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双月記  作者: 村野夜市
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しがみついて泣くわたしの頬に、水月はそっと口づけた。

どきっとしたけど、そのままじっとしていた。

すると、何を思ったか、今度はいきなり、ぺろっとなめた。


「え?ちょっ、なめた?」


びっくりしてからだを離して、まじまじと顔を見つめたら、くくっ、と楽しそうに笑った。


「すいません。特効薬、ひとつ、いただきました。」


あ・・・

前にもそんなようなこと、言ってたっけ?


水月は片方の腕にわたしを抱えたまま、器用に、もう片方の手でわたしのほっぺたを拭った。


「オレのこと思って泣いてくれた涙は、格別に甘い味です。」


そう言ってわたしを見つめる瞳に、金の光が揺れる。

いったんぎゅっと握った掌をもう一度開くと、ころころと透明な玉がいくつも握られていた。


「これは、いざというときの、非常用にしましょうかね?」


そう言って、懐の隠しに、大事そうにしまい込む。


なんだか、採取されてる気分になってきて、涙は止まってしまった。

水月は、くくっ、と笑ってから、わたしを両手で高く持ち上げて、下から見上げた。

わたしの後ろにはお日様があって、だから、金色の瞳をちょっと眩しそうに細めている。


「大事で大事で、どうしようもないくらいくらい大事で。

 なんでも、どんなことでも、してあげたいと思うのに。

 このからだも、命も、もらってくれるものなら、すぐにも差し上げましょう。

 あなたになら、なんだって惜しくない。

 そんな人が、オレのことを、心配してくれる。

 オレが傷つくのを恐れて、涙まで流してくれる。

 こんな幸せをもらったら、もう、なにも要りませんよね?」


「・・・もう、なにも、要らない?」


水月って、つくづく、欲がないんだ、って思った。


「わたしは、そんなことない。

 もっと、この先もずっと、水月と一緒にいたい。

 水月と一緒の時間が、たくさん、たくさん、ほしい。

 もっともっと、たくさん、ほしい。」


わたしは、欲張りなのかな。

だけど、もう何も要らない、って言われたことが、辛かった。


「・・・水月には、そう思ってもらえないのかな・・・

 時間は、もう、いらない?ほしくない?」


水月ははっとした顔をして、それから、丸くした目でわたしをまじまじと見つめた。


「なんということを。

 魔物にもっと欲をかけとおっしゃいますか。

 骨の髄まで呪われてしまいますよ?」


「水月の呪いなら、むしろ、かけてほしいよ。」


ぐっ。

水月は息を呑んだまま、何も答えなかった。

だから、わたしはもう一度、繰り返した。


「・・・呪いだろうと、魔導だろうと。

 水月にならかけてほしい。」


「・・・い、いやいやいや・・・いやいやいや・・・」


水月は、いやいや、と果てしなく繰り返しながら、わたしから顔を背けた。


「いけません、って。

 目をお覚ましなさいませ。

 あなたは、天界の天使で、陰から世界を護り続けた聖女ですよ?

 かたやオレは、天界をぶち壊し、世界を混乱に陥れた災厄そのものなのに。

 この上、天使までたぶらかした日には、最凶最悪の魔物の誹りを免れません。」


「誰が誹るのよ・・・」


少なくとも、今の水月には、感謝こそすれ、非難する人なんて、いないでしょうよ。


「誰も、そんなことしないと思うけど。

 そんなの、非難するほうが間違ってると思うけど。

 それでも、万にひとつ、たとえ、世界中から水月が非難されることがあったとしても。

 わたしは、水月のこと、悪くは思わない。

 絶対、絶対に、思わない。」


もう一度、こっちを振り返った、水月の瞳が溶ける。

柔らかく温かな色を湛えて、ゆっくりと揺れる。


「天界に落ちてきた竜を、人はみんな、魔物だ、化け物だと、退治しようとしました。

 ただ、あなただけが、オレを庇って、命を救ってくれました。」


「そのことを、ずっとずっと、恩に感じてくれてるのは知ってる。

 だけど、もうそろそろ、わたしたちは、そのあなたに感謝をしてもいいと思う。

 あなたは、壊した以上に創ってきたと思う。」


「だとしたら、それは、あなたが、オレにこの心をくれたからです。」


水月はわたしを引き寄せると、そっと額に額を合わせた。


「オレのしたことなんて、元はと言えば、全部、あなたの行いの結果ですよ。

 だからやっぱり、あなたは、この世界の守護天使なのに違いはないんです。」


「守護天使ってのは、望とか、寒月のことだよ。

 わたしはただの、残り滓。」


「なんてことをおっしゃいますか。

 あなたは本物の守護天使です。

 もちろん、彼月さんも、望さんも、立派な守護天使ですけど。

 あなただって、間違いなく、天使です。」


水月はわたしの顔を覗き込むようにして、視線を合わせた。


「オレは、異界のモノだから、本当なら、あなたの愛を受け取る資格なんてないんです。

 だけど、あなたのその大きな愛は、オレのようなものにも分け隔てなく与えられる。

 いくら貪ろうとも、尽きることのない、大きな大きな愛です。」


いや、そんな、すごいモノじゃ、ないです。わたし。


「水月、わたしのこと、かいかぶりすぎ。」


「そんなことはありませんよ?

 むしろ、かいかぶりすぎなのは、あなたの方かと。」


水月は目を伏せて、ため息を吐いた。


「もう、本当に、敵いませんね?

 オレをどこまで貪欲にさせるんだか。

 本当にもう、魂まで、貪り尽くされても、知りませんよ?」


「いいよ。水月なら。」


即答だった。

そしたら、水月はもう一度ため息を吐いた。


「いいえ。いけません。

 あなたにたとえ魂をもらっても。

 オレには、あなたに返すものがない。

 あなたの魂と同じだけの価値のあるものは、オレにはありません。」


「そんなことないよ?

 水月は、いっつも優しかった。

 何回も何回も助けてくれた。

 むしろ、もらいすぎなのは、わたしのほう。」


水月は、むぅ、と唸った。


「どうしましょうね?

 あなたの言葉は、オレにとっては、この世界で最上の効力をもつもの。

 あなたの言葉に逆らうなんて、そもそも、できないんです。」


それから、もう一度、目を閉じて額をくっつけた。


「存在の始まりのとき、オレは、異界の魔物でした。

 魂というものを、オレは持っていませんでした。

 けれど、この世界では、虫にも魂はあると言いますよね。

 道具ですら、大切にされているうちに、魂は宿ると言いますよね。

 この世に存在する万物に魂は宿る、って。

 だとしたら、あなたにこんなに大事にしてもらったオレにも、もう魂はあるかもしれません。」


水月はもう一度、わたしの目をじっと覗き込んだ。


「もしも、オレに魂があるとしたら。

 もらってもらってもいいっすか?」


「もらっても、いいの?」


「というか、押し付けます。

 代わりに、あなたの魂を、奪うから。」


水月はゆっくりとわたしに口づけた。




 





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