表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
双月記  作者: 村野夜市
145/146

143

朝食が済むと、彼月は、じゃ、って帰って行った。

というか、通信を切っただけなんだけど。


この通信、受信機のすぐ近くでしか、映像を出せないらしい。

受信機は今、彼月の部屋と水月の店にだけあって。

だいたい、映像化できる範囲は、ぎりぎり、家のなか、くらい。

受信機は持ち歩くような大きさじゃないから。

映像のまま、お花見についてくる、というのはムリらしい。


「腕によりをかけたお弁当、持って行くからね~。」


そうだった。

映像だと、物を持って行く、もできない。

美味しそうなお弁当を見せびらかす、だけになっちゃう。


手を振る彼月の姿が、ふっと消えた。

それにどきっとして、そのままわたしは立ちすくんでしまった。

単に通信を切っただけ、それは分かってるのに。

まるで、彼月が消えてしまった、そんなふうに感じた。


「どうしました?千鶴さん?」


わたしの異変に敏感に気づいて、水月が近くに寄ってくる。

わたしはその胸にいきなりしがみついた。


水月は、ちょっとだけ、驚いたみたいだったけど、すぐにわたしの背中に腕を回してくれた。


「大丈夫。彼月さんは、いなくなったわけじゃないですよ?」


わたしの今一番言ってほしい言葉を言ってくれる。


「・・・ごめん。」


こんなことで取り乱すなんておかしいって、分かってるんだけど。


「彼月の姿が、いきなり、消えたから、その・・・」


わたしの髪を、水月はゆっくり撫でた。

そうして、次になにか言うのを、ただじっと待っていてくれた。


わたしはこの得体のしれない気持ちを、言語化しようと、必死に言葉を探した。


「振り返ったら、水月がいなかった。

 そのときのことを、思い出して、その、怖くなった。

 とてつもなく、怖く、なった。」


人が、突然、前触れもなく、消えた。

正確には、水月は、人、ではないけど。

存在が、突然、消滅する。

跡形もなく。

なにもなかったみたいに。


そのことを、わたしの心は、いまだにこれほどに恐れているんだって、自分でも初めて気づいた。


「千鶴さんの心を、オレ、こんなに、傷つけてしまったんですね?」


水月はため息と一緒に、ごめんなさい、と呟いた。

わたしは、ふるふると首を振った。

そのわたしに、水月は、もう一度、ごめんなさい、と言った。


「あなたのなかのオレを、オレは消すことができませんでした。

 あなたのことを本当に思うなら、全部、消して行くべきだったのに。

 オレは、オレの気持ちを、あなたに押し付けた。」


辛そうに言葉を絞り出すように続ける水月に、わたしは、ただ、ふるふると首を振り続けた。


「どうしても、あなたにだけは、忘れられたくなかった。

 あなたの心のなかに、自分の影を遺しておきたかった。

 憎まれても恨まれても、忘れられるよりよかった。

 けど、それは、あなたをこれほどに深く傷つけてしまった。」


「憎んだり恨んだり、するはずない。」


そこは、黙っていられなかった。

水月は、小さく笑って、そうですよね、って言った。


「あなたは、ただ、いつも、変わらずに、愛を注ぎ続けてくれてましたね。

 どんな状況になっても、あなたは、少しも変わらなかった。

 オレは、完全には消滅していませんでした。

 ただ、ほの明るい場所で、まどろんでいるような、状態でした。

 そのなかで、ずっと、あなたのぬくもりだけ、感じていました。

 あなたを悲しみに突き落としておきながら、自分は、ぬくぬくと幸せでした。

 このまま、ゆるゆると消えていくのも悪くない。

 ぼんやりと、そんなことを思っていました。」


「細愛は、何回も、あなたを置いて逝ったんだよね?」


わたしは、ひとりになったときに何度も考えたことを思い出した。


「多分、細愛は、それが一番いい、って思ってやったんだと思う。

 それが、サイカと寒月のためだ、って。

 だけど、それが、どんなに残酷なことだったのか。

 ようやく、分かった。」


細愛は、何度も何度も、サイカと寒月を苦しみに突き落とした。


「わたしは、自分の罪深さをようやく、思い知ったんだ。」


「オレはね、細愛の悲しみを理解しましたよ?

 自分はどうなっても、愛する人に生きていてほしい、って。

 いっつも、オレは、あなたに先を越されていたけど。

 ようやく、オレも、あなたにもらっていたものを、少し返せた気がしました。」


水月はわたしをもう少しぎゅっと抱きしめた。


「置いて逝くほうだって、苦しい。

 あなたがどんな気持ちで、オレたちを遺して逝ったのか、それもよく分かりました。

 それでも、何を引き換えにしても、護りたい、という気持ちは、オレも同じでした。」


「・・・だけどね、細愛は、それを忘れてしまえたから。

 生まれ変わったら、もう辛いことは、全部、なしになってたから。」


そうなんだ。

水月の背負っているのは、さらにもう一段、深い苦しみだ。

それも、ようやく分かった。


「確かに、忘却はある意味救いです。

 せめて、あなたにその救いがあったのは、本当によかったって思います。」


寒月と細愛は、生まれ変わるたびに、全部忘れてしまう。

だけど、サイカだけは、忘れられなかった。

それをサイカ自身が、強く願ったから。


「・・・なんで、そんな辛いことを、自分に課しているの?」


絶対に忘れない。

サイカが自分に課した願いは、いっそ呪いなんじゃないかとすら思う。


けど、水月は、ふふっ、と笑って、楽しそうに答えた。


「苦しみを忘れることよりも、幸せを忘れないことのほうがずっと大事だからです。」


それは、なんとなく、分かるなと思った。


「そう、だよね。

 わたしも、水月のこと、忘れなくてよかった。

 辛かったし、苦しかったし、みんなからは、壊れた人扱いもされてたけど。

 それでも、なんか、その奥底に、希望、みたいなものを感じてた。」


「あなたがそれに耐えてくれたからこそ、オレは戻ってこられたんですしね。」


そっか。

そう、だよね。


水月が憶えていてくれたからこそ、わたしたちは、またこうして出会えたんだ。


「千鶴さんの綴り続けた言葉が、彼月さんに伝わって。

 彼月さんの呼びかけに、大勢の人が応えてくれた。

 そのおかげで、オレは戻ってくることができたんですよ。」


そうだ。

辛い記憶も。

悲しい思いも。

その先の幸せを連れてくるために、必要なものだった。


「桜は、冬に耐えて、咲くものですねえ。」


「・・・そっか。」


それに、あの綺麗な景色は、たくさんの花が集まって作ってるんだ。

それは、この世界を動かす魔導力と同じだと思った。


なんだか、すごく、桜を見たくなった。


「早く、行こう、水月。」


わたしは顔を上げて水月に言った。

水月も、嬉しそうに、はい、って頷いた。






評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ