141
すぱん。
わきゃっ。
思わず、小さな悲鳴を上げたら、どうした?って、彼月がすっ飛んできた。
「あれ?彼月?
いつ来てたの?」
わたしは振り向いて首を傾げる。
「ってか、いったい何それ?どうしたの?」
わたしの前の惨状を指さして、彼月が大声で尋ねた。
わたしは、あはは、と乾いた笑い声だけ返した。
「千鶴さん?怪我は?」
彼月の後ろから追っかけてきた水月は、彼月をすり抜けて、わたしの手を掴んだ。
「あ。大丈夫。」
急いで答えたんだけど。
その勢いで、手に持ったままだった包丁を振り回してしまって、水月は、わっ、と飛び退いた。
「あ。ごめん。」
「料理なんて危ないこと、しないでください、って、あんなに言ったのに・・・」
水月はため息を吐いて、わたしの手から包丁を取り上げた。
「・・・大丈夫、じゃないだろ、それ・・・」
彼月は呆れたようにわたしの前にあった、調理台だったもの、を指さす。
それは、見事に真っ二つに、すっぱりと、真ん中で切れていた。
「あ・・・っと、すごい切れ味だよね?その包丁。
大根どころか、まな板通り越して、机まで真っ二つ、って。
流石、水月の作った包丁は違うよ。」
「それ、包丁の問題じゃないと思う。」
彼月はばっさり切り捨てると、水月のほうを見て言った。
「千鶴の魔導人形。力加減の微調整、ちろさんに頼んだほうがいいんじゃないの?」
「ああ、それね?
あ、ははは、まあ、けど、もう少し慣れるまで、様子を見て・・・」
「増幅器、強すぎるんだろ。
千鶴は僕より潜在魔導力は大きいんだし。」
「そうなんっすよね?
いや、あの浄化でほとんど使い果たしたかと思ってたんっすけど。
千鶴さんの魔導力、あれからすぐに回復して、また満杯になってるんっすよ。
本当、流石、慈愛の天使。
いや、愛に満ち溢れてる人って、本当にいるんっすねえ。
もう、毎日毎日、こんなに貪ってんのに、すり減るどころか、増える一方。」
水月はなんだか自慢げに言いながら、わたしの肩を抱き寄せて、頭にすりすりと頬ずりした。
「ううう。それにしても、いい匂いしますねえ。
千鶴さんの髪って、柔らかくて、いい匂いがして。
こんな綺麗な髪なら、、抜け毛も一本一本、集めておきたいっす。」
「げ。
気味の悪いことしないでよ?」
思わずからだを引いたら、そのままずるっと水月もついてきた。
元は同じ魔導人形のはずなんだけど。
水月は蛇みたいに細長い上にからだも柔らかい。
それにしても、重心どこにあるんだろ。
「でも、魔導人形は、本体から外れた素材は、もれなく消滅してしまうんで。
残念っす。」
水月はため息を吐いたけど。
いやそれは、とりあえず、よかった。
「おい。僕の目の前でいちゃつくの、禁止。」
彼月はむっとした目で言うと、やれやれ、と真っ二つになった机を見下ろした。
「それより、先に、それ、片付けたら?」
「あ。そうでした。」
水月はわたしから離れると、目の前の机を、ひょい、と持ち上げた。
切れた断面をぴったり合わせてすっと指でなぞると、ぴったり元通りの机に戻る。
最近、家の中の道具は、全部この魔導素材に変えてしまった。
これだと、修理もこんなに楽々だ。
まあ、そのくらいしょっちゅう、わたしが壊すからなんだけど。
「ここまですっぱり切れてると、くっつけるのも楽っすねえ。」
「水月の包丁のおかげだよ。」
「今朝、しっかり研いどいてよかったっす。」
視線と視線が合って、思わず微笑みが零れる。
水月が笑うと、わたしも、自然に笑顔になる。
「まったく、見ちゃいられないねえ。」
彼月はげんなりといった顔でわざとらしくため息を吐いた。
「じゃあ、見てるだけじゃなくて、手伝ってよ。」
わたしは床に散らばったものを拾い集めながら言った。
さっきから、見てるばっかりで、彼月って何も手伝ってくれないよね?
「ああ。彼月さん、今、これ、立体映像なんで、手出しできないんっすよ。」
彼月の代わりに水月が言った。
「立体映像?」
「新しい通信機の実験をね、水月としていて。」
彼月が嬉しそうに説明する。
「これがあれば、仕事がつまってても、部屋にいるまま、千鶴に会える。」
ちょっと思ったけど。
彼月って、案外、出不精だよね。
「通信なら、これまでもやってたじゃない。」
「全然違うよ?
これね、今、僕の意識だけそっちに転送している状態なんだ。
僕もね、今、そこに一緒にいる、って感覚なんだよ。」
「触れない立体映像状態で?
あ。そっか。幽霊みたいなもんか。」
「ちょっと。勝手に殺さないでくれる?」
「あ。生きてるなら、生霊か。」
「・・・そういう例え方は、なんというか・・・
まあ、実際そんな感じなんだけど・・・」
「触覚と嗅覚も完全再現できればいいんっすけどねぇ。
そしたら、幽霊というより、完全に本物と同じになるんっすけど・・・」
水月は腕を組んで考えだした。
「いや、待てよ。魔導陣で転送は可能なんだから・・・」
近いうちに、またなにか、新しい装置でもできるかもしれない。
彼月は床に散らばったものを拾い集めるわたしのすぐ隣にしゃがみ込んだ。
この姿が立体映像だなんてとても思えない。
息遣いも聞こえそうなくらい、彼月そのものに思える。
試しに指を突っ込んでみたら・・・おう!胸の中を、すっと通り抜けた。
「ちょっと、なにするの?
君になら、心臓を射抜かれてもいいけど?」
彼月が笑いながら睨む。
「いえいえ。そんなつもりは毛頭、ありませんっす。」
焦ったら、なんだか水月みたいな言い方になってしまった。
「なんだい、水月みたいな口の聞き方して。」
彼月にも指摘されてしまう。
「う。一緒にいると、口癖とか、うつるのかも?」
そう返したら、また、げぇ、って顔された。
「やっぱ、もうそろそろ、帰るかなあ。
ここにいてあてられっぱなしってのもねえ。
なんだかお腹いっぱいになってきた。
そういや、千鶴、これはなに?なんの料理しようとしてたの?」
彼月は床に散らばった大根の欠片を見て首を傾げた。
なんだ、帰るんじゃなかったの?
「煮つけ。明日、持って行こうと思って・・・」
うっかり正直に言いかけて、あ、しまった、って思って口を押えたけど。
もう遅かった。
「持って行く?って、どこへ?
お弁当作ってどこ行くの?」
すさまじい勢いで尋ねだす。
立体映像から風でも吹き出してきそうだ。
「・・・どこ、って・・・ちょっと、外へ・・・」
「外?どこか外へお弁当持って行くの?
ずるい。そんなの、僕も行きたい。
お弁当、作って行くから。
僕も混ぜて。てか、混ぜろ。
ま~ぜ~ろ~~~!!!」
じたばたと子どものように暴れ出した。
と言っても、立体映像だけど。
「・・・桜がさ、咲いたから。
お花見に、行こうか、って。」
仕方なく正直に言う。
水月がむこうで苦笑している。
ふたりで行こう、って。
だから、夏生にも彼月にも内緒ね、って。
そう約束してたんだけど・・・
やっぱり、ばれちゃったか。
わたしって、隠し事、へたなんだよなあ。
「分かった。
夏生と晶には僕から連絡しておく。
あ。ちひろたちも呼んでいいよね?」
彼月、出不精じゃなかったみたい。
というか、なんだその、手回しの速さは。
「仕事、忙しいんじゃないの?」
「大丈夫。
徹夜してでも、間に合わせる。
晶だって、そうするだろうよ。
ちひろたちもね。」
みんな、遊びがかかると、いきなり仕事の効率がよくなるんだよね。
あーあ。
明日は久しぶりに水月とふたりで、あの桜並木に行こうって約束してたんだけど。
みんなも来ることになってしまった。




