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ひゅうひゅうと風が吹く。
ちょっと肌寒いけど。
明るい陽射しのなかに、鬱蒼とした森が見える。
木立のむこうに聳えるのは、山の連なり。
思ったよりそこは、普通の、世界だった。
わたしたちは、自分たちの住んでいる土地を、島、と呼んでいた。
本来、島、というものは、周りを水に囲まれた場所を言うけど。
わたしたちの島の周囲に、水はない。
島のなかには井戸や湧き水、小さな川や池もあったけど。
大きな河や海というものは、記録映像にあるだけだ。
魔導障壁の向こう側には、きっとそれもあるはずだとは考えられていたけど。
障壁を超えて確かめることは不可能だった。
後ろには、今、抜けてきた魔導障壁。
内側から見ていたときには、そこにあったのは、遠くまで見える景色だったけど。
外から見ると、それは、金色の砂でできた高い高い壁だった。
壁は、左右も見渡す限り、ずっとずっと遠くまで続いていた。
―― この金色の砂の一粒一粒が、細愛の魔導力でできています。
魔導障壁には自己修復機能もあるんです。
破れ目ができると、そこにさらさらとこの砂が落ちて、穴を塞ぐようになっている。
けれど、少しずつ、少しずつ、塞ぐことのできる砂は少なくなってくるでしょう?
そうすると、細愛は自らの魂に封じられた魔導力を、すべて新しい砂に替える。
自らの命と引き換えにして。
そうして魔導障壁を作る砂を補充する。
もう、千年、それは繰り返されてきました。
水月は、魔導障壁の壁に沿って、高く高く昇っていった。
ずいぶん高くまで昇ると、ようやく壁は途切れて、むこう側も見えるようになった。
島を包む魔導障壁は、とても綺麗だった。
明るい日差しを浴びて、きらきらと輝いていた。
わたしはしばらくそれを眺めていた。
すると、ときどき、じゅっ、と音を立てて、魔導障壁から薄い煙のようなものが立ち上るのに気付いた。
―― あれは、風に流されてきた瘴気が、魔導障壁に浄化されて、消えているんですよ。
わたしの視線に気付いて、水月が説明してくれた。
「魔導障壁は、瘴気を浄化するの?」
―― というより、あなたの魔導力が。
瘴気を浄化する力を持っているんです。
それが魔導障壁の正体です。
わたしの魔導力が?
そんな力があったの?
「なら、今から、わたしの力を使って、世界の瘴気を消滅させるの?」
わたしにそんな力、あるのかな。
だけど、本当にそんなことができるんだったら。
わたし、全力で頑張るよ。
気合を入れて見つめるわたしに、水月は軽く苦笑した。
―― 世界は広い。
あなたひとりに全部を浄化するのは到底、不可能です。
・・・・・・、やっぱり。
わたしって、やっぱり、ダメなんだ。
もしかしたら、わたしにも、なにかできることがあるのかも、って思ったけど。
そう思った先から、ぽろぽろと、その希望は打ち砕かれる。
―― だけど、あなたの力なくしては、浄化は決して叶いません。
だからね、精一杯、そのあなたの力を増幅しようと考えたんです。
「増幅?」
―― と、その前に、再利用。
まずは、この魔導障壁、からですね。
魔導障壁の、再利用?
水月はくくっと笑うと、魔導障壁のてっぺんへと降り始めた。
はるか高みから見下ろすと、魔導障壁は巨大な金色のお椀を伏せたみたいな形をしている。
その大きなお椀の、ちょうど底にあたる部分。
そこに、なにやら、小さな棒のようなものが刺さっているのが見えた。
すぐ近くに来ると、それは、一振りの刀だった。
大刀、というのだろうか。望の使っていたものによく似ている。
―― これはね、昔、寒月が細愛を貫いてしまったものです。
水月は刀のすぐ傍にわたしを下ろした。
刀は金色の砂のなかに、刀身の半分くらいまで埋まっていた。
ひどく錆びついて、ぼろぼろに毀れている。
錆の赤い色が血の色に見えて、なんだか背筋がぞくりとした。
―― これが魔導障壁の鍵です。
魔導障壁は、この鍵一本で、支えられているんです。
こんな刀一本で?この巨大なお椀を支えているの?
―― この鍵を引き抜けば、一気に障壁は崩壊します。
けれど、どれほどの怪力をもってしても、この鍵を引き抜くことはできません。
わたしは恐る恐る刀を観察した。
おどろおどろしい刀は、手を触れるのも躊躇われるくらい、禍々しく見えた。
―― おそらく、これは、魔導障壁の主であるあなたにしか、抜くことはできないんです。
え?
まさか、わたしに、これを引き抜け、って言うの?
わたしは、もう一度その刀を見据えた。
ちょっと怖いけど。
うん。
このくらいできなくて、どうする。
よし。
やる!
わたしは覚悟を決めると、思い切って刀に手を触れ、ようとした。
そのときだった。
刀はまるで、自らの意志でそうするように、さらさらと、金色の砂になって崩れて落ちた。
そしてそれは、魔導障壁全体の崩壊の引き金になった。
さらさら、さらさら、と、巨大な金色のお椀は、静かに、流れるように、崩れ始めた。
わたしが崩壊に巻き込まれる前に、水月の爪は、急いでわたしを引き上げてくれた。
水月の掌に乗せられて、わたしは、目の前で崩れていく金色の障壁を見つめていた。
きらきら、さらさらと、金色の砂は巨大なお椀の表面を滑り落ちていく。
崩れても崩れてもお椀の形はなかなか消えない。
そのくらい、お椀を形作る砂は分厚いようだった。
崩れて落ちた砂の粒子は、風に乗って舞い上がり、辺りに、きらきら、ちらちらとした光が溢れた。
目を凝らすと、その金色の小さな砂粒は、小さな小さな鶴の形をしていた。
ぱたぱた、という風に紙がはためくような音と共に、竜のからだから、鱗が剥がれ落ちた。
落ちた鱗は真珠色の折鶴に姿を変えて、飛び始めた。
砂粒の鶴たちは、真珠色の鶴に導かれるようにして、列をなしてどこかへ飛び去っていく。
あれは、どこへ行くんだろう。
わたしたちはその後ろ姿を、しばらく見送っていた。




