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夏生と晶を案内して上に上がってくると、さっきの襖は見事に壁になっていた。
っても、あれ、ただの幻影なんだけど。
ここの部屋の元の姿を知らない晶や夏生には、ここはただの一間に見えるだろう。
「なんだ。案外狭いんだな。」
開口一番、晶が言った。
「ここで千鶴とふたり暮らせんのか?」
「あ。オレ、ずっと下にいますから。
上は千鶴さんおひとりに使ってもらいますよ。」
ふ~ん、と晶は疑わしそうな目をして水月を見る。
それから、軽くそっぽをむいて、まあ、いいや、と呟いた。
「厨房は?下?」
「あ。はい。厨房ってほど立派なもんじゃないっすけど。
一応、煮炊きと洗い物くらいは、できます。」
晶はまたふ~んと言うと、荷物を持ってそそくさと降りて行った。
「ごめんね?今日はちょっと晶、機嫌、悪いんだ。」
晶の背中を見送ってから、夏生が小さな声で言った。
なんで?と見ると、夏生はちょっと苦笑いした。
「大事なお姉ちゃんをとられた?みたいな気分なのかも?」
「とられた、って・・・
もうずっとわたし、こっちで水月を手伝ってたし。
そもそも晶とも、そんなにべったり一緒にいたわけじゃないのに?」
「まあね。
ほら、でもさ、やっぱり、一緒に暮らす、って言われるとさぁ・・・?」
「一緒に暮らすって、ここの二階で寝泊りするだけだよ?」
これまでだって、晶とは一緒に暮らしていたわけじゃない。
確かに、しょっちゅううちに来て泊まって行ったりもしていたけど。
それならここに来て、泊まって・・・は、無理か。部屋、ないし。
でも、会えなくなるわけじゃないし。
それに、だいたい、仕事場はお隣さんじゃない。
「まあ、そうなんだけどさ。」
夏生は困ったように、あはは、と笑った。
「夏生。ちょっと手伝え。
水月。鍋と包丁、どこだ?」
下から晶の呼ぶ声がした。
ああ、はいはい、と、夏生と水月が急いで降りて行く。
わたしのことは、呼ばれてなかったけど。
わたしもみんなと一緒に降りて行った。
晶のお料理はまあ、いつも通りなんだけど。
驚いたのは、水月がお料理上手なことだった。
久しぶりっすからねえ、なんて言ってたけど。
いやいや、なかなかどうして、いい手つきですよ?
彼月みたいな、お店に出せそう、って料理ではないけど。
いやこれじゅうぶんに、立派なご馳走だ。
なにより、見事に手際がいい。
厨房は狭いし、道具も限られてるんだけど。
大小の鍋を駆使して、次から次へと料理を作っていく。
結局、晶は早々に退散して、二階に運んだり、盛り付けをしたりの係になった。
今日はいつもより口数の少ない晶を、夏生は心配そうに、ついて回ってやっている。
まあ、晶のことは、夏生に任せておくか。
わたしは、と言えば。
水月のご指名で、助手、ということになった。
と言っても、ほとんど手出しをする余地なんかない。
それでも隣にいろ、と言われるのは、いつも通りというか、なんというか。
鍋肌に肉を広げて焼きながら、水月はにこにこと尋ねる。
「この肉、味付け、どうします?
千鶴さん、甘辛いのお好きでしたっけ?」
「うん。でも、水月の好きな味に・・・」
「オレはねえ、千鶴さんの好きな味が好きっす。」
さっさと甘辛く味付けて、ほい、と一切れ、口元へ差し出した。
「はい。あ~ん。」
「へ?」
「あ~ん。」
あんまりしつこいから、口を開けたら、ぽいっと放り込まれた。
じゅわっと味がしみていて、とても美味しい。
「うん。美味しい。」
「それはよかった。」
煮物。和え物。あんかけに焼き物。
まるで魔導みたいに、次々と、ふたつのお鍋のなかで料理が出来上がっていく。
そのたびに、わたしは、あ~ん、と味見をさせられた。
「・・・わたし、味見係?」
「味見は助手の大事なお仕事です。」
まぁたそんないい加減なこと言って。
なんだか、味見だけでお腹いっぱいになっちゃいそうなんですけど。
というか、ただ単に、出来立ての一番美味しいのを、真っ先に食べさせてもらってるというか。
「・・・水月って、お料理、上手だったんだね?」
「彼月さんみたいな人もいますし、この程度で上手とは言えませんかね。
オレは完全に自己流ですし。」
そりゃ、彼月は別格。あれと比べちゃダメだと思うけど。
「彼月のはときどき食べるご馳走って感じだけど。
水月のご飯は、毎日食べたい、かな?」
「ええ~~~、そんな嬉しいこと言われたら、毎日、作ってあげたくなっちゃいますね?」
水月はくくっと肩をすくめて笑ってから、こっちを見て、でも、ダメっす、と指を振った。
「あ。そうだよね。水月は、仕事が忙しいから・・・」
お料理している暇は、あまりない。
水月は自分ひとりだと、ご飯を食べずに、丸薬で済ませてしまう。
それを回避するためにも、ここで暮らそうって思ったんだ。
わたしは、装置を作ることは代われないけど、ご飯なら、一応、作ることができるから。
「でも、暇になったら、また・・・」
あんまり残念なものだから、しつこく言ってしまう。
しかし、水月に、暇、なんてないかもな。
研究院からも、かなり頼りにされてるみたいだし・・・
「違います。自分で作ったら、あなたの手料理、食べられないでしょ?」
水月はまたくくっ、と楽しそうに笑った。
「え?あんなのより、水月の料理のほうが、百倍、美味しいのに?」
「ええっ?千鶴さんの手料理だなんて、胡瓜切っただけでも、尊いのに?」
・・・胡瓜、切っただけ、って・・・
それ、料理って言います?
文句言おうとしたら、水月は、ほい、と味見のお匙を差し出した。
わたしはもう癖になっていて、反射的にぱくっとお匙を咥えた。
うん。美味しい。
「けど、そんなに嬉しそうな顔、見せてくれるんなら、料理してもいいかなあ。
いや、やっぱ、千鶴さんの料理、食べたいしなあ。」
水月はくくっくくっと楽しそうに笑う。
「あ。じゃあ、オレが作るときは、いつもこうして隣で助手してくれるんなら、いいっすよ?」
助手って、味見係でしょ?
その条件は、わたしにとって嬉しすぎますよ?
「うん。じゃあ、今の忙しいのがひと段落したら。」
「そっすね。」
軽い口約束。
今の大変なことが、片付いたら。
世界がこのまま無事に続いていくなら。
水月と伴侶申請をして、ずっとふたり仲良く暮らすんだ。
こんなふうにお料理をしたり。お買い物に行ったり。散歩をしたり。
水月とふたり、そんな宝物みたいな日々を重ねていこう。
ずらっと並んだご馳走に、美味しいお米のお酒。
仕事の打合せついでに一緒にご飯、というより、それはもう、立派な宴だった。
たらふく飲んで、たらふく食べて、たっぷり話した。
こんなにたくさん話したのって、生まれて初めてかもしれない。
晶は最初こそ無口だったけど、そのうち、ぺらぺらといろんなこと、語りだした。
そのほとんどが、わたしの小さい頃の失敗談ばっかりで、まったく意地が悪いったらありゃしない。
だけど、水月が、もっともっと、と聞きたがるもんだから。
調子に乗った晶は、次から次へと、語る。語る。
しかし、よくもまあ、あんなに他人のこと、よく覚えていられるもんだわ。
夏生は、しじゅう笑いながら、晶の話しを聞いていた。
半分くらいは、夏生も知ってることだと思うんだけど。
まあ、夏生は忘れてるか。他人の失敗なんて。
笑い過ぎたせいか、ちょっと目尻に涙なんか浮かべてたけど。
そんなに、面白かったかな。
ひと段落ついた辺りで、水月は下から紙を一束持ってきた。
晶は物珍しそうにそれを眺めて言った。
「へえ。それが魔導力のこもった紙?」
それは、淡く光る真珠の色をした紙だった。
どうかすると光の加減で七色の光を放つ。
それはそれは綺麗な紙だった。
水月はそれを一枚ずつ、わたしたちに渡してくれた。
手元に置くと、ますます、この紙が、特別、だと分かる。
かなり貴重なものだ、って水月の言ってたのが、納得できるようだった。
「今、ここで折れって?」
「ああ、いえ。
一応、見本に見ていただこうと思って。
配るほうは、もう、研究院に引き渡してしまったので。」
「総合研究院って、そんなこともしてくれんの?」
「ひかるさんが、手配してくれました。
それはお任せして大丈夫だと思います。」
へえ、と晶は手元の紙を眺めた。
「綺麗なもんだね?これ、魔導力、どうやってこめたの?」
「あ。それは、企業秘密です。」
適当なことを言ってごまかす水月に、晶は、ふ~ん、とだけ返した。
「まあ、いいや。
そうそう。
広告映像の件は、彼月に協力してもらって、こっちで勝手に進めてるけど。
よかったかな?」
「はい。もちろん。」
「天才一三夜の復活、はそれなりに、話題性あるから。
まあ、放映を始めたら、みんな釘付けになるだろうね。」
それは楽しみだ。
「撮影はひなさんがやってくれますかね?」
「あ。そっちも、ひかると話しは進めてる。
しっかし、後の月の月の人たちってのは、つくづく多才な人たちだね?」
「まあ、みなさん、千年ものの魔女っすからね。」
「魔女ねえ・・・大昔のおとぎ話みたいだな。」
晶は本気にはしなかったみたいだけど。
千年生きてる魔女というのは、本当のことだ。
「ただ、彼月から、ひとつだけ注文がついたんだ。
それを聞いてもらえないなら、出ないとも言われた。
その日一日、千鶴を貸せ、だとさ。
命に代えても無事に返すから、って。」
水月は、ちらりと苦笑した。
「ああ。言うと思ってました。
いいっすよ。
ただし、ちゃんと無事に返せ、ってくれぐれも言っておいてくださいね?」
「まあ、彼月なら大丈夫だろ?」
水月は何も言わず、ただ、小さくため息だけ吐いた。
「そうだ。確認が後になったけど、千鶴、お前もそれでいいよな?」
晶はわたしにも確認した。
「うん。わたしにできることって少ないから、お役に立つことがあれば、何でもするよ?」
思わずそう返したら、晶は何故かちょっと渋い顔になった。
「お前、それ、水月と彼月には言うなよ?」
「え?なんで?」
あ。
そういえば、前にも水月に似たようなこと、言われたような・・・
「いいから。分かったな?」
晶は不機嫌そうに強引に言った。
「大丈夫っすよ。彼月さんもオレも、そんなことで、千鶴さんにつけこんだりはしません。多分。」
水月は堂々と胸を張って言ったけど。
「多分?
多分とはなんだ、多分とは。絶対と言え。」
晶は余計に怒り出した。
「いやだって、そりゃあ・・・ねえ?
絶対なんて言えませんよ。
晶さんだって、よく分かるでしょうに。」
晶とは対称的に、水月は、へらへらと笑い出す。
「こぉんなに可愛い千鶴さんが、ですよ?
隣に寄ってきて、なんでもする、とか言われた、日には。
いやあ、ヤバい、でしょ?」
晶はいきなりわたしの手を掴んで席を立った。
「おい、千鶴。帰るぞ。」
「か、帰る、って?どこへ?」
「いいから。
こんな魔物の巣窟に、お前を置いておけるか。」
「まあまあ、晶。
水月はふざけてるだけだから。
本当にちーちゃんの嫌がること、するわけないでしょう?」
夏生が晶を宥め始める。
それを、晶はちらっと見て言った。
「千鶴が嫌がらなかったら?」
「あ。
まあ、そのときは、そのとき?」
だああああっ、と晶は叫んだ。
それから、水月を指さして言った。
「おい!お前!千鶴のこと不幸にしたら、俺が許さないからな!」
「こらこら、晶くん、人を指さしちゃダメ、って何回も・・・」
たしなめようとしたら、今度はわたしが指さされた。
「お前もだ。千鶴。絶対、絶対に、幸せになれよ?」
あ・・・うん・・・
わたしは、ぎこちなく頷いた。
晶の目にきらっと光るものが見えて、それにびっくりして息を呑んだ。
「姉ちゃん!」
晶は昔みたいにわたしを呼んだ。
「いい加減、周りより、自分の幸せを一番にしろ。
・・・それが、お前の周りも、幸せにするんだから・・・」
晶はそれだけ言ったかと思うと、くっ、と腕で顔を隠した。
ずずっと盛大に鼻をすする音がした。
あははは、晶くん・・・と夏生も、昔みたいに晶を呼んだ。
「そろそろ、帰ろっか?」
晶はもう何も言わずに、顔を隠したまま一度だけ頷いた。
その晶を連れて、夏生は帰っていった。




