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双月記  作者: 村野夜市
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翌朝。

出かけようと戸を開けたら、いきなり、なにかにぶつかった。

え?と思った瞬間、なにかが覆いかぶさってきて、目の前が塞がれる。


「おはようございます。」


この感じ。毎度のことだけど、なかなか慣れない。


「水月?」


わたしの後ろから出てきた夏生が驚いたように名前を呼ぶ。


「まさか、一晩中、ここにいたの?」


「いえいえ。まさかまさか。

 さっき来たところっすよ?」


「本当に?」


「嘘じゃありません。

 次元間通路を使って乗騎で来たら、ほんの瞬き五回ほどの時間で来られるんですよ。」


「じげんかん・・・何?」


「次元間通路。簡単に言うと、次元を少しずらしたところに道を作るんです。

 そうするとですね、三次元の物体をすり抜けて・・・」


「あ、いや。解説はいい。

 じゃ、ちーちゃん、あたし、先、行くから。」


夏生はちゃっ、と手をあげると行ってしまった。

いつものことだけど、素早い。


「じゃあ、千鶴さんに、実際にやって見せてあげますよ。

 さあ、乗ってください。」


にこにこと乗騎を示す水月に、わたしは、あ、と言った。


「ごめん。今日は、彼月にちょっと用があって・・・」


「彼月さんに?」


水月はちょっと首を傾げたけど、すぐににこっと頷いた。


「じゃあ、彼月さんのところに送って行きますよ。」


「いや、悪いからいいよ。

 水月、反対方向でしょう?

 わたし、歩いて行けるから。」


「彼月さんのところでも、ほんの瞬き五回っすよ。

 とって返しても、瞬き十回分っす。

 さあ、遠慮せず、乗った乗った。」


わたしは急き立てられるように乗騎に乗った。


ほんの一瞬、周りの景色が色に溶けて流れたかと思うと、もう彼月の部屋の前に着いていた。

建物の廊下に乗騎を乗り入れているのにちょっと気は引けたけど。

それ以外には、まったくなんの問題もなかった。


「彼月さ~ん。おはようっす。」


水月は部屋の呼び鈴を連打しながら大声で彼月を呼ぶ。

しばらくして、うるさいなあ、と機嫌の悪そうな彼月が出てきた。


「あ。彼月?おはよう?」


それは初めて見る彼月だった。

着崩れてはだけた衣。ぴょんぴょんとあっちこっちにむいて跳ねた髪。

眠そうな目は、いつもの半分くらいしか開いてない。


「え?千鶴?」


戸口に立っていたわたしに気付いた彼月は、目を丸くすると、慌てて中に引っ込んだ。

ばたん、ばたん、と中から派手な音が響いてきた。


「彼月さん、実は朝、苦手なんっすよねえ。

 たいてい寝ているから、あのくらいうるさく呼ばないと、出てこないんですよ。」


隣で水月は楽しそうに説明した。


少しして、彼月は再び戸を開けた。

衣の合わせは直っていて、髪も慌てて撫でつけたのか、少し濡れている。


「千鶴連れてくるなら、前もって言ってくれ・・・」


彼月はぶつぶつと水月に言ってから、こっちをむいてにっこりした。


「ようこそ。

 抜き打ちでも、君が来てくれるのは、嬉しいよ。

 少し散らかってるけど、中に入って、お茶でもどうぞ。」


「あ。じゃあ、オレはここで。」


水月はそう言って軽く手をあげた。


「なんだ。付き合い悪いなあ。

 お前も、お茶飲むくらいいいだろ?」


彼月は不満そうに水月を睨む。


「いやいや。

 ひなさんに図面じゃなくて試作品を届けろって言われてますからね。

 今日は昼までに大急ぎであと三つ、作らなきゃなんっすよ。」


そんなに忙しいなら、わたしのこと迎えにきたり送ったりしてくれなくていいのに。


「終わったら、彼月さん、千鶴さんのこと、うちまで送ってくださいね?」


「ああ、はいはい。」


彼月は分かってるよと頷いた。


いや、そんなにみんなして送ってくれなくても、わたし、自分で行けるんですけど。

なんで、みんなしてそう過保護なんでしょう・・・


「じゃあ、千鶴さん、またあとで。」


水月はそそくさと手を振ると、乗騎に乗って、一瞬で消えた。

なるほど。

次元間通路というのを使うと、外からはこう見えるんだ。


「千鶴、どうぞ?」


彼月はそう言って戸を大きく開けてくれた。

そうだった。

わたし、今日は自分から用があって、彼月のところへ来たんだった。


彼月の部屋のなかは、前に来たときよりはかなり雑然としていた。

多分、床いっぱいに広げられた布や、あちこちに散らばる色とりどりの糸のせいだ。


「あ。針とか、鋏とか、踏まないように。」


彼月に注意されて、わたしは慌てて足元を確かめた。

すぐ近くに針山が転がっていて、危うく踏むところだった。


「ごめん。

 明け方まで作っていたもんだから。

 ちょっと片付けるから、少し、待ってて?」


彼月はきょろきょろと部屋のなかを見渡して、うーん、と唸った。


「ごめん。安全なとこ、寝台の上くらいしかないな。

 悪いけど、そこ、座っててもらえる?」


いえいえ。他人様のお家の寝台には座れませんよ?

わたしはしばらくそのまま突っ立っていたけど、厨房からお湯の沸く音がしたから、そっちへ回った。


「あ。悪いね?

 お茶の葉はその棚の上。」


彼月に言われて棚をあさる。

お茶の粉って、なんか、小っちゃい瓶とかに入ってるよねえ・・・


「ああ。その君の手に持ってる筒だよ。」


え?これ?

開けるとふわっとお茶のいい匂いがした。

けど、中に入ってたのは、葉っぱ、とは思えない、カサカサの・・・なんだろ、これ?

指につまんでしげしげと眺めていたら、彼月の笑う声がした。


「そっか。お茶の葉の使い方、知らないか。」


彼月は笑いながらこっちへ来て、わたしからその筒を取り上げた。


筒の中身を蓋で分量を測って、急須のなかに入れる。

薬缶のお湯を注ぐと、お茶のいい香が立ち上った。


「さてと。

 とりあえずは片付いたから、こっちへどうぞ?」


本当に、あっという間に片付いていた。

座卓にむかいあって座ると、彼月は丁寧にお茶を淹れながら聞いた。


「朝ごはんは食べてきた?千鶴?」


「あ。彼月、まだだよね?ごめんね?朝から押しかけて。」


「ああ、いや。もう普通に人間の活動する時間だから。

 こんな時間に寝ているほうが悪いんだ。」


彼月は苦笑しながら厨房に立つ。


「じゃあ、悪いけど、僕は朝食にさせてもらうよ。

 君も、よかったら、少し、つまんで?」


そう言いながらも素晴らしい手際で料理を始めた。

あっという間に、座卓の上には、見事に一汁三菜揃った朝食が並んだ。


「彼月っていっつも朝から、こんなに立派なご飯、食べてるの?」


思わず尋ねてしまう。


「ああ、今日はちょっと手抜きしたけど。

 いつもはもう少し、いろいろするよ?

 もっとも、朝食というより、朝昼兼用の食事だけど。」


そっか。いつも昼くらいまで寝てるんだ。


「彼月って、本当、マメだよねえ?」


「それ、褒められたって思っていいのかな?」


にっこり笑ってわたしの前にも小皿とお箸を並べてくれる。


「伴侶にするには悪くない相手だと思うんだけどねえ。」


そんなことを言ってこっちをちらっと見る。

その彼月に、わたしはここへ来た目的を思い出した。


「そのことだけどね、彼月。」


改めて背筋を伸ばして、思い切って言おうとした。


彼月はお味噌汁を一口飲んで、うん?とこっちを見た。

あんまりくつろいだその様子に、わたしは、一瞬、言いかけた言葉を呑み込む。

すると彼月は、ふふっ、と笑った。


「無理しなくていいよ、千鶴。

 水月も、そう言ったんじゃない?」


え?どうして水月もそう言ったって分かるの?

息を呑んだわたしに、彼月はまた、ふふっ、と笑った。


「あいつとは、なんだかんだ、長い付き合いだからね。

 ことによっちゃ、君よりよほど長く、一緒にいたから。」


そっか。

生まれ変わるたびに、ずっと一緒だったんだもんね。

そりゃあ、長いよね。


って思ってから、はっとした。


「彼月?どうしてそのこと・・・」


「ああ。

 記憶、戻ってきてるんだ。

 少し、前からさ。

 まだ、ところどころ、とびとび、なんだけど。」


彼月はなんでもないことのように言って、ずずっとお茶をすすった。


「もっとも、思い出したくなかったことも、たくさん、思い出してしまったよ。

 例えば、君を見つけたくて、僕はあいつをずっと捕まえていたこととか。

 あいつには君を見つける力があるだろう?

 僕は、それを利用するために、自分の魂を檻にしてね。

 そのなかに、あいつを閉じ込めておいたんだ。

 もうずっと、ずっと、長い間、ね。」


彼月は窓のほうをむいて、ふぅとため息を吐いた。

窓からは明るい光がさしてきていた。

窓の前の衣紋掛けには、今作りかけらしい衣がかかっていた。


それは銀を帯びた灰の色に、色とりどりの花の刺繍を施した衣だった。

見たことのないくらい綺麗な衣装だった。


「まだ作りかけなのに。バレちゃったな。」


彼月は衣を見ながら微笑んだ。


「君のだよ。

 黒はもう、いらないだろ?

 灰色は、君がずっと着ていた衣の色だよね。

 君の一途な思いに相応しいのは、黒じゃなくてこっちだって思ったんだ。」


だけど、彼月の染めた灰色は、限りなく銀に近い。

それは花の刺繍とも相まって、煌びやかとすら言ってもいいほどになっていた。


「もうこのくらいしか、僕にしてあげられることはないからね。」


彼月はわたしを見て優しく微笑んだ。


「あいつは、君が僕を選んだと思っているけど。

 あれは、完全に後出しじゃんけんのようなものだよね。

 あのときでさえ、君の心にいたのは、僕じゃなくて、あいつだった。

 君が、伴侶になるって決めたのは、あいつだった一三夜だ。」


それから彼月は、額のあたりに手を置いて下をむいた。

それは、わたしの視線から、顔を隠そうとしたようにも見えた。


「でも、君は、僕が心を失ったことに同情してくれただろう?

 あれは、本当に嬉しかったんだ。

 僕のこと、冷たいんじゃなくて、強いんだって言ってくれた。

 そうして、僕に、もう、無理しなくていい、って言ってくれたよね?

 そこだけは、僕が君にもらったものだ。

 そして、僕には、それだけでもう、十分なんだって思う。」


彼月はわたしのほうへ手を伸ばして、ゆっくり髪を撫でた。

こっちを見上げたその瞳は、うるうると潤んでいた。


「僕にとって、君はとても大切な、かけがえのない人だ。

 だけど、僕らはこうして互いに向き合って、互いに支え合う同士だ。

 君の隣にいて、君と同じほうをむいて、一緒に歩くのは、あいつだよね?」


千年かけて、ようやく分かったよ。


ぽつり、と、涙と一緒に、彼月はその言葉を零した。








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