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双月記  作者: 村野夜市
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帰ろうとすると、ちひろが送って行くと言い出した。

わざわざ送ってもらわなくても、道なら分かるし、まだ外だって明るい。

そう言ったけど、みすずも、送ってもらったほうがいいと言った。


「研究院の人間も、みながみな、あなたに好意的だとは言えませんから。

 わざわざあなたに近づいて、余計なことを言おうとする人も、いないとも限りません。」


「ちひろさんがいれば、まあまず、小物は寄ってこないわね。

 魔除けだと思って、一緒に行ってもらいなさいな。」


魔除け?とはまた、失礼なんじゃ?

ちひろはけれど、ひなたに好き放題言われても怒りもせず、ただ苦笑していた。


「でも・・・いろいろと、お忙しいのに・・・」


「あなたの無事以上に大事なことなどありませんわ。」


ひかるもそう言った。


「あなたのこと気がかりで仕事が手につかないほうが、よほど、時間の無駄なんです。

 ここはおとなしく、送ってもらってくださいな。」


そこまで言われては、それ以上断ることもできない。

仕方なく、わたしは頷いた。


「じゃあ、僕は、自分の部屋に戻って、少し、用を片付けることにするよ。」


彼月はよろしくと微笑むと、先に行ってしまった。

なんだか、少し、思いつめたような目をしていたような気もするけど。

声をかけようとしたときには、もうそこにいなかった。


「少し、歩いても、いいかな?」


部屋を出ると、ちひろはわたしにそう尋ねた。


「ちひろさんさえ、よろしければ。」


わたしがそう答えると、ちひろは、どこかほっとしたような笑顔を浮かべた。


「実はね、君にはちゃんと、謝っておきたかったんだ。」


ちひろはわたしにそう言った。


「あのときは、怖い思いをさせて、悪かったね。」


「それって、あの、魔導障壁を作り替えようとしたときのことですか?」


そうだよ、とちひろは頷いた。


「水月が間に合ったからよかったけど。

 ひとつ間違えれば、君は命を落としていた。」


「もしかしたら、あのとき、ちひろさんは、魔導障壁を作り替えさせるつもりはなかったのでは?」


わたしはちひろにそう尋ねた。

ちひろは、どうして、そう思うの?と逆に聞き返した。


「さっき、ちひろさんは、千鶴にあれは二度はさせられない、って、言ってましたよね?

 それに、彼月も言ってたんです。

 あれで時間稼ぎになった、って。」


肯定も否定もせず、ただ、ちひろは、ふふ、と笑った。


「それにしたって、君に怖い思いをさせたことに変わりはないから。」


それから、わたしの目をじっと見つめると、もう一度、申し訳なかった、とはっきり言った。


「・・・わたし、あのとき、怖いとは思わなかったんです。」


わたしは、あの、桜並木で、自分が解けかけたときのことを思い出して言った。


「ただただ、幸せな気持ちで。

 よかった、って。これが一番いいんだ、って。

 そう思ってました。」


「それはね、わたしがそんなふうに誘導したからだよ。」


申し訳なさそうに目を伏せるちひろに、わたしは思わず言っていた。


「だとしても。

 わたしは、あのとき初めて、自分は細愛なんだって思いました。

 ずっと、細愛のことも寒月のことも、どこか遠い世界の出来事のように感じていたのに。

 自分のなかには、確かに細愛がいるって気付いてから、わたしは少し変わった気がします。」


「・・・君は、細愛だ。最初から。いつも。

 生まれ変わっても、記憶を失くしても。

 わたしたちの大事な細愛だよ。」


その言葉には、ちひろのあったかい気持ちがつまっている。

そのあたたかさが、じんわりと伝わってくる。


ちひろはどこか遠いところを見る目になって続けた。


「わたしたちは、五人姉妹なんだ。」


「それは、とても珍しいですね。

 似た遺伝子を持つ子どもが五人もいるなんて。」


わたしの相槌にちひろは何故か苦笑した。


「玉菜畑じゃないよ?

 わたしたちの生まれたころは、まだ、父と母がいて、その間に子どもが生まれていたんだ。

 わたしたちは、同じ両親から生まれたきょうだいなんだよ。」


「父と母?

 あの、原始のころのように?」


驚くわたしに、ちひろは笑い出した。


「まさか、自分が原始人扱いされるとはね?!」


「あ。いや。失礼だったら、すみません。」


「いいや。失礼なことはない。

 だけど、そうだな、わたしたち以外の人間はもう、全員、玉菜畑で生まれた人だからなあ。

 確かに、君たちから見れば、わたしたちは原始時代の人間だなあ。」


原始時代って。

流石に天界人は原始人とは違うことくらいは、わたしも知っている。


「天界人って、玉菜畑生まれじゃなかったんですね。」


「実験的には行われていたけどね。

 実用はまだされていなかった。

 わたしたちは、父と母と同じ家で暮らす家族だったんだ。」


「家族?」


家族という概念は、失われて久しい。

両親とその間の子ども。その配偶者。それから、孫。

血縁や結婚という契約で共に暮らす人々。

だけど、それにはあまりに弊害も多くて、今ではすっかり廃れた制度だ。


「君にとって、家族、というのはどういう印象なんだろう。

 あまりよいもののようには思っていないかもしれないね。

 けれど、わたしたちのころには、家族はいいものだった。

 少なくとも、うちの家族は、とても賑やかな家族だったんだよ。」


そう話すちひろはとても懐かしそうな目をしていた。


「うちは、七人家族だった。

 子どもが五人いた。それは、その当時でも多いほうだったけど。

 わたしが一番上で、その下に、ひなた、みすず、ひかる、そして、のぞみ。」


のぞみ?

それって、天界の守護天使?


「末っ子は、わたしたちみんなに望まれて生まれてきた。だから、のぞみ。

 わたしたちみんなで、その名前をつけた。

 わたしたちは、のぞみをとても大切に思っていた。

 だけど、のぞみには、先天的な疾患があって。

 十歳までは生きられないと言われていた。」


先天的な疾患?


「玉菜畑では、遺伝的や先天的な疾患は持たないように、遺伝子操作されるけどね。

 当時もある程度は操作されていて、回避できることも多くなっていたのだけれど。

 のぞみは、本当に、稀な例だったんだ。」


「治療は?」


「したさ。もちろん。

 家族全員、ありとあらゆる手を尽くした。

 だけど、何をしても、のぞみを助ける方法は見つからなかった。

 まだ幼かったひかるは、のぞみのために、せっせと鶴を折って祈った。

 そのときのことを描いたのが、あの絵本だよ。」


千の鶴が空を飛ぶとき。

人の力ではどうしようもない事にも、奇跡が起きる。

そう聞いた主人公は、病気の妹のために、鶴を折り始める。


だけど、あの絵本では、千に一羽だけ足りなかったんだ。

千羽いると思って飛ばした鶴は、一羽足りなくて、起こりかけた奇跡もそのまましぼみかけた。

そのとき、天から一羽の本物の鶴が舞い降りて、奇跡を起こしてくれる、って。

そういう筋だった。


「じゃあ、奇跡は?」


絵本の筋だと、奇跡は起きた。

そうして、主人公の妹の命は助かったんだ。


だけど、ちひろは、ゆっくりと首を振った。


「・・・のぞみのからだが生命活動を失った後も、わたしたちは、のぞみはまだ近くにいると信じた。

 きっと、わたしたちのところへ帰ってこようとしていると、思っていた。

 そのための道を拓くのは、わたしたちの使命なんだと考えた。

 そうして、あらゆる手を尽くした後、わたしたちは一体の魔導人形を作った。

 のぞみはきっと、この人形に宿る。そうしてわたしたちのところへ帰ってくる。そう思っていた。」


「もしかして、それが、望?」


天界の守護天使。


ちひろはゆっくりと今度は首を縦に振った。


「強さ、賢さ、器用さ、素早さ。

 わたしたちの持てる限りの技術の粋を尽くして、思い付く限り、最高の魔導人形だった。

 けれど、満を持して起動した望に、のぞみは宿らなかった。」


最初の望にはおよそ人の心などない、ただの冷たい機械だった。

そういうものかな、とわたしたちは軽く思っただけだったけれど。

ちひろたちにとってそれは、深い絶望だっただろう。


「それでも、わたしたちは諦めきれずに、望に様々なことを教え込んだ。

 歌も、楽器も、踊りも、絵画も。

 花を作り、お茶を飲んで笑う。

 非効率的で一見無駄に思えることを、何もかも。

 それでも、望は、この上なく賢く強く正しくて。

 いつしか、天界の守護天使になってしまった。」


望に護られて、天界はさらに住みよい場所になった。

誰もが望を褒め称える。

だけど、それは、ちひろたちの望んだこととは、少し、違っていたんだ。


「その望から、細愛が生まれたとき。

 ようやく、わたしたちは望みが叶ったと思った。

 もちろん、君はわたしたちの妹ののぞみとは違う。

 君は君だよ。

 それは分かっている。

 だけど、細愛は、あまりにも、のぞみにそっくりだったから。」


ちひろはわたしをじっと見つめて言った。


「のぞみも、とても優しい子だった。

 わたしたちが忙しそうにしていると、自分のことはさておいて、わたしたちを気遣ってくれる。

 わたしたちの愚痴を聞いたり、喧嘩の仲裁もしてくれた。

 いつも機嫌よくにこにこ笑っていて。

 あの子と話していれば、いつの間にか、悩みも辛さも消えていくようだった。

 誰の邪魔にもならないように、って言って、いつもひっそりおとなしくて。

 でも、コツコツと花を育て、いつのまにか花園の作り出すような、そんな子だった。」


細愛も、花園を再生させたんだ。サイカと一緒に。


「わたしたちは、細愛のことを、妹が帰ってきたように思ってしまった。

 そうして、細愛を失ったとき、再び妹を失ったように感じた。

 だから、叶うのなら、もう一度、君に会いたいと、ずっと、願っていたんだ。」


君はわたしたちの妹じゃない。

ちひろはもう一度、確認するように、そう繰り返した。


「それでも、君に会えて、とてもとても、嬉しかった。

 余計な関わりはすべきじゃないって、分かってはいるけれど。

 それでも、君のことが気になって仕方ない。

 君にとっては迷惑なだけだろうけれど。

 君は、本当に、細愛にそっくりだから。」


ちひろは胸に手を当てて、わたしの前に膝をついた。


「天界の魔女。四聖。わたしたちはそんなふうにも呼ばれてきた。

 長く長く生きたわたしたちの知恵と力を、どうか、あなたがたの役に立ててほしい。

 わたしたちは、君にとっては、不気味な存在かもしれない。

 それでも、わたしたちには、君を傷つけようなんて気持ちはないから。」


こっちに差し伸べられた手を握って、わたしも大急ぎでちひろの前に膝をついた。


「すみません。

 それって、もしかして、わたしが、後の月の月の人たちのこと、怖い、って言ったからですよね?」


それで、こんなに何もかも説明してくれようとしたんだ。


「あの。わたし、誰かを怖いって思うのは、むしろ、普通で。

 怖くない人のほうが、滅多にいなくて。

 晶も彼月も、怖いほうに入ってますし。

 あの、ごめんなさい。

 でも、怖いって思うほうがおかしいんだ、って、ちゃんと分かってます。

 だから、あの、なるべく、そう思わないようにしますから。」


「怖いものを、怖くないって思うのって、難しいでしょ?」


ちひろは笑って、彼月と同じようなことを言った。


「いいよ。怖くても。仕方ないさ。

 それに、わたしは意図的に、君に怖がられるように仕向けていたところもあったから。」


「でもそれも、他の人たちのことを考えて、自分が悪者になろう、ってしてたからなんですよね?」


わたしがそう言うと、ちひろは、ちょっとくすぐったそうに目を細めた。


「・・・本当に。君は、細愛に、いや、のぞみにそっくりで、困ってしまうよ。」


眩しそうにこっちを見ると、わたしの手を引っ張って一緒に立たせた。


「膝、痛くない?君が膝をつくことなんかなかったのに。

 え?わたし?

 わたしは背が高いからね。

 話しをするのに見下ろされると威圧感を感じる、って。

 妹たちからも、いつも叱られているのさ。」


そう言いながら、わたしの膝のあたりを手で優しく払ってくれた。

なんだか、世話好きの優しいお姉さん、って感じだった。


「あんまり遅くなると、水月が余計な心配をしそうだ。

 さあ、帰ろうか。」


そう言って微笑むちひろを、わたしはもう、前ほどには怖くないなって思っていた。

 






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