表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
双月記  作者: 村野夜市
107/146

105

そろそろ帰ると言うと、彼月も送って行くと言った。


「忙しそうだし、昼間なんだから、べつにいいよ?」


「僕が、もう少し、君と話したいんだ。」

 

ダメかな?って小首を傾げる。

この仕草はちょっとずるい。

これされるときっとみんな彼月の言うこと、聞いてしまうんだろうな。

彼月のことだから、これ絶対、分かっててやってるよな。

だけど、分かってても、やっぱりわたしも、頷いてしまった。


駐騎場にむかう途中、彼月は、あ、って言った。


「ごめん。乗騎の鍵、忘れてきちゃった。

 ちょっと、先、行ってて?」


「あ。うん。」


一緒に取りに戻ろうか?って言いかけたけど、彼月はもう走り出していた。

彼月ひとりのほうが確実に走るのも早いだろうし。

ついて行くもの迷惑かな。


わたしはゆっくりと駐騎場に向かって歩き出す。

先に乗騎のところに行って待ってよう。


こんなふうに、いつも通りにしてくれる彼月のこと、つくづく有難いって思う。


彼月さんには言わないように。

水月にはそう言われていたんだけど。

このままにしておくのは、卑怯な気がして。

だから、わたしは思い切って、彼月を訪ねた。


だけど、いざ彼月を前にしたら、自分からはそれを言い出せなかった。

でも、彼月はもう全部分かっていて、そうして、わたしを許してくれた。


世界が崩壊しかかっている、こんな大事なときなのに。

彼月の心をわざわざ乱すようなことをしたわたしは愚か者だ。


だけど、彼月は言ってくれた。


勇気を出してくれて、有難う、って。


それから、僕も君とこの世界のために、持ってる限りの力を尽くす、って言ってくれた。


なんて優しい人なんだろう。

なんて、立派な人なんだろう。

あんな人が、自分と元はひとつの魂だったなんて、やっぱり信じられない。

きっと、いいところは全部あっちに行って、わたしは残り滓に違いない。


でも、滓でも。

彼月はあんなに優しくしてくれる。

水月も、とても大事にしてくれる。

いや、水月だけじゃない。

後の月の月の人たちも。

夏生も。晶も。商店街の人たちも。


わたしはこんな滓なのに。

申し訳ないとしか思えないけど。


でもだから。

わたしは、わたしにできることを、全力でやるんだ。


そんなことを考えながら、ふらふらと歩いていたら、ふいに後ろから声をかけられた。


「細愛?君は、細愛だよね?」


え?

わたしを細愛って呼ぶのは誰?


思わず振り返ったら、見知らぬ男の人だった。

研究院の衣を着ているから、ここの研究者だろうか。


「すごい。こんなところで本物の細愛に会えるなんて。

 握手、してもらってもいいかな?」


手を差し出されて、思わず、その手を握ってしまった。

そのときだった。

ぴり、と指先が痺れる感じがして、ふっ、と気が遠くなる。

からだから力が抜けて、立ってられなくて、わたしはその場に崩れるように座り込んだ。


細愛のくせに。

どうして、まだ、こんなところを歩いているんだ?

早く、障壁、作り替えろよ。

それとも、今さら命が惜しくなったのか。

だけど、そもそもお前の命はそのためのものだろう?

そのためにお前は生まれてきたのに。

まあ、いいさ。

だったら、お前のその魔導力、俺たちが有効に使ってやる・・・


どこか遠くから、複数の人間の声がそんなことを話すのが聞こえてきた。

ずるずると引きずられて、どこかへ連れて行かれるみたいだった。


と。

そのときだった。


首にかけた鶴が、けたたましい悲鳴をあげた。


え?ちょ、わたし、叫んでないよ?


うるさい鶴を黙らせようと思うけど、からだが重くて動かない。

瞼も重くて開けられなかったけど、なんとかそれは、無理やり持ち上げた。


焦点の合わないぼんやりした世界に、ゆらぁり、と立つ、人影が見えた。


「その人を放してもらいましょうか。」


その声にはっとした。

・・・水月?

どうしてここへ?


その水月の後ろから、突然、なにかが飛び出した。

短い気合の声と、誰かの呻き声。

それから、がっしりとわたしを捕まえた温かい腕。


さっき引きずって行こうとした人たちの手とは明らかに違う。

あんなふうに無理やりじゃなくて、もっと大事に抱きかかえてくれる腕。


「水月。千鶴を頼む。」


彼月?

じゃあ、この温かい手は、彼月だったんだ。

彼月は水月にわたしを渡すと、すぐに手を離した。


「・・・だから、悪いやつに攫われるって、言ったでしょ?」


ぐすぐすと鼻をすすりながら、水月は、耳元で言った。

もしかして、ちょっと、泣いてる?

ぎゅっと胸のなかにくるみこまれる。

だけど、少しも苦しくはなくて、むしろほっとした。


安心すると、視覚と聴覚が、だんだんに戻ってきた。


「うっ。ぐへっ。」

「も、もう、許してくれ・・・」

「かはっ。」


後ろから聞こえるその声に、わたしは慌てて振り返った。


え?彼月?


そこには研究院の研究者が三人、地面に膝をついていた。

その前には彼月がまったくの無表情のまま、仁王立ちになって、三人を見下ろしている。


三人とも、あちこち衣は破れ、腕や足をさすっている。

彼月のほうはまったくの無傷だ。

よかった、誰もひどい怪我はしてないみたい。

と、思ったときだった。


許してくれ、と手を合わせていた男が、いきなり立つと彼月に殴りかかった。

彼月は顔色ひとつ変えず、男の拳を避けると、素早く後ろに回って、背中に肘を打ち込んだ。


う。・・・痛そう・・・


彼月って、石像相手に素手で勝っちゃう人だ。

人間相手なら、少しは手加減していると思うけど。

これはたぶん、もう、余計な抵抗はしないほうがいいと思う。


だけど、もうひとりの男が、背中を見せた彼月に、滅茶苦茶に拳を振り回して襲い掛かった。


彼月って、きっと、背中にも目、あるに違いない。

彼月は拳をさらりと避けると、男の肘を掴んで、地面に引き倒す。


自分だけ何もしないわけにもいかないと思ったのか、残りのひとりも襲い掛かってきたけど。

それもあっさり、彼月に倒されてしまった。

彼月は息ひとつ乱さず、まるで舞いでも舞っているかのような優雅さだ。


今度は彼月も少し痛くしたらしい。

誘拐犯たちは地面に転がったまま、呻き声を上げている。

だけど、その目は彼月を憎々し気に睨んだまま、まだ、闘争心を失くしてはいないようだった。


あ。もう、やめといたほうが、いいと思います。


わたしは、誘拐しようとした犯人たちのほうが気の毒になってきた。

ここの研究者なら、すごく賢い人だろうに。

もうこれ以上はやらないほうがいいとか、思わないのかな。


彼月は少し面倒になったみたいに、ため息を吐いた。

う。これは、ヤバい、かもしれない。

わたしは焦った。


「あ。もう、やめましょう?

 あの、みなさんのお怒りは、ちゃんとわたし、伺いますから。

 だからその、暴力はもう、やめましょう。」


わたしは、どちらかというと、彼月のほうを止めたくて、思わずそう言っていた。

彼月はこっちを振り向いて、ちょっと怒ったみたいに言った。


「こんなやつらの話しを聞くなんて、時間の無駄じゃないかな。

 今、気を失わせるから、そのまま警吏に突き出してしまおう?」


「いや、あの、警吏は、その・・・」


そんなことをしたら、この人たちみんな、犯罪者になってしまう。


「ごめん、彼月。

 あの、わたしがうっかりしてたんだ。

 人さらいに攫われるって、水月に言われてたのに。

 気をつけておかなかったわたしが悪いの。」


「いや、どう考えても、それは人さらいのほうが悪いでしょう?」


彼月は呆れたみたいに言い返した。


「けど、人さらいが攫いたくなっちゃうような状況を作り出したのは、わたしなんだし・・・」


「それを言うなら、君のことをひとりにした僕に、責任はある。」


責任を取って腹を切る、とでも言い出しそうな雰囲気の彼月に、わたしはますます焦った。


「彼月だって、ちゃんと助けに来てくれたんだし。

 わたしは、無事だったんだから・・・」


「無事では、ないよね?

 今だって、からだ、動かせないんでしょう?」


「あ、っと・・・いや、ちょっと、なんだか、マシに、なってきた、かも?」


「・・・まあ、いいでしょう、彼月さん。

 千鶴さんがそう言うんだったら、今回は許してやりましょう。」


そう言ったのは水月だった。


「人間誰しも、魔のさすことはあるものです。

 研究院に不穏な分子のあることは、オレも気づいてたのに、一掃してませんでしたしね。」


一掃?

今、一掃、って言った?

穏やかな口調の水月に、やれやれと思いかけていたわたしは、びくっと水月を振り向いた。


目の合った水月は、完全に無垢です、って目をして、にっこり微笑んでみせた。

い、いやいやいや。かえって怖いって。


「この際だから、ゴミは掃除しておいたほうがいいかもしれませんけど。

 ゴミって、片付けても片付けても、またわいてくるものでしょう?」


あの。

人様をゴミ呼ばわりするのは、その・・・


「それに、大抵のゴミって、少し手をかけてやれば、また使えるものになったりするんですよ。」


くくっ、と笑って水月は掌を誘拐犯たちのほうへ向けた。


「この人たちだって、一度は志を認められて、研究院に入ったんだろうし。

 今回はちょっとやり方を間違えちゃっただけで、本来は、世界のためを思う善人ですよ?」


水月がゆっくりと掌を握りながら持ち上げると、誘拐犯たちのからだはずるずると起き上がった。

だけど、それは本人の意志ではなく、なにか大きな力に引きずり上げられたかのようだった。

そうして三人は、地面に直に正座した。

その姿勢のままこっちを見上げる三人は、微動だにせず、一言も口をきかなかった。


「ね?みなさん?」


水月はわたしをもう一度引っ張り寄せてから、誘拐犯の顔をゆっくりと見回した。


「愛情深い細愛は、みなさんをこれ以上傷つけることを、オレたちに許してくれません。

 それどころか、警吏に突き出すことさえ、やめろって言うんです。

 よかったですね?」


にっこり笑顔なのに、目が全然笑ってない。

水月って、こんな怖い笑いかたもするんだ、って思った。


「賢いみなさんなら、一度聞けば、覚えられると思います。

 だから、ちゃんと、覚えておいてくださいね?

 細愛を傷つけようだなんて、万死に値する行いです。

 次は、もう、ありませんよ?」


水月の笑顔が、すっと冷えた。


「細愛は、きっと、次も、またその次も、彼月さんやオレを引き留めると思います。

 けど、彼月さんもオレも、彼女の思考より早く、動けるんですよ?」


つまり、わたしが止めようとしても、間に合わない、ってこと?


「大事なことなので、二回言います。

 みなさんに、次、はもう、ありません。」


誘拐犯たちは、揃って、こくこくと頷いた。

水月はもう一度にっこり笑って、掌を誘拐犯たちのほうへむけた。

その途端、三人は金縛りが解けたように立ち上がると、あとは振り向きもせずに逃げて行った。


「ちろさんのところへ。」


水月はわたしを抱きかかえると、彼月に言った。


「千鶴さんに使われたのは、魔導ではなくて、なにかの薬のようです。

 やつらも千鶴さんの誘拐を計画していたわけではないでしょうし。

 たまたま、ひとりでいるのを見かけて、これは好機だと攫おうとしたのなら。

 おそらくは、護身用の薬の類でしょう。

 だとすると、命に係わるようなものではないと思います。

 千鶴さんのからだの痺れも、収まってきているようにも思えますけど。

 やっぱり、ちゃんと診てもらっておいたほうが、安心できるので。」


「分かった。」


彼月も短く頷く。

わたしは水月に抱えられたまま、ちひろたちのところへ連れて行かれた。



 



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ