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双月記  作者: 村野夜市
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怪物の顎のなかで、いきなり、無数の真珠色の折鶴がはじけた。

それは、ばらばらに咬み砕かれた水月だった。

わたしは、なにもできないどころか、声も出せなかった。

息をするのすら忘れて、ただ、その様子をぼぅっと見つめていた。


多分、それはそんなに長い時間じゃなかった。


次の瞬間、いろいろなものが込み上げた。

無意識のうちに、鶴から飛び降りようとした。

けれども、鶴の背には強い結界が張り巡らせてあって、わたしは身動きできなかった。


遅れて、胸の奥から、細い悲鳴が上がってきた。

細い細い絹糸のような悲鳴は、一度せり上がると、そのままほとばしった。


僕の存在は魂ごと凍り付き、そのまま脆く、崩れて落ちた・・・


前に水月の言った言葉を思い出した。

そうか、こういうことか、と実感した。


凍り付きたいと思った。

そのまま崩れ落ちたいと思った。

けれど、何も、起きなかった。


かたかたと、震えだした。

ひどく、寒く感じた。

なのに、からだは、燃えるように熱かった。


すると、そのからだが、するすると解け始めた。


砕け散るというより、解けていく、感じだった。

複雑に絡み合って、わたしを作っていた糸が、するすると解けていく。

それはもう、小気味いいくらい、もつれることもなく、綺麗に解けていった。


前に一度、解けかけたときとは違う。

あのときのような多幸感はない。

ただ、投げ遣りな、もう、どうでもいい、気持ち。

それは、わたしをわたしたらしめようとしていた外枠のようなものを、全部、打ち消した。

わたしは、ゆっくりと、わたしの形を失っていった。


解けた糸の端から、崩れて、さらさらした金色の砂になった。

砂は怪物に降りかかり、金色の獣がそこに姿を現した。


姿を現した金色の獣は、ひどく苦しみ、のたうち回っていた。

けれど、そんな様子にすら、わたしはなんの感慨も抱かなかった。

心には、なんの感情もわいてこない。

否、多分、もう、心すらも、消えてしまったんだと思う。


憎しみも悲しみも、何も感じなかった。

ただそこにあるのは、たった今、水月が失われてしまったという現実だけだった。


ああ、そうか、と思った。

水月のいなくなった世界なんて、わたしにはもう、どうでもいいんだ。


水月がいるから、護りたかった。

そのためなら、命と引き換えになってもよかった。

だけど、水月がいないなら。

もう、この命も、この世界も、いらなくなった。


こんなの、天使じゃない。

天使というのはもっと、みんなの幸せを祈れる存在だ。

心の奥底から、みんなの幸せとこの世界のことを護りたいと思える存在だ。


確かに、わたしの力は、魔導障壁を作ってきたかもしれないけど。

それも全部、わたしは、みんなのためじゃなくて、水月のためにやってたんだ。

いや、違う。

水月のことを好きな、自分のためにやってたんだ。


自分の罪を水月に押し付けちゃいけない。

だって、それは全部、わたしはわたしのためにやっていたんだから。


細愛は、もうとっくに、天使の資格を失くしていた。

水月ひとり、サイカひとりだけ、大切になったときに。


資格はないのに、魂に力だけ封じられていて。

資格はないから、その力は自由には使えない。


なんて、哀れな、情けない、元天使。

いや、もしかしたら、細愛は、寒月と分かれたときから、もう天使じゃなかったのかも。


望や彼月を見ていて思う。

天使というのは、ああいう存在のことだろうって。

どうして自分はあんなふうじゃないのかな、ってずっと疑問に思っていたけど。

そもそも、わたしは最初から、望や彼月と同じものじゃなかったんだ。


ごめんね、水月。

水月はわたしのこと、天使だ、って何回も言ってくれてたのに。

とんだ堕天使だったね。


涙は出てこなかった。

ただ、金色の砂だけ、わたしから零れ落ちていく。

せめて、この力が、最後になにか、お役に立てればいいんだけど。


水月はもういないのに。

世界を護ったところで、瘴気を打ち消したところで、この世界にもう水月はいない。

だからもう、世界を護りたいとも、瘴気をどうにかしたいとも、思わない。


だけど、わたしはもう、これ以上、ここにはいられないから。

解けたわたしの力だけ遺るのなら。


わたしは両手を合わせて祈った。


神様がもしいるのなら。

わたしのこの力を。

どうかどうかよいことに使ってください。

わたしには、自分の力を、本当にみんなのために使うことはできない。

預りものの力を、自分のためにしか使えない、愚かな堕天使です・・・


―― あなたは何も悪くない。

    それも全部、オレという魔物のせいなんです。


突然、聞こえた声に、はっとした。

きょろきょろと見回す目に、傍らに浮かんでわたしの背に手を置く姿が見えた。


「・・・み、づき・・・?生きて?」


他に言葉は出てこなかった。

ただ、ほろほろと、勝手に涙が溢れ出てきた。


「オレは、死にません。

 いつか、滅ぶ、ときはきますけど。

 死、というのとは違います。」


水月はわたしを背中から抱きしめた。

水月の真珠色の光がわたしを包み込んで、わたしを真珠色に光らせた。


「千鶴さん。お願いだから、生きていてください。

 あなたに生きていてほしい。

 オレは、ずっとずっと、そう願い続けてました。

 どうか、今こそ、その願いを叶えてください。」


そう言われる前に、解けるのはぴたりと止まっていた。

ぱらぱらと零れ落ちる砂も止まっていた。

なんて都合のいい、と我ながら呆れたけど。

わたしは、もっとここにいたい、と思っていた。


水月の腕のなかで、わたしは、わたしの形を取り戻していた。


「よかった。」


水月は本当に嬉しそうにそう言った。

水月に喜んでもらえるなら、よかったって思った。


水月は全身が淡い真珠色に輝いていた。

その手をすっと伸ばすと、綺麗な細い指をぱちんとはじく。


すると、金色の獣のからだのちょうど真ん中あたりに、ぼっと、真珠色の火が灯った。

金色の獣は、細く微かな声で、遠吠えのように叫んだ。


どこからか強い風が吹いてきて、辺りに漂う金色の粉を吹き散らしていく。

わたしを乗せた鶴も、ゆっくりと地上に降りていった。


地上にいたのは、全身金色の毛に覆われた大きな犬くらいの獣だった。

獣はくりくりとした目をしていて、わたしにからだを擦りつけた。


やわらかい風が吹いていた。

とても心地いいと思った。

なんだか、からだが少し軽くなった気がした。


はっとして、辺りを見回した。

けれど、隣にいたはずの水月の姿は、どこにも見えなかった。











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