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そして、とうとう、千の鶴の祭り、当日がやってきた。
去年は蝕になったけど、今年はそんなことはないらしい。
もうあんまり変わったことはないほうがいいなと思っていた。
お天気は、まずまず。ときどき曇るけど、雨は降らなさそう。
朝から、少し強い風が吹いていた。
春一番になるかもしれない、と予報で言っていた。
街のあちこちの会場で、賑やかな祭典が開かれていた。
料理や遊戯の出店もたくさん並ぶ。
人々の歓声や、笑い声。
いつも通りの街のなかに、晴れやかで浮き立つような気分が満ちていた。
いろんな人から、お祭りを一緒に過ごそうって誘ってもらっていたけど。
そのどれも、わたしは断ってしまった。
今日は。今日だけは。ひとりで過ごしたかった。
いや、ひとりじゃないか。
ショウちゃんは、いつも通り一緒だったから。
あの朝と同じ時間に起きて、水月とふたりでとったのと同じ朝食をとる。
それから、あの朝と同じように、歩いて出かけた。
鍵は、植木鉢の下に置いて。
少しでも長く、ふたりきりになりたい。
そんなことを言われて、なんだか、ちょっと嬉しいって思っちゃったっけ。
だけど、水月は、暗黒竜になって・・・
あのとき、水月の魔導人形は壊れてしまった。
水月は、器なしには、この世界に長くとどまることができない。
それは聞いていたはずなのに。
どうして、あのとき、気づかなかったのかな。
もっとも、気づいていたとしても。
あのときのわたしに、それに打つ手があったかどうかは分からない。
成す術もなく、ただ、おろおろと嘆き悲しむうちに時間切れになっていたかもしれない。
それにあのときには、もっと急いでやらなければならないことがあった。
水月の存在がまだ在るうちに、この世界に満ちた瘴気を浄化しなければならなかった。
水月は当然のように、わたしをそう導いたし、わたしも、当然のように、それに従った。
わたしって、いつも、そうだ。
肝心なときに、自分から、自分の足で、踏み出せなくて。
なんとなく、手をこまねいているうちに、いつも手遅れになる。
一三夜を失ったときも、そうだった。
ただ、おろおろするばっかりで、一三夜を助けることもできなくて。
そして、そのときのことをずっと後悔しながら、めそめそと泣き暮らしていた。
わたしの人生はもう終わって、後は余生なんだって、思ってた。
でも、本当に、そうだったのかな。
本当のところは、全然違ってたんじゃないかな。
わたしが、もっとちゃんと周りを見ていれば、もっと早く気づけたのかもしれない。
ずっと、傍にいてくれた水月や。わたしを探そうとしていてくれた彼月の存在に。
あのときだって、ちゃんとよく考えていたら、なにか、打つ手はあったのかもしれない。
この世界に水月を残す方法も。
彼月や、水月や、夏生や、晶。後の月の月の人たち。
わたしの周りにいる人たちは、みんな自分から動ける人ばかり。
わたしはいつも、その人たちに、なんとなく、お任せしてしまう。
みんな、わたしには、何もしなくていい、って言う。
もしかしたら、それって、何もしないほうがいい、ってことなのかもしれないけど。
下手なことをして、もっとまずい結果を招くくらいなら、じっとしてろってことかもしれないけど。
だけど、もし、精一杯、自分から、なにかをしたとして。
それでも、うまくいかなかったとしても。
今ほど、後悔はしないんじゃないかな。
力を出し切って、それで、届かなければ、もっとちゃんと諦められるんじゃないかな。
自分から何もしないから。
だから、諦めることも、諦めないことも、選べないんじゃないかな。
今もわたしは、こうして生きている。
ずっと、うずくまっていたけど、動き出す力だって、きっとある。
水月って、おしゃべりなのに、肝心なことは言ってくれない人だった。
いっつも、一番、辛いことは、秘密にしていて、こっそり、自分ひとりで背負う人だった。
わたしは、そんな水月のこと、いつも、どこか不安に感じていた。
いつか、こんなふうに、わかれわかれになるような、そんな気がしていた。
なのに、わたしは、結局、その自分の不安をどうにかしようと、一歩踏み出すことをしなかった。
水月は、多分、こうなることを分かっていたと思う。
そして、それを、受け容れるつもりだったんだと思う。
というか、もしかしたら、水月は、それが一番いい、って思ったのかもしれない。
彼月とわたしは、元々、ひとつの魂で。
だから、元通り、ひとつに還るべきだ、って。
水月は何度もそう言った。
望の魂が、彼月とわたしのふたつに分れてしまったのは、自分のせいだから。
だから、元通りに還さないといけない、って思ってたみたいだった。
だけど、彼月とわたしは、多分、もう、ひとつに還る同士じゃない。
ふたりいて、ひとつのまるになれるって、思えるのは、水月だけなんだ。
わたしは、彼月のこと、大切な人だって思ってる。
すごいって思うこともたくさんあるし、尊敬できるし、信頼もしてる。
だけど、それは、水月に思うのとは、違う。
晶も夏生も、後の月の月の人たちも。
どんな人も大事だと思うけど。
水月だけ、その誰とも違っていて、特別なんだ。
この世界のありとあらゆる人の幸せを願っていたはずの天使。
たったひとりの人だけ大事になって、天使の資格を失った。
だけど、それは後悔しない。
どうしても、後悔できない。
そのくらい、もう、わたしには、水月は特別。
わたしは、足りないところだらけだから、これを埋められる人なんて、多分、存在しない。
わたしとひとつになって、完璧なまるになれる人なんて、世界中探したって、きっとどこにもいない。
だけど、わたし、たとえ不完全でも、水月となら、まるくなれる。
足りないところ、いっつも出遅れて、後からせっせと埋めるんだろうけど。
遅れても、気付いたところから、埋めていこうって思う。
水月は、この世界から、自分のいた痕跡を綺麗に消して行った。
なにもかも、なかったことにしていった。
だけど、どうしてか、わたしの中の水月は消さなかった。
消せなかったわけじゃないと思う。
消すこともできたのに、きっと、消さなかったんだと思う。
それは、きっと、消したくなかったからだ、って。
そこにはきっと、水月の気持ちもあるはずだ、って。
ものすごーく、根拠も弱いし、ご都合主義かもしれないけど。
わたしは、その考えにしがみつくことにした。
水月が、わたしのこと、憎いとか、嫌いとか、疎ましいとか、そう思ってるわけじゃないなら。
彼月に任せようっていうのは、彼月とかわたしのためだ、って。
水月がそう望むからじゃないんだ、って。
いや、そのへんは、もう一度会ったら、念のため、ちゃんと確かめるつもりだけど。
だから、わたし、水月を探そう、って決めた。
この世界に溶けてしまった、優しい竜を。
いろいろはっきりさせて、本当の気持ちを伝えて、本当の気持ちを聞くために。
もしかしたら、その結末は、わたしの望むとおりじゃないとしても。
だとしても、また手をこまねいて、じっとうずくまって、めそめそと後悔ばかりしているくらいなら。
きっとまだ、水月はこの世界にいる。
彼月は、水月のこと、見つけてあげる、って言ったけど。
わたしは、自分で探したいって、探さないといけない、って、思った。
この一年間、いろいろあった。
わたしの話しは誰にも信じてもらえなくて。
全部、嘘だ、って。架空の物語だ、って。
周りのみんなに言われ続けた。
今までのわたしなら、もしかしたら、みんなの言うほうが正しいんだ、って、思ってたかもしれない。
だけど、どうしたって、そのみんなの言うことは、受け容れられない。
みんながそう言うのに、違うって思うのは、わたしだけなのに。
それでも、わたしは、ちゃんと知ってるから。
水月が、この世界に、確かに存在していたことを。
だから。
一年かけて。やっと決心した。
これだけの時間をかけてしまったけど。
それでも、前回に比べたら、格段に進歩しているとは思うんだ。
水月を、探そう。
きっと、見つかる。
だって、水月は、確かにこの世界にいるはずだもの。
誰かほかの人のために、わたしは、白い鶴を、千羽、折った。
それから、自分のためだけに、鶴を一羽、折った。
その鶴を軒先に吊るしたとき、わたしは、今、すごく大きな一歩を踏み出した気がした。
最後の鶴の羽に、わたしは願いを込めて書いた。
水月にまた会えますように。
今日は、千の鶴の祭り。
今年はきっと、そんなに特別なことなんて起きないと思う。
そうそう毎年、大事件ばっかり続くのも、その、いろいろと、困るし。
でも、わたし。このお祭りに祈る。
たった一枚だけだけど。鶴に、願いを書く。
そして、今日、大いなる一歩を、踏み出す。




