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双月記  作者: 村野夜市
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真珠色の鶴は、いきなり、じゅっ、と消滅した。

その辺りに、瘴気の怪はいるらしかった。

水月は油断のない目をして、じっと、宙を見据えていた。


瘴気の怪とは、いったい、どんな姿をしているんだろう。

わたしの目には何も見えない。


けれど、次の瞬間。

水月の指先から、真珠色の鶴が一斉に飛び立って、その周りへと群がった。


折鶴が象ったのは、大きな獣の影だった。

人よりはるかに大きなその影は、森の木々に遮られることなく立ち塞がっていた。

実体のない影なんだ。

犬のようにも、猫科の猛獣のようにも見える。

四つ足のしなやかな肢体。敏捷さと速さを兼ね備えたような姿をしていた。


瞳のない怪の目は、何故か、わたしを真っ直ぐに見つめていると分かった。

怪はわたしを背に隠す水月には目もくれずに、ただひたすらに、わたしを見ていた。

わたしを手に入れれば、満たされる。

水月のさっき言ったことを思い出した。


不完全な欠乏状態。

満たされることだけを、ひたすらに求めるもの。


けれど、どうしてか、その気持ちは分かる気がした。

ほしくてほしくてたまらない。

どうしてもどうしても、叶えたい願い。

そういうものは、わたしにもあると思った。


たとえば、水月。

水に浮かぶ月のように、すぐ近くにあるように見えるのに、手を伸ばすとすっと遠退く。


もっと近づきたいのに。

ずっと傍にいたいのに。

こんなに近くに見えるのに。


どうしたって、届かない。


それは、水月のせいじゃなくて。

そういう人を好きになってしまったわたしのせいなんだけど。


どうしたって満たされない。

存在の初めから、そう決まっていたみたいに。

それをいったいどうすればいいんだろう。

どうにもできない、例えば、運命のようなものに、逆らう方法なんて、あるのかな。


この世界に生まれたときから。足りなくて、満たされなくて。

完全なまるになりたいって、望んで、望んで、望んだ。


一三夜は言った。

まるい月になりたい、って。


わたしたちは、みんな欠けた月なのかもしれない。

満たされない影を、満たす光を求め続ける。


わたしでいいなら。わたしで満ちるなら。

どうぞ、いいように使ってください。

怪を見ていると、ふと、そう思ってしまう。

多分、水月には叱られるけど。


水月はわたしのほうに向かって手を差し伸べた。

指先から生まれた折鶴が、わたしの傍らに立って、大きく大きくなった。

その背に乗れるくらいに。


「その鶴で、空に逃げて。」


休みなく折鶴を怪に向かって投げながら、水月が言った。

折鶴は、怪に触れては消滅していく。

ただ、消えても消えても、水月の送り込む鶴は、怪の形をくっきりと見せ続けていた。


「四つ足の獣ならば、飛ぶことは叶いません。

 宙を飛べば、安全だから。」


わたしはすぐさま、鶴の背に飛び乗った。

水月に余計な負担はかけたくない。

わたしを護りながらじゃ、水月だって、満足に戦えない。


鶴は、わたしを背に乗せて、空高く飛んだ。

折鶴のかくかくとした背中は、さぞかし固いように見えたけど。

実際に乗ってみると、乗騎に乗るのとさほど違いはなかった。

これは竜の鱗の魔導道具だから。

見た目と使い心地は違っても当然かもしれない。


高いところから水月と怪の戦いを見下ろす。

手の届かないところに逃げてしまったわたしを諦めて、怪は、目の前の水月に集中していた。


怪が水月に襲い掛かる。

それをぎりぎりまで引き付けてから、水月は、さらりと、髪一本の差で避ける。

さらり。さらり。

確実に届くかと思えた牙は、いつもなんの手応えもない。

そして、簡単に倒せそうな敵は、涼しい顔をしてこちらを見ている。

牙の届かない怪の苛立ちは、手に取るように分かった。

対する水月は、まったく息も乱さずに、平然としたままだった。


前言を少しだけ、撤回しよう。

水月は、戦いにはむいてないかもしれないけど。

思ったよりは、弱くはなかったかも。


敵が体勢を崩す隙を見ては、真珠色の鶴を送り込む。

真珠色の鶴は、怪にいっせいにまとわりつき、その動きを封じ込む。

そして、少しずつ、少しずつ、その力を削っていく。


ざしゅっ、ざしゅっ、と鶴が消えるたびに、怪も少しずつ少しずつ、小さくなっていく。

鶴は、もう、どのくらい消されてしまったのだろう。

だけど、怪は、確実に、最初のときよりも、弱体化していた。


水月との戦いを続けながら、怪も少しずつ、悟ったようだ。

この敵には、正面からぶつかっても、勝てはしない。

むしろ、一瞬の隙を突いて、確実に、留めを刺す以外に勝つ方法はない、と。


むやみやたらと攻撃するのをやめて、怪は、じっと水月を観察していた。

油断なく見つめるその目を、水月は、相変わらず涼しい顔をして眺めている。


けれど、そのとき。

どこからともなく新しい瘴気が集まってきた。

それは小さく弱くなっていた怪を、再び、強く巨大な怪物に変えた。


わずかに、水月の目から、余裕が消えた。

それはほんの一瞬のことで、すぐにまた水月は落ち着いた目に戻ったけれど。

この事態は、水月にも予想外で、そして、けっこうまずいらしい、とは感じ取れた。


「・・・これじゃあ、きりがない、か。」


けれども、水月は、肩をすくめるようにして、くくっ、と笑った。

それから、目の前の怪に笑いかけた。


「あんたの気持ち、オレにはよく分かる。

 オレたちは、本来、敵味方じゃなく、同じことを願う同士のようなものなんですよ。」


ゆらぁり、と水月のからだが揺れる。

水月は、ゆっくりと怪にむかって近づいていった。


「かわいそうに。

 あんたも。オレも。

 願ってはいけないものを、切望する。

 からだを引き裂かれ、内側を掻きむしるほどに念じても。

 それは、決して、叶わないのに。」


水月は、怪の方へ手を差し伸べる。

ゆっくりと。優し気に。あまりにも、無防備に。


「あんたに、あげましょう。

 この世で最も、辛く、苦しく、尊いものを。」


近づく水月を、怪は、その大きな咢にかけた。






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