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足元に広がる無数の灯り。
それは星のように瞬いて、きらきらと輝いていた。
乗騎は速度を緩めて、ゆっくりと漂うように浮かんだ。
わたしたちは長椅子みたいに、乗騎に並んで腰かけて、景色を眺めていた。
「あの光のひとつひとつ。
その下にひとつひとつ。人の暮らしがあるんっすよねえ。」
水月はしみじみと呟いた。
「天界人は、毎日、こんな景色を見ていたのかなあ?」
はるか高みにあったという天界。
そこからの景色は、すごく綺麗だったんじゃないかな。
けれど、水月はゆっくりと首を振った。
「あのころはね、地上にこんな光はありませんでした。
地上の人たちは、みんな瘴気に追われて、街を作ることはできなかったんでしょう。
天界から見下ろした地上は、夜は真っ暗でした。」
そっか。
水月はそのときの景色も、その目で見てきたんだ。
「なんだかんだ言って、天界人が地上に光を取り戻したというのも、事実なんですよ。」
月の浄化装置のことは、ひどいって思ったけど。
それは同じ天界人同士でも、ひどいって思う人たちもいたみたいだし。
天界人だからと言っても、みんながみんな善人ってわけでも、悪人ってわけでもない。
ただ、その魔導文明は、間違いなく、世界に光を取り戻してくれた。
「天界人のもたらした魔導文明のおかげで、今みたいに暮らしていけるんだもんね。
魔導って、本当にすごいと思う。」
「人を幸せにするのは、魔導、じゃなくて。
魔導を使う、人、なんですけどね。」
水月は街の遠く遠くまで眺める。
今のこの世界。光は視界の届く限界より、もっとずっと遠く遠くまで広がっている。
魔導の力で護られ、魔導の力で動かされている街。
この場所があるから、わたしたちは、安心して生きていられる。
「水月は、人、じゃないけど、人のことを幸せにしてくれてるよね?」
魔導の発展には水月の力も大きかったって、ひなたたちにも教えてもらった。
水月はちらっと笑って、告白するように言った。
「オレね、本当はずっと、人になりたかったんです。
人になって、この世界に混じって生きていきたい、って。
心の底で、ずっと願ってました。
だけど、怪物のオレが人間に生まれ変わるなんて。
それこそ奇跡でも起きない限り無理ですよね?
それに、人になってしまったら、あなたを見つけられないから。
だからずっと、こんな怪物のまま、存在し続けてました。」
水月はこっちに手を伸ばして、帳のようなわたしの髪を、さらりと持ち上げた。
「それでも、どうしても、またあなたに会いたかったから。
それが、オレにとっては、なにより大事だった。」
「わたしも、それは、同じだったのかもしれない。」
長い髪の影から、わたしは水月の顔を見つめた。
水月は、え?って目をして、わたしを見た。
「ずっと、細愛が、浄化ではなくて、魔導障壁の作り替えをしてきたのは。
そうすれば、きっとまた、水月と彼月に会えるから。
このまま何もかも終わらせてしまったら、もう二度と会えないかもしれない。
だけど、魔導障壁があれば、また、いつか生まれ変われるから。
そんな自分勝手な理由だったのかもしれない。」
そうすることで、水月も彼月も、それから、周りにいた大勢の人たちも、苦しめてきた。
ひどいことをしてきたのは、実は細愛なんじゃないかな。
だけど、そんなひどいことをしてきてしまった細愛の気持ちが、今のわたしにはよく分かる。
こうして、一緒にいる時を重ねれば重ねるほどに。
離れたくない気持ちは募る。
もしたとえ、近いうちに道の分かれるのを避けられないのならば。
その先でまた会えるという希望を持ちたい。
だから、細愛は、ずっとそれを選択してしまったんじゃないかな。
「ごめんね?」
あなたを失うたびに、魂ごと凍り付き、砕け散った。
いつか一三夜の言った言葉を思い出した。
その苦しみを与え続けたのは、他ならないわたしだ。
水月は、いいえ、と首を振った。
「たとえそうだとしても。
あなたのその選択を、オレは歓迎します。
また会いたいと思ってくれてたなんて。
ずっと、知りませんでした。」
それは、少し意外だと思った。
「細愛はそう言わなかったの?」
「一度も。
ただ、どうかあなたは幸せになって、としか言いませんでしたよ。
どんなに心を探っても、あなたはいつも、周りの人たちの幸せだけ、祈ってるんです。
もっともオレも、あなたを失うとき、自分も一度滅ぶとは、伝えませんでしたけど。」
「どうして、言わなかったの?」
「・・・オレにとっては、滅びも甘美なんです。
あなたのいない世界なんて、からっぽの虚無も同然。
オレのいる必然性なんて、まったくないでしょう?
たとえ絶望でも、あなたから与えられるものは、オレにとっては宝なんです。
その絶望ゆえに滅びるのなら、その滅びもまた、あなたから与えられた宝。
凍り付き砕け散ることすら、あなたと運命を共にできるようで、歓びに感じるんですよ。」
そう言って笑う水月に、わたしはちょっとぞくっとした。
「・・・水月ってさ。」
はい?と振り返った水月をまじまじと見る。
「かなり、自虐的だよね?」
「そっすか?」
そう訊き返しながらにこっと笑う水月に、わたしは苦笑する。自覚はないらしい。
細愛は、多分、ずっと最初から、このサイカのことを好きだったんだろうな。
だから、自分の命と引き換えにしても、庇ってしまったんだ。
そもそもは、それがすべての始まり。
細愛が命を落としたときから、この苦しみの連鎖は始まった。
「けど、オレも多分、期待してたんです。
また、あなたと出会えることを。」
その出会いは、苦しみと辛い別れしかもたらさないと分かっていても。
それでも、また会いたかった、って言ってくれる。
千年の間、何度も何度も、それを繰り返してきたんだ。
だけどもう、今度こそ、それを終わりにしよう。
来世は分からないけど、今生は寿命の果てまで、水月と一緒に生きていこう。
「大丈夫。もちろん、来世もまた、あなたのこと、見つけますよ?」
水月はこっちを見てにこっとした。
「魔導障壁が必要なくなったら、わたしはもう、生まれ変わらないかもよ?」
「あなたはオレとは違って、ちゃんとこの世界の魂をもつ者ですから。
たとえ輪廻の輪から解脱しても、それなら、その先の世界を探しに行きますよ。」
水月はわたしの目を覗き込むようにして、ふふっ、と笑った。
「あなたこそ、とんだ怪物に見込まれてしまったのかもしれませんよ?
どんなに逃げても、生まれ変わっても、決して逃がしてくれない怪物ですからね?」
「水月なら、それもいいよ。
来世もその次も、わたしのこと、見つけてね?」
約束しよう、って小指を出したら。
水月は、はっとした目をして、それから、急いでわたしから目を逸らせた。
「・・・やっぱり、あなたには、永遠に敵いそうもありませんね・・・」
そう言って小さなため息を吐いた。
焦ってむこうをむいたまま、水月は、結局、指切りはしてくれなかった。
そのときは、わたしも、そのことを、そう大したことには思わなかった。
だから、宙ぶらりんになった小指はさっさと引っ込めて、そのまま忘れてしまっていた。
どうして、あのときちゃんと約束しとかなかったのかな。
後になって、そう思った。




