりつかまってください?」
水月はそう言うなり、乗騎の速度を上げた。
普通の犬の足には出せる速さじゃなかったけど、ショウちゃんもぴったりとついてくる。
流石、ただの犬じゃない。
いや、そうじゃなくて。
おとなしく止まるとばっかり思ってたから、わたしはすごくびっくりした。
「え?え?え?警吏だよ?言うこと聞かなくていいの?」
「これ、魔導乗騎っすから。
二人乗りは、禁止されてません。」
・・・まあ、そうなんだけどさ。
「この速度を見たら、警吏だって、魔導乗騎だと気づきますよ。」
水月はそう言ったけど、警吏はいつまでも追いかけてきた。
「そこの二人乗り~、止まってくださ~い。」
「ちょ、水月、まだ追いかけてくるよ?
いったん止めて、ちゃんと話したほうがいいよ?」
「しつこい警吏っすね。
仕方ない、振り切るか。」
そう言って、水月は乗騎の高度を上げた。
ショウちゃんも、ぴょーんと跳んで、宙を駆け始めた。
いやいやいや。
ここはおとなしく、言うこと、聞きましょうよ?
すると、あっちこっちから、ますます、わらわらと、警吏の乗騎が集まってきた。
「これ、制限高度、越えてるんじゃないの?」
「あ。研究院の許可証、持ってるから、大丈夫っす。」
それ、前に彼月も似たようなこと言ってたなあ。
「にしても、ちゃんと話し、したほうが・・・」
「せっかく千鶴さんとお出かけなのに。
時間を無駄にしたくないんっすよ。」
「あ、ちょっと~、待ってくださいよ~。」
警吏の声がちょっと情けない感じに聞こえる。
ここまでの高度は、よほどの改造乗騎じゃないと出せないから。
流石の警吏の乗騎にも、ついてこられないんだ。
そのとき、ずっと目の下の地上で、こっちにむかって手を振る警吏の姿が見えた。
警吏は一団くらいの人数で、地上からみんな、こっちにむかって手を振っていた。
「水月さ~ん、千鶴さ~ん。
おしあわせに~~~。」
は、い?
「なんだ。こっちの素性、バレてたのか。」
水月はちょっとため息を吐いた。
まあ、この乗騎といい、一緒に走ってるショウちゃんといい、結構、目立つからねえ。
わたしは慌てて、両手を振って応えた。
水月はお礼の代わりに、ぐるっと大きく一回、旋回した。
「最近、あっちこっちで、声、かけられるようになったね?」
「そういうのは、彼月さんにお任せしておきたいんっすけどね。」
水月はやれやれと肩をすくめた。
裏山の桜並木は、ちょうど満開になったところだった。
この間、彼月と来たときには、まだ冷たい風が吹きすさんでいた。
あのとき。
彼月が、信じる、って言ってくれたのを思い出す。
風向きが変わった、というのは、あんな瞬間を言うんだろうか。
なにもかもが、あのときから、いいように動き出したんだ。
今日は風も穏やかで、ほろほろと花びらが舞い降りていた。
水月は舞い散る花の下を、ゆっくりと乗騎を走らせた。
わたしたちは乗騎に横並びになって座った。
なんだか、動く長椅子にでも座っているみたい。
ショウちゃんも、楽しそうに駆けている。
どっちをむいても桜色。
花曇りの雲でさえ、遠くにけぶる薄墨色の桜のようだ。
「みんな、まだ来てないねえ。」
「多少は、気を遣ってくれたのかもしれませんねえ。」
そうかも。
彼月だって、もう来ていてもおかしくないのに、あのでっかい乗騎はどこにも見えない。
わたしは辺りの景色を見渡して、思わず呟いた。
「いつか、結婚式するなら、ここがいいなあ。」
「いいっすねえ。是非是非、そうしましょう。」
ここは、いろんなことのあった場所だけど。
いつか、こんなふうに花の舞い散るなかで。
水月の花嫁になれたらいいなあ。
「それにしても、いつになるやら、だよねえ。」
「あと九百九十九回、彼月さんに、まいった、って言わせないといけませんからね。」
「少しくらい、まけてくれないかな?」
「それは、難しいかもしれませんね。」
ですよねえ?
わたしは水月に隠れて、ちょっとため息を吐いた。
「千鶴さん?」
ふいに名前を呼ばれて振り返ると、水月は、両手に抱えた花びらをわたしの上にまいた。
そのまま水月が、小さく何か唱えると、わたしの周りに、くるくると優しい風が渦を巻く。
風に乗った花びらが形作ったのは、一瞬一瞬形を変える、花の衣のようだった。
「彼月さんの作るもののようにはいきませんけど。」
ううん、とわたしは首を振る。
こんなに綺麗な衣は、きっと、彼月にも作れない。
何故だか、涙が溢れ出した。
水月は優しく笑って、わたしの涙に口づける。
それから、小さな声で告げた。
「この一瞬も、次の一瞬も、その次の一瞬も、世界で一番あなたが大切です。
そんな瞬間を、オレは永遠に積み重ねます。」
???
「もしかして、今、ふたりきりの結婚式?」
すると水月はきらきらした目をして、わたしの目を覗き込んだ。
「いいえ?
こんなの、誓いでも、約束でもない。
厳然たる事実です。
これは、つまり、ただの日常っすよ?」
「日常?」
「日常ってのは、いつも通り、ってことでしょ?」
水月は、くくっ、と肩をすくめて笑った。
「覚悟しておいてください。
オレって、ものすご~く、気は長いんです。
ずっとずっと、これが、いつも通り、です。」
ずっと、ずっと、これが、いつも通り。
わたしは、急にどきどきしてきた。
水月は、なにやらすごく楽しそうに言った。
「結婚式はね、もっと、特別なものでしょう?
もっともっとも~っと、あなたをびっくりさせるような、式にしましょうね?」
いやもう、びっくりはたくさんです。
「いえいえ、もうこれ、じゅうぶん。
うん。なんか、結婚式、もうこれで済んだことにしよう?」
なんか、それでいい気がしてきたよ?
けど、水月は、いいえ、と首を振った。
「なんてことを。
ダメっす。
それは多分、みんな許してくれないっす。
なにより、オレも、納得しないっす。」
「それは・・・」
いったい、何させられるんだろ?
なんとなく、彼月があと九百九十九回を、なるべく粘ってくれたらいいな、って思ってしまった。
水月は乗騎を降りると、わたしに手を差し出した。
「さてと。
せっかくですから、ちょっと、試してみますか。」
試す?なにを?
不思議に思いながらも水月の手を取る。
すると水月は、反対の手を軽く下に向けて振り下ろした。
その掌から、真珠色の粉が、ぱらぱらと地面に落ちていく。
「ショウキ。」
短く水月が名前を呼ぶと、ショウちゃんは、心得たとばかりにその粉を踏み散らかした。
その途端。
ふわっと、舞い上がる風。
その風に、水月は、ひょいと飛び乗った。
水月に手を引かれて、わたしも一緒に風に乗る。
風は、ひゅうと、素晴らしい速さで、並木のなかを吹き抜けていく。
これは、あれだ。
花の竜だ。
水月が笑う。
わたしもつられて、一緒に笑う。
わたしたちの少し後ろを、ショウちゃんもついてくる。
きれいな、きれいな、花の舞い散るなかを。
わたしたちは、一陣の風になって吹き過ぎていく。
昔の人は、桜が咲くのを、すっごく楽しみにしていたらしい。
それは、辛い季節の終わりだから。
新しい季節の始まりだから。
新しい場所って、いろいろと怖い気もするけど。
水月と一緒なら、どこへだって行ける。
だから、その手をしっかりと握って。
わたしは、新しい風のなかへと、踏み出していこう。
花の竜になりながら。
わたしたちは、いつまでもいつまでも、笑い続けていた。
今日は復活祭だそうですね。
桜も咲いたし、日差しも明るいし、ここのところ、なんとなく、春の訪れが嬉しいです。
ここまでお付き合いいただきまして、本当に有難うございました。
あなたの許にも、どうかよい風が吹きますように。




