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双月記  作者: 村野夜市
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広場にいた人々は、水月に起こったことには、まったく気づいていなかった。

広場には祝祭を待ちわびる人々の熱気が、満ち満ちていた。


水月はここに来る途中で、あんなことになった。

望は、街の人に被害を及ばせないように、水月をここから引き離していた。

天界を護る守護天使が、サイカを花園へと導いたように。


乗騎は人々の目につかないように、ひっそりと舞台の裏に降りた。


わたしは連れて行ってほしいと懇願した。

けれど、四人は、揃ってダメだと首を振った。


「彼月も、見届けろって、言ったのに。」


「寒月は、昔から、あんなに厳しいんだ。

 だけど、その厳しさは君を傷つけるだけだ。」


ちひろはそう言ってわたしをそっと送り出した。

そして、乗騎はわたしを置き去りにして行ってしまった。


舞台の裏には晶と夏生がいた。

ふたりは、祭典の準備の仕上げのために、忙しく立ち働いていた。


肩に包帯を巻いたわたしに、ふたりはひどく驚いた。

わたしはとても事情を話す気にはならなかった。

けれどふたりとも、なにかただならない事態だとは気付いたようだった。

ただ、わたしから無理やり話を聞き出そうとはしなかった。

祝祭の始まりの刻はもうすぐで、その余裕もなかった。


大小、色とりどりの折鶴の飾り付け。

人々のざわめき。

縁日のように屋台もたくさん出ていて。

楽しそうな楽の音や、美味しそうな食べ物の匂いも漂ってくる。


わたしは、ぽつんとひとり、広場の隅に座って、祝祭の始まりを見ていた。

なんだか、自分だけ、余所者になった気分だった。


水月は狂ってしまった。

世界は今にも崩壊しかかっている。


けれど、祝祭を中止してほしいとは思わなかった。

せめて今は、この祭典を人々に楽しんでほしい。

時間をかけて、手間をかけて、みんなで準備してきたのだから。


悲しみも、不安も、伝える必要はないと思った。

少なくとも、世界をこのまま続けることは、不可能じゃないはずだから。


あの水月が滅ぼされたら。

わたしは解けて魔導障壁になろう。

そうすれば、何も変わらない。

世界はこのまま静かに続いて行く。


だけど、滅ぼされた水月の魂はどこへ行くのかな。

彼月に囚われていない今の水月は、もう、この世界には還ってこないかもしれない。


わたしは、今度こそ、もう二度と、水月とは会えない。


涙が溢れて止まらない。

世界は滲んでぼやけていく。

わたしは、確かにここにいるのに、なんの力もない。


今も、彼月と水月は戦っているのかもしれない。

望は、どうなっただろう。

後の月の月の人たちは。


晶も夏生も。

みんなあんなに忙しく動いているのに。

わたしは、ここに、ただひとり、じっとうずくまっていた。

動き出す力は、もうどこにもなかった。


やがて、その刻がきて、祝祭は始まった。


新しい月は、完全に太陽とひとつに重なり、その周囲に、太陽の炎を纏った。

それは太陽から力を与えられ、より力を高められた月だった。


祭りの始まりを告げる号砲が、高らかに鳴った。

広場に、朗々と、祝詞が響く。

世界を褒めて褒めて褒めちぎる詞。

この世界は、こんなに素晴らしい。


そのときだった。


どくん、とひとつ、心臓が跳ねた。


より強まった月の力が、わたしに流れ込んでくる。

詞の力は、それをさらに増幅する。

わたしは、細愛。

そうか、わたしも、月の力を受けるものだったんだ。


はっとして顔を上げた。

目の前に晶と夏生がいた。


「・・・絶対に幸せになれって、俺、言ったよな?」


晶はわたしを見下ろして怒っていた。


「あいつにも。千鶴を不幸にしたら許さないって、言ったはずだ。」


「わたし、不幸じゃないよ。」


わたしは晶を見上げて言った。

晶は、ふん、と鼻を鳴らした。


「愛ってのは覚悟だ。

 お前には、それが足りないんだ。

 めそめそ泣いている暇があったら、覚悟して、腹、括りやがれ。」


そう言って、なにやら羽織を一枚差し出した。


「これ。

 やつが、お前に必要そうなら、渡してくれ、って。

 昨夜遅く、持ってきやがった。まったく、迷惑な。」


ぶつぶつ言いつつ、それをわたしに着せかけてくれた。

薄く透ける羽織は、やわらかくて最高の着心地だった。

水月の胸にもたれたときの優しい感じを思い出した。


すっと、肩から痛みが引いて、包帯は自然に解けた。

傷はすっかり癒えて、後には、衣にふたつ、小さな穴が開いているだけだった。


晶は感心したように呟いた。


「へえ。癒し衣か。」


癒し衣?

そんなのお話しのなかでしか聞いたことないよ?


「しかし、こんなもの、俺たちに預けて行くなんて、あいつ、一体どういうつもりだったんだ?」


晶はそう言って首を傾げた。


水月は、いったいどこまで見抜いていたんだろう。

わたしは考えた。


「ちーちゃん。

 水月は、一三夜のときも、水月になってからも、ずっとちーちゃんのこと、大事にしてるよ。」


夏生は、わたしを抱き寄せて、励ますように言った。


「それだけは、昔も今も、確信できるんだ。

 他の誰にもちーちゃんのこと、任せたくないけど。

 晶にすら、任せたくないけど。

 水月になら、任せてあげてもいいかな、って。」


「俺にすら、ってどういう意味?」


晶が夏生を睨む。

さあね、と夏生が嘯く。

 

「有難う、夏生。」


わたしは精一杯の笑顔になった。

夏生がくれたのは、今、一番、ほしい言葉だった。


誰より、わたしが一番、水月を信じないといけないのに。

こんなところで絶望して諦めるなんて、水月のことを信じてないってことだと思った。


さっき、晶に言われた言葉。

覚悟して、腹、括りやがれ。

耳のなかにそれが蘇って、背筋がしゃんと伸びた。


「それで?どこまで送ってほしい?」


どこからか飛行機能付きの魔導乗騎を引き出してきて、晶は言った。


「晶、そんな魔導乗騎、乗れたの?」


それは、増幅器を付けて一般の人も使えるのとはちょっと違う。

飛行能力も備えた型は、多少なりと魔導の心得のある人でないと乗りこなせない。


わたしが目を丸くすると、晶に軽く頭をはたかれた。


「失礼なやつだな。

 俺はこれでも、学士院の魔導理学部、主席だ。

 乗騎くらい使える。」


「商店街じゃ目立つから乗らないだけなのよ。」


横から口を挟む夏生を、晶はじろりと睨む。


「うるさいな。

 魔導の資格持ってんのに、なんで絵師してるんだ、とか。

 他所のやつらに、ごちゃごちゃ言われたくないだけだ。」


それはね。昔っから、晶、気にしてたものね。


「まったく。

 この俺の能力値を以て、絵師になれ、なんてね。

 世の中にとっては、大きな損失だろうさ。

 だけど、俺は、俺を信じてそう言ってくれたお前に恩がある。

 だから、俺も、お前のことは、最後まで信じてやる。」


「大丈夫、ちーちゃん、晶よりもっと、あたしは、ちーちゃんのこと、信じてる。」


ふたりの励ましに、わたしは大きくひとつ深呼吸をした。

ずっと、胸の浅いところで息をしていたってことに、そのときになって気付いた。


ひゅうと吹いてきた風をはらんで、羽織がふわりとはためいた。

それは決して、人を吹き飛ばすような風ではなかったんだけど。

わたしのからだは、ふわり、と宙に浮いていた。


「あ、れ?」


「送らなくていいみたいね?」


残念だったわね、と夏生は晶に笑いかけた。


「その羽織、癒しだけじゃなくて、飛行機能付きかよ。」


晶はぶうとふてくされた顔をして唸ってから、はっとするくらい明るい笑顔になった。


「行け。千鶴。行ってこい。」


「ちゃんと帰ってきてね?

 晶に玉子焼き、作っといてもらうから。」


夏生は、ちょっとそこまで用足しに行くように、わたしに言った。


わたしは笑ってひとつ頷いてから、すっと、顔を上げた。

まるで、天女の羽衣のように、羽織はわたしを宙に浮かべた。

切った髪の先が、風に弄ばれて、さらさらと揺れるのが、心地いい。


水月のところへ。


水月が今、どこにいるのか分からなかったけれど、わたしはそう念じた。

すると、羽織は、まるでその方向を知っているかのように、すっと飛び始めた。


ひとりで飛ぶのは初めてだったけど、不思議と怖くはなかった。

水月の乗騎に乗せてもらって、飛んだときのことを思い出した。


背中に、おおおっと大勢の人の歓声がとどろいた。

何事かと振り返ると、たくさんの真珠色の折鶴が、わたしの後についてきていた。


折鶴は、一枚一枚、竜の鱗のように、整然と整列した。

花を巻き上げて吹き抜けた風のように、それはいつしか、真珠色の竜へと姿を変えた。

わたしはいつの間にか、竜の掌の上に、そっと、乗せられていた。


―― おかえりなさい。


竜はわたしにそう話しかけた。それは、水月の声だった。


―― 辛い思いをさせて、ごめんなさい。


竜はぺこぺこと大きな頭を何回も下げてみせた。


―― あなたの存在を解かずに覚醒させる必要があって。

    荒療治と言いますか。

    びっくり療法と言いますか。

    オレの魔導力を、いわば、呼び水にして、ですね?


言い訳のように続ける。


―― けどまあ、オレも、その状況じゃ、知性も理性もぶっ飛ぶのが分かり切ってましたから。

    望さんにご足労を願ったというわけっす。


「望を呼んだのは、水月だったの?」


それには、流石に驚いた。

確かに、あのとき、望が竜に体当たりをして、わたしを助けてくれてなかったら。

わたしは、暗黒の竜に喰らい尽くされていたかもしれない。


―― いやいや。

    前に月に行ったときお会いしてから、ときどき、魔導通信で話すようになりまして。


いつの間に。友だちになってたのか?

流石、商店街一の人たらし。


「でも、早く行かないと。彼月は本気で水月を倒すつもりだったよ?」


―― あー・・・本気でやってもらわないと、彼月さんも危ないっすから。


水月はこともなげに言い切った。


「武器とか、防具とか、装備も用意してたよね?」


―― あれだけあったら、怪我せずに、保ってくれるかな、と。


「いやいや、本当に滅ぼされちゃったら、どうするの?」


素手でも石像、倒す実力だよ?


―― 大丈夫っすよ。

    今のオレはね、千年前よりさらに、強くなってますから。


竜は、くくくっ、と笑った。

竜に肩はないけど、今、なんとなく、肩をすくめたな、って思った。


―― 姫を得て強くなるのは、一角獣だけじゃなかったんっすねえ。


わたしを見つめる竜の瞳は、とても優しかった。

姫なんて言われて、ちょっと照れくさくて、わたしはずっと遠くまで続く竜のからだに目をやった。

それは、あの不思議な紙と同じ、真珠の色をしていた。


「あれって、水月の鱗だったんだ。」


折鶴が姿を変えた竜の鱗は、薄闇に沈む世界に、ひとつひとつ、きらきらと光り輝いていた。


―― はあ。実はそうなんっすよ。


そう言って、水月は軽くため息を吐いた。


―― いや、毎晩、一枚一枚、ひっぺがしまして。

    そりゃあもう、痛いの痛くないの、って。


う。聞いてるこっちも、痛くなる。

そりゃあ、確かに、貴重な紙だわ。


―― でも、おかげさまで、みなさまの祈りの力を得て、魔導力もさらに増幅しましたし。

    ではでは、ここから、最後の仕上げとまいりましょうか。


興行の口上かなにかのように、竜は楽し気に告げた。





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