101
店に戻ると、水月が待ち構えていて、いきなりがばっと、真正面から覆いかぶさった。
「え?は、い?」
突然目の前が真っ暗になって、わたしはびっくりしたまま、立ちすくむ。
少しくぐもった水月の声が、おかえりなさい、と頭に直に響いた。
「ごめんよ。君の宝を借りてしまって。」
わたしの後ろから、笑いを含んだようなちひろの声がする。
「じゃあ。ちゃんと無事に返したから。
わたしはこれで。」
「あ、あの、ちひろさん!」
わたしは急いで水月を振り払うと、行こうとするちひろを呼び止めた。
なに?と振り返ったちひろに、ぺこりと頭を下げる。
「あの。わざわざ送っていただいて、有難うございました。」
ちひろは、いや、とだけ言って、むこうをむくと、差し上げた手を振って、行ってしまった。
「すいません。驚かせて。」
背中から水月の声がしたかと思うと、後ろからまた性懲りもなく覆いかぶさってきた。
「・・・けど、どうにも、あなたが足りないんです。」
いったいまた、何事?
「とりあえず、中、行こうっか。」
わたしが歩き出すと、水月は、コートのように覆いかぶさったままついてきた。
相変わらず雑然とした作業机の上に、小さな空間があって、その中央に何か置いてある。
近づいて見ると、きらきら光る白銀色の折り鶴だった。
二羽の折り鶴が真ん中の羽を共有している形だ。
連鶴、って言ったっけ。
前に、角のお蕎麦屋さんの飾り付けをしたときに、水月が作ったのを覚えている。
「これ、触ってもいい?」
「どうぞ。あなたのために作ったものです。」
水月は鶴をつまんでわたしの掌にのせてくれた。
小指の爪ほどの小さな小さな連鶴。
こんなに小さいのに、見事な細工だ。
素材は紙じゃない。
なにか、薄い薄い板のようなもの。
そっと指で押さえても、形が崩れたりはしない。
光にかざすと、鶴は不思議な七色の光を放った。
「晶さんが比翼鳥の話しをしていたのを思い出して・・・
いや、あの、でも、決して、これは、あなたとオレだ、というわけでは・・・
あ、いや、でも、あの、その、鶴が一羽だけってのも、なんか、淋しいな、とか・・・」
急にもじもじと言い訳じみたことを並べだした。
「有難う。すっごく可愛い。」
お礼を言ったら、一瞬黙って、まじまじとわたしの顔を見つめてから、大急ぎで目を逸らせた。
「もう少しいいのを作るって、約束しましたから。」
水月はそう言うと、わたしの首からあの玉を取った。
紐につけた玉を外すと、代わりにそこへ鶴をつける。
外した玉は、大事そうに自分の懐に押し込んだ。
「え?あ・・・」
首にかけた鶴からわたしの声が聞こえる。
もう既に、調整も済ませてあったらしい。
「うん。調子も良好っすね。」
水月は満足そうに頷いた。
わたしは水月の懐を指さして尋ねた。
「それ、どうするの?」
「大事にとっておきますよ。
短い間とはいえ、あなたの身につけていただいていたものですから。」
水月は大事そうに玉を取り出すと、すりすりと頬ずりをした。
「・・・あなたから移ったぬくもりが、まだ残ってます。」
う、と思わず顔をしかめてしまってから、もう一度尋ねた。
「それって、何かに使うの?」
「オレの宝物です。」
「わたしと同じように困ってる人にあげるとか、部品を流用するとかは?」
「しません。
これ、あなたの声が出るようにしてありますから。
他の人には使わせたくありません。」
「それなら、あの、わたしがもらってもいいかな?」
水月はわずかに眉をひそめた。
「その鶴があれば、こっちはいらないと思いますけど。
それ、あなたに追従する機能も付けてありますから、どこかで失くす心配もないし。
見た目は華奢ですけど、月が乗っても壊れないくらい頑丈です。」
月?どうやって乗る?
まあ、いいや。それはともかく。
「それ、ひなたにあげたら、ダメかな?
これは百年紀に一度の発明だ、って。
分解したい、って言ってたから。」
「ああ、ひなさんか。」
水月は淡々と言った。
「あの人は、オレの作ったものを分解しては、同じものをいくつも量産するんっすよ。
まあ、あなたの声を使わないなら、いいっすけど・・・」
水月はひょいひょいひょいと玉を分解しかけてから、ふと、その手を止めた。
「う。ここ、あなたの声の標本が入ってるんですけど。
標本とはいえ、あなたに付随するものを壊すなんて、オレにはできません。
やっぱ、同じの、もう一個作ります・・・」
あー、けど、わざわざ声の標本、一から作り直すのは大変だな、とため息を吐いた。
「あなたの声の標本は前から作ってあったんっすけど。
普通に作ると、結構時間、かかるんで・・・」
前から?
って、今、さらっと言いましたけど、いつからそんなもん、作ってたんだ?
「どのくらい、時間、かかるの?」
「完璧にするには、永遠にかかりますね?」
そうね。水月って、ときどき、妙なとこ、こだわるもんね。
「・・・完璧じゃなければ?」
「急いでも、ひと月はほしいっす。」
ひと月かあ・・・
「今はそれどころじゃないっか。」
わたしは部屋の隅に積み上げられた試作品の山を見た。
あれ、朝はなかったから、今日一日で作ったんだろうけど。
毎日毎日、この勢いで、作り続けているもんね。
水月は困ったようにこっちを見た。
「設計図、送るんじゃ、ダメっすかね?」
「あー・・・ひなたは、設計図は、あと三日くらいは、送ってほしくない、って・・・」
頭をかきむしっていたひなたを思い出して、わたしは苦笑いした。
水月はむぅ、と額を指で抑えた。
「図面のほうが分かりやすいと思うんだけどな。
あの人は、何故か、試作品を分解して組み立て直すほうが分かりやすいとか言うんっすよ。
余計な手間だと思うんだけどな・・・」
それはあの、わたしには、どっちとも分かりかねます・・・
「別にわざわざ壊さなくても、そのままでも・・・」
「ダメっす。」
水月はきっぱりと首を振った。
「この標本は、オレの秘蔵の宝物を供出したものっすから。
これは絶対に、誰にも譲りません。
だいたい、あの人にこれ渡したら、大喜びであなたの声を量産するでしょう?
あなたの声でしゃべる魔導人形とか、量産されたんじゃ、たまりません。
ましてや、その人形に、あ、あ、あ、・・・」
「あ?」
「あ、愛の台詞、とか、無理やり、しゃべらせたりとか!!!
いや、標本があれば、台詞を打ち込んでやれば、なんでもしゃべりますから。
っだ!そんなのダメっす!!」
なんだかうろたえ、取り乱し始めた。
「そんなのダメでしょう?
あなたの声で、愛してるぅ、とか、そこいらじゅうで言われたんじゃ!
そんなこと、オレは絶対に認めません。」
あ、いや、そんなこと・・・いや、ひなたならするかも?
「じゃあ、やっぱり、その、声のところだけ、壊して・・・」
わたしは中身を開かれた玉を覗き込んだ。
「さっき、ここに声の標本があるって言ってたよね?」
なにせ細かい装置だ。
一応、注意深く確認する。
水月は、ああ、はい、と頷いた。
水月の使う工具は、無造作に机の上に放り出してあった。
わたしは、おもむろにそれを手に取ると、思い切って、ぐさっ、っと。
一息に標本のところを突き刺したら、隣から、断末魔の悲鳴が上がった。
「あああああ、壊したあああああ!
あなたの、声を・・・声をおおおお!」
そのままおいおいと泣き崩れる。
いや、そこまで、おおごと?
「いやもちろん、そっちは複製で、大元は誰にも触らせないところに保管してありますけど?
あなたのしたことを非難するなんて、そんな資格、オレなんかにはありませんけど?
それにしたって、あまりに、あまりに、ご無体な、なさりよう・・・」
べそべそ泣きながら、ぶつぶつ言う。
それを見ていて、ちょっと不安になってきた。
「あの、わたし、違うとこまで、壊してしまったとか?」
「いいえ?見事に声のところだけ、ぶすっと、ええ、一思いに。」
それはよかった。
「じゃあ、これ、ひなたにあげていい?」
「そのつもりで壊したんでしょう?」
水月は恨めしそうにこっちを見たかと思ったら、また、がばっと抱きついてきた。
「ええ、ええ、分かってますよ?
これがあれば、きっとまた、誰かの役に立つ、って。
あなたなら、そうおっしゃることは。
だけど、いくらあなたとはいえ、あなたを壊すなんて・・・
もう、そんなこと、やめてください・・・」
そんなに泣かんでも、というくらい大泣きだった。
仕方ない。
せめて、わたしはそのまま、水月の気の済むまで、じっとしていた。




