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祭りの近づいたある日、わたしは思い切って髪を切った。
一三夜を失くしたあのときから、ずっと伸ばしっぱなしだった髪。
けど、もう、この髪を長くしている理由はない。
この髪がなかったら、みんな、わたしのこと、わたしだとは気付かないんじゃないかな。
そう思ったのが、きっかけだった。
わたしって、それ以外には、大して特徴もないんだし。
この髪だけが、否応なく目立つ目印になってしまっているに違いない。
実は、少しでいいから、外に出たかった。
水月に、結のおむすびを買ってきてあげたくて。
水月は、わたしのどんな料理でも、美味しいって、全部食べてくれるけど。
ずっと結のおむすびが大好物で、前は毎日、食べていたから。
思い立ったら吉日だ。
おもむろに作業台の前に立って、水月の道具の小刀を取ると、自分でざくざく切った。
切ったら思いのほか、すっきりした。
事態に気付いた水月は、驚いて止めようとしたけど。
わたしのほうが、少し早かった。
その日、装置を取りにきた彼月は、ざんばらになったわたしの髪を見て、頭を抱えた。
切るなら切るで、どうして事前に言わなかったのか、と、何度も何度も同じことを繰り返された。
その翌日。
彼月はよく切れる先の細い鋏を持ってくると、丸椅子にわたしを座らせて、髪を切ってくれた。
作業台の上には鏡が置いてあって、髪を切ってもらっているわたしが、ずっと写っていた。
昔、お芝居で見た落ち武者みたいだったわたしは、みるみる普通の女子になった。
落ち武者は流石に悪目立ちするから、なおさら外、歩けなかったんだけど。
これなら、ちょっとくらい外を歩いても、みんな気付かないんじゃないかな?
「君はこんなに可愛い顔をしているんだから。
もっと、堂々と、顔を出したらいいんだ。」
彼月はわたしに鏡を見せて、そんなことを言った。
「せっかくだし、ちょっと、紅をさしてみてもいいかな?」
わたしじゃなくて、水月のほうを見て、彼月は尋ねた。
水月は、こっちは見ずに作業に没頭しているように見えたけど。
彼月に尋ねられると、ぼそっと、いや、いいっす、とだけ答えた。
「なんで?お前は、千鶴のもっと可愛くなった姿、見たくないの?」
彼月は不思議そうにそう尋ねる。
「千鶴さんは、なにもしなくても、可愛いっす。
オレはそれを十分に知っているし、他のやつに、可愛い千鶴さんを見せる必要もないっす。」
むっつりと返す水月に、彼月はあははと笑った。
「なんだ、お前って、意外と独占欲、強かったんだね?」
「当然でしょ?」
ますますむっつりと、水月は言った。
彼月は、仕方ないな、とため息を吐いて、わたしと並んで鏡に写った。
鏡のなかの彼月は、わたしより百倍美人だった。
「ふふふ。これ、僕の宝物にしようっと。」
彼月はそう言うと、鏡をぱたんと閉じて、いそいそとしまい込んだ。
「宝物?」
わたしが尋ねると、彼月は悪戯の成功した子どものように笑った。
「実はね、この鏡って、魔導鏡だったんだ。」
彼月はそう言って、自分の魔導手帳を差し出した。
「髪を切っている君の姿も。
それから、さっき僕と並んで映った姿も。
全部、永久保存版にする。」
魔導手帳のなかには、動画と静止画になったわたしが大量に保存されていた。
「ちょっ!彼月さん?」
水月はちょっと睨んだけど。
「いいだろ。散髪の報酬だよ?」
彼月はけろっと笑って返した。
「その落ち武者姿が、報酬になるの?
あ。
何回も見返して笑うとか?そういう用途?」
不思議になって尋ねたら、彼月は目を丸くして息を呑んでから、けらけらと笑い出した。
「うーん、何回も見返すってとこ、半分だけ正解。
あ、っと。
でも、そうだな、あと少しだけ、手伝ってもらうかな?」
彼月はわたしに目で合図をすると、水月のほうへ言った。
「折角、可愛くしたんだし、少し、千鶴を借りるよ?」
「は?どうするんです?」
水月はちょっとだけ本気でむっとしたみたいに言ったけど。
彼月は、まったく気にしない様子で続けた。
「大丈夫。大丈夫。どうもしない。
ただ、ちょっと、買い物に付き合ってもらうだけ。」
「買い物くらい、ひとりで・・・
ちょっ、彼月さん?!」
水月の返事は待たずに、彼月はわたしの手を取って、走り出していた。
本当のところは、昨日、わたしのほうから、彼月に頼んでいたんだ。
結に一緒に行ってもらえないかな、って。
この姿なら、もう、わたしのこと、細愛だって、誰も分からないかもしれないけど。
それでも、また攫われて迷惑をかけたりしたくなかったから。
そう言って頼んだら、彼月はふたつ返事で了承してくれた。
彼月はすごく嬉しそうに笑いながら、わたしの少し前を、飛び跳ねるように歩いていた。
決して小柄じゃないんだけど、ちょっと仔犬みたいだと思った。
「久しぶりだなあ。
君と歩くなんて。
商店街は乗騎を使えないから不便だなって思ったけど。
君となら、もっとずっと歩いていたいよ。」
結までは結構、歩かないといけなかったんだけど。
ずっと彼月は楽しそうに笑っていた。
そんなわたしたちを見て、彼月に気づく人はたくさんいた。
あれ、一三夜じゃないの?
本当だ。一三夜だ。
そういう囁きが何度も聞こえた。
だけど、わたしのことは、誰も、あの映像のもうひとりの天使だとは分からなかったみたいだ。
あの子、誰?
さあ。一三夜の付き人?
一三夜にはさあ、命の恩人の天使がいるのに。
あんなふうに一緒に歩くなんて、身の程知らずもいいとこね。
いやいや。
こんなにうまくいくとは、思わなかったな。
なんとなんと、商店街の顔見知りの人たちまで、わたしのこと、分からなかった。
彼月には気づいていたけど。
おむすびなんか、買わずに作ればいいのに、って。
前の彼月なら言ったかもしれないけど。
今日は何も言わなかった。
ただ、わたしがおむすびを選ぶ間は、お店の外でじっと待っていてくれた。
わたしは、少しも迷わずに、あの七種類を選んだ。
すぐに戻ってきたわたしに、彼月は少しだけ不思議そうな顔をした。
「僕に気なんか遣わずに、ゆっくり選んでくれてよかったのに。」
そう言った彼月に、わたしは、首を振った。
「いいんだ。もう全部、決まってるの。
今度こそ、これ、全部、水月とふたりで食べようって、思ってたから。」
彼月は、ふうん、とだけ言って、ちらっと笑った。
けど、その笑顔は、ほんの少し、淋しそうに見えた。
持って帰ったおむすびに、水月は目を丸くして、それから、とても嬉しそうに笑った。
おむすびとわたしを届けた彼月は、じゃあ、僕は、とだけ言って、そそくさと帰ってしまった。
その彼月の背中に、水月は、彼月さん、すいません、と大きな声で言ったけど。
彼月は、背中を向けたまま、手だけ上げて、行ってしまった。
三度目の正直。
今度こそ、わたしたちは、七種類全部、仲良く分けて、ふたりで食べた。
七つ全部食べ終わったときには、お腹はものすごくいっぱいで、不思議な達成感があった。
たったこれだけのことで、って、思うけど。
心残りをひとつ、やっつけた気分だった。
「これで、思い残すことはもう、ありませんねえ。」
お腹をさすりながら、水月はそんなことを言った。
「なんだか不吉な感じ、するから、そういうこと言わないで?」
わたしもお腹をさすりながら、そう返した。
「また行こう?今度は、違う種類のも食べたい。
少しずついろんなの食べて、いつか全種類制覇しようよ?」
「千鶴さん、そんなに結のおむすび、気に入ってくれたんですねえ。」
水月はちょっと嬉しそうだった。
「だって、普通に美味しいし。それに・・・水月の一番の好物でしょ?」
「オレの?一番?」
「水月毎日大変そうだからさ。
少しでも、元気をつけてほしいなって思ったんだ。」
水月は、きょとん、と首を傾げた。
「オレ、元気っすよ?毎日三食千鶴さんの手料理食べてるのに。
元気にならないわけ、ないでしょ?」
「・・・わたし、そんなにお料理、上手とは言えないし・・・」
「そんなことはありません。すっごく美味いっす。
オレにとっては、結のおむすびより美味いっすよ?」
「・・・そうなの?」
ちょっとびっくり。
「前は毎日、結のおむすび食べてたでしょ?
だから、よっぽど好きなんだろうって思ったんだけど・・・」
「ああ、それはね?
あれを食べると、あなたのことを思い出せるから。」
水月はどこか遠いところを見る目になった。
「憶えてませんか?
おむすび持って、花見、しましたよね?
どんなものも。あなたと関わりのあるものが、オレにとっては一番、大切なものなんです。」
「・・・憶えてるよ?
・・・・・・そっか。」
そうだったのか。
わたしは逆に、一三夜にもう一度会えるまで、結のおむすびは食べないって、思ってた。
同じ時間を、水月はおむすび食べて、わたしを思い出してたんだ。
「それで、わざわざ買いに行ってくれたんっすか?
彼月さんに頼んでまで?」
水月ははっとしたようにわたしを見て、そろそろと手を伸ばした。
ぷっつりと切り揃えた髪の先を、恐る恐る指で触れて言った。
「もしかして、この髪を切ったのも、外に行くため?」
「あー・・・どのみち、もう伸ばす意味もないし。
すっきりして軽くなったよ?」
わたしは笑ってみせたけど、水月は少しだけ眉をひそめた。
「・・・オレのために?あの綺麗な髪を?」
「え?もしかして、水月は、長いほうが好きだった?」
わたしはびっくりして聞き返した。
あのぞろりと長い髪は、誰に聞いても不評だったけど。
もしかして、水月はあっちのほうがよかったのかな?
水月は、いいえ、と笑って、首を振った。
「あの千鶴さんも、今の千鶴さんも、どっちも同じくらい可愛いです。
どっちも大好きですよ?
ただ、オレのために切ったんだとしたら、もったいなくて・・・」
「もったいなくないよ?
それに、切ったらすっきりしたし。」
正直、この髪型、けっこう気に入ってる。手入れも楽そうだし。
軽くなった頭を振って笑ったら、水月もにっこり笑ってくれた。
「なら、よかった。
それに、流石、彼月さん。散髪の腕前もただものじゃないっす。
誰より、あなたに似合うものを熟知してますしね。
そういうところは、悔しいけど、敵いません。
でも、オレ、可愛い千鶴さんを、あんまり他のやつには、見せたくないなあ。」
わたしは、ちょっと驚いた。
さっき、独占欲がどうとか言ってたけど、これも、そうなの?
「水月も、そんなこと、思うんだ?」
「思いますよ?当然でしょ?
あなたは世界一、可愛くて、愛しい天使ですけど。
あなたという存在に、世界中の誰もが、気づかなければいいのにって、思ってます。」
まあ、そうはいきませんけどね?と付け足して、水月はため息を吐いた。
「見る人の目には、あなたの輝きは、ちゃんと見えるんです。
だからねえ、オレがこの世界の人間の目を、全部見えなくしてしまいたくなる前に。
その可愛い姿は、こっそり隠しておいてくれませんか?」
水月はいきなりわたしを引き寄せると、胸のなかにくるみ込んだ。
「こうして、オレの腕のなかに閉じ込めて。
もう、誰にも、見せたくない。
お日様からも。運命からも。
永遠に、あなたを、隠しておきたい。
本当はずっと、そう思っているんですよ?」
「・・・お日様には、当たりたい、かなあ?」
腕の隙間から顔を出して水月を見たら、水月は、くくっと笑い出した。
「あ、そうっすね。
ひなたぼっこは、いいもんっすね。」
眩しいくらいにこっと笑って、それから、そろそろ仕事するかなあ、と腕を解いた。
わたしは、ちょっと残念な気持ちになったけど、いそいそと自分も鶴を折り始めた。
けど、水月がそっちがいいなら、また、髪、伸ばすかな、ってちょっとだけ思ってた。




