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ちひろはお医者さんみたいにわたしのことを丁寧に診てくれた。
あ。ちゃんとお医者さんだったっけ。
「水月の診立ては合ってるよ。
これは護身用の痺れ薬だ。
量もそれほど多くない。
特別なにもしなくても、じきに完全に分解されて、後遺症もなにもないはずだ。」
「一応、分解を早めるための中和薬を調合しましたから。
飲んでくださいな。」
そう言って薬湯を差し出してくれたのはみすずだった。
ひなたとひかるは、話しを聞いたときから、怒りまくっていた。
「どこのどいつなんです、その不心得者は。
このわたくしが、成敗して差し上げまわ。」
「二度と、そのようなことを企む者が現れないよう、市中引き回しの上、磔、獄門にしましょう。」
「おお。ミセシメ、ですわね?
ひかるさんのくせに、たまにはいいことをおっしゃいます。」
「ひかるさんのくせに、というところは聞き捨てなりませんけど。
珍しく、ひなさんと意見が合いましたわ。」
いえいえ、あの、その物騒な相談はよしてください。
それなら、まだ、警吏に引き渡したほうがマシですよ。
ひかるとひなたは、揃って、くるっ、とこっちをむいた。
「で?その悪党の名は?」
「あ。いや、聞かなかったっす。すいません。」
「どんな姿をしていたんです?顔は?何か、特徴は?」
「さてねえ。
僕の記憶にあんな下衆野郎の姿形なんて、残したくなかったからねえ。」
水月と彼月は揃って嘯いた。
「水月は?記憶、消せないでしょう?」
あ。そうだった。
「絵。似顔絵を描いてごらんなさい。」
「絵っすか?」
水月は紙と描くものを借りて、さらさらと絵を描いた。
「えっと、目がふたつ、鼻がひとつ、口もひとつで、顔は、まるかった、かな?
髪はこう、もしゃもしゃと・・・」
しかし、完成した絵を見て、その場の全員がため息を吐いた。
「・・・これは・・・化け物?かしら?」
みすずがにっこりと首を傾げる。
「・・・人間にすら、見えない・・・」
彼月は呆然と呟いた。
水月はふへへと奇妙な笑い声をあげると、紙をくしゃくしゃと丸めてゴミ箱へ投げた。
「すいません。図面なら描けるんっすけど。
芸術的な分野は、さっぱり。」
「逆に芸術的かもな。」
「今は芸術は要りませんわ。」
ちひろとひなたは同時にため息を吐いた。
「水月の絵はまったく役に立たないということだけ、よく分かりました。」
ひかるがとどめをさした。
水月は、お役に立てずすいません、とちょっとしょんぼりした。
「あ、っと、でも、あのとき、突然、この鶴が叫び出して、びっくりしたんだよ。」
わたしは話しを変えようと急いで言った。
「ああ、それ、警報機能をつけといたんっす。
心拍数と脳波を測定して、異変を感じ取ったら叫ぶようにしてあったんっすけど。」
水月はわたしの首から鶴を取り上げて、あっちこっちひっくり返して見た。
「千鶴さんが気を失った場合を想定していなかったのは、オレの手抜かりっす。
気を失う直前には、取り立てて異変を感じなかったのかもしれませんね。
千鶴さんって、人を疑ってかからないから。
だから、駆け付けるのが遅くなってしまったんっすよ。」
「僕もね、その声で、千鶴の居場所が分かったんだ。
鍵を取って、すぐに乗騎のところに取って返したのに、千鶴がいなくてさ。
途中で行違うはずもないし、って、探そうとしたときに、その叫び声がしてさ。」
・・・てことは、本当に、時間的に、そんなに経ってなかったんだな。
「叫び声を聞いて、瞬き五つで駆け付けました。」
「僕は、五回息をする間、かな。」
「その節は大変お世話になりました。」
お礼の声は水月の手に持った鶴から出るから、話してて、ちょっと違和感を感じる。
水月はそれに気付いたのか、わたしの首にもう一度、鶴をかけ直してくれた。
「やっぱこれ、作り直して、気を失っても叫ぶようにしましょうかね。」
「気を失ってんのに叫ぶとか、ちょっと、怪談じみてない?」
「それで驚いて逃げ出すなら、十分に役に立ちますよ。」
それも、そっか。
「それよりさ、僕にも千鶴の居場所が分かるようにする装置を作ってよ。」
彼月はむぅと水月を睨んだ。
「お前だけ、いつも分かっててずるい。」
「オレの感知系は、千鶴さんに特化して、かなり鋭敏にしてありますからね。
けど、彼月さんの魔導力じゃ、これと同じってのは、難しいっすよ。」
水月はあっさり首を振った。
「家、一軒分、くらいの大きさのある増幅器が必要になりますね。
それ、持ち歩けないし。
あまり現実的じゃないっす。」
「ちえ。
じゃあ、せめて、その鶴、もっとしっかり叫ぶようにしておいてくれ。」
「それは了解っす。」
わたしの意見も聞かずに、ふたりで相談して決めてしまう。
「けどもう、こんなことは、二度とないようにしますよ。」
水月はわたしの近くに寄ってくると、周りも気にせず、いきなりふわりと背中に覆いかぶさった。
「もう、絶対絶対、オレの目の届くところより遠くには行かせません。」
「それはそれで、千鶴が不自由だろう?」
ちひろは水月をたしなめるように言ったけど。
水月は頑として首を振った。
「どんなものも、千鶴さんの安全とは、引き換えになりませんよ。」
「ずっと永遠にそんな状況というわけではありませんし。
しばらくは千鶴さんも我慢してくださいな。」
みすずはわたしを宥めるように言った。
「なにも、水月ひとりに任せっきりじゃなくて、わたしたちもいることですし。
彼月だって、手伝ってくれるでしょう?」
当然だ、と彼月も頷く。
前は、みんな過保護だって思ってたけど。
実際に攫われかけたわけだし、これはもう、そんなことを言ってる場合じゃないなと思った。
「あの。よろしく、お願いします。」
素直に頭を下げたら、了解っすぅ、と後ろの人が嬉しそうにすり寄ってきた。
「ちょ、水月!お前、べたべたし過ぎ!」
彼月がむっとしたように言う。
「ほんの少しの隙間もないほうが、より安全っすよ?」
言い返す水月に、彼月はきっぱり断言する。
「いいや。
それは、まず真っ先に、お前自身が一番の不審者だ。」
「あ。
それ、なんか、前にわたしも、思ったことある!」
なんだか懐かしくなって思わず言ったら、ええ~っ、と後ろから不満そうな声があがった。
「こんなに人畜無害なのに。」
「千鶴が不審者だって言ってるんだぞ?
少し、離れたらどうだ?」
「いや、っす。
こればっかりは、千鶴さんの言うことでもきけませんね。」
「ご主人の言うことをきかないアホ犬は、番犬にもなれないだろう?」
「オレ、犬、っすか?」
うん。確かに水月って、人懐っこくてちょっとおバカな大型犬、って感じもするかなあ・・・
って、こっそり思ったのは黙っておこう。
まあまあ、と際限のない言い争いに割って入ったのはひかるだった。
「とにかく、実害がなかったのは不幸中の幸いだったから。
千鶴も、これからは、いつも誰かと一緒にいるように気をつけてね。」
「はい。
あの、ご心配をおかけしてしまって、すみません。
ご面倒をおかけしますけど、よろしくお願いします。」
そう言った途端、う、と泣き顔をこらえたようなひなたが、わたしに飛びついてきた。
その横からひかる、そのふたりのうしろから、全員を抱えるように、ちひろ。
水月を突き飛ばして、後ろから抱きしめてくれたのは、みすずだった。
わたしは、こんなにみんなに心配してもらえて、本当に、幸せ者だ。
むこうにいる彼月も、ちょっと呆れたように笑っている。
この人たちと出会えて、本当によかった。
それにわたしが、みんなにこんなにしてもらえるのも、のぞみや細愛のお蔭。
のぞみも、細愛も、本当に有難う。




