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第002話

子供から少年へと成長したゲイリーは今、大きな月を見上げながら自らの身体を湯船に沈めている。


「ここまで……長かった……」


彼の小さな呟きは誰にも聞かれることもなく夜の静寂の中に溶けていった。


「苦節10年とちょっと……。

 水を出す魔法から始まり、

 たくさん出せるように頑張って、

 温度調節出来るように頑張った。


 さらには石鹸、シャンプー、リンス……

 入浴剤の代わりになるようなものを手に入れるために菜園も作って、

 理想の湯船を目指してさらに木工や鍛冶や建築にも手を出して……

 やっとこうして優雅に湯船につかれるようになったのに……


 なんで王都になんか行かなきゃいけないんだよぉっ!!」


ゲイリーは出来たばかりの自分が作った露天風呂で立ち上がって吼えた。

それは魂の慟哭だったが、この国の人々に同意されるようなものではなかった。


3男とはいえ貴族の子息である彼が王都の学園に通うのは、貴族の義務とされている。

王国に対する帰属意識を養うために決められたこの制度は様々なバロメーターとして機能している。


もし特に何の理由もなしに通わなかった場合、その貴族の子供は問題児のろくでなしと見做されて平民になる事になる。

貴族から平民に落ちた人間が市井に降りたらどうなるか……鬱憤ばらしを兼ねて袋叩きの村八分にされることだってあり得るのだ。


もちろん平民全てがそんな事をする訳がないのだが、どんな世界にも一定数理性のネジが外れた逆恨みをする人間はいるものだ。

そんな人間が彼の周りに2、3人集まっただけでゲイリーは精神的に、もしかしたら物理的にも死んでしまうかもしれない。


──ちなみに上記の内容は行きたくないと、あまりに駄々を捏ねたゲイリーに父親であるスウ男爵が語ったものである。

なのでだいぶ話は盛られているのだが、もちろんゲイリーはその事に全く気づいていない。


そもそも話の根幹である元貴族の袋叩きに関しては、男爵は過去にあった実話を基に話していたのであながち間違いでもなかったりする。

元の話は、圧政を敷いていた貴族が平民に落ちた際に暴動騒ぎが起き、その貴族は辛くも生き残ったが後遺症その他で廃人となり、汚いあばら家で残り少ない人生を送ったという、いわば教訓話である。


「クソッ、椿だってヒマワリだってラベンダーだって頑張ってここまで育てたのにぃ……」


唸りながら、寒くなって再び湯に浸かるゲイリー。

ちなみに彼が言った植物の中で、ヒマワリ油については現時点で父親の手腕によりスウ男爵領の特産になりつつある程度には躍進を遂げている。


然程精神的にも強くはないとゲイリーを評価しているスゥ男爵が甘さの残る対応をしてしまったのはこれが原因だった。

15年も家族をやっていると、ゲイリーの言う通り、


“こいつは、学園に通わせないで好き勝手させてた方が、男爵家が潤うのでは?”


と頭をよぎってしまったのだ。

まぁ、最終的にメンツを重視して通わせることにしたのは仕方のない事だ。


ちなみにゲイリーには上記の特産化によるロイヤリティは一銭も入ってきていない。

代わりに、その功績として男爵は、彼にひまわり油の無償提供と多少の贅沢を許していた。


これを搾取という人もいるだろうが、そもそもゲイリーは商品化に関してよくわかっておらず、むしろ早いうちに海まで遠出も出来たしラッキー程度に捉えていた。


男爵は次の手として椿やラベンダーも将来的な特産化を目指しているというのに、つくづく頭の中で商売が結び付かないゲイリーであった。


◆□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□◆


その2日後。

ゲイリーは荷馬車に乗り込んで王都に出発した。

出来たばかりだというのに完成した風呂場は、涙を流し叫び声をあげながらブレイクしてある。

いない間に見つかって何か問題が起こっても嫌だからだ。

おかげでゲイリーは消沈しながら馬車に揺られていた。


道連れは下の兄であるグエンだ。

グエンは王都の兵舎に勤め始めて2年になる。


ゲイリーが金のなる木だと思い始めている男爵がつけた護衛兼王都──というか貴族や都会の世情に詳しくないゲイリーに対するお目付け役という意味もある。


「俺の時は独りで行かせたくせに親父殿も過保護になったものだ」


グエンが愚痴る。

そしてゲイリーをみてため息をついた。


「まぁ、お前がそんなだからなぁ……仕方がないか」


言われて何となく自分の身体とグエンの身体を見比べるゲイリー。

方や中肉中背のどこにでもいそうな貴族の少年、方や筋肉ゴリラである。

流石に心配になってグエンが尋ねる。


「お前、今まで喧嘩したことあるのか?」


蛮族的発想のもみあげゴリラの言葉にゲイリーは眉間にしわを寄せる。


「あるわけないでしょう?

 何ですか、その野蛮な発想」


ゲイリーは敬語である意味真っ当な事を言う。

行儀見習い程度には貴族教育を受けている彼だが、ボロが出やすいということで人と話すときは全て敬語で話すことにしている。

今のところ家族であれ独り言以外に例外はない。


「お前なぁ……そんな事じゃ王都で身ぐるみはがされるぞ。

 男爵領は長閑なところだから悪い奴はあんまりいないが、王都はそうでもねぇんだから」


ゲイリーは露天風呂のある秘密基地を思い出しながら、悪い奴はいなかったけれど、過干渉な奴は結構いたな、と心の中でうんざりした。

ゲイリーの行動は他の人から見れば変人に分類されるためどうしても注目を引いていたのだった。

とはいえ、身分があるため嫌がらせをされたとかそういうことは一切なかったので、ボッチではあったが平和に過ごせてはいた。


そのせいか今更になって実兄にそんな話を聞かされゲイリーは相当に驚いた。


「物盗りとか……いるんですか?」


前世を基準にひったくりとかスリとかを想像する前世に引き続き平和ボケなゲイリー。

現実はそんな甘いものではないのは言うまでもない。


「いるな、見つけ次第捕まえているが、現行犯じゃないと何とも難しくてな……。

 それにお前みたくぼぉーっとしてる人間は騙されないかと正直今から冷や冷やしているぞ」


「騙される……はあり得ないですね。

 暴力で来られたら……諦めます」


不意打ち食らったら警戒してようがどうしようもない。

諦める=高確率で殺される事をゲイリーはしっかりわかっていなかった。


「あきらめんなよッ!

 というか諦める前に剣とか振れるようになれよ!」


「すっかり失念してまして」


それだけ魔法やお風呂づくりが大変だったということなのだが、裏を返すと領地内がそれだけ平和だったという事である。

それでも夜になれば酒場などでの多少の喧嘩なんかもあったのだが、幸か不幸かゲイリーが生まれ育って15年、そういう場面には一度も出くわしていない。


さらにややこしいことに、直接的に利益を得ている男爵以外の周囲の人間は、当人とは違う目線でゲイリーを見ていた。


「聞いてるぞ、色んな事に手を出してはもう少しってところでいつもやめるって。

 貴族として役に立つかわからん事に時間を費やすくらいなら、

 剣術に充てる時間もあっただろうに。

 魔法くらいか? 今でも続いているのは」


「……今でも時間を見つけて色々やってますよ」


「口を尖らせるな。

 その飽き性で授業をサボって卒業出来ませんでしたとかシャレにならないからな。

 お前は地頭は悪くないんだし、文官にでもなれよ。

 間違っても親父殿達に迷惑をかけるんじゃないぞ」


小言を続けるもみあげゴリラに辟易するゲイリー。

グエンの言うことは客観的に見ると正しい。

何故ならば彼の言う『もう少し』というのは、『あと少しで商売として成り立つ』という意味で、ゲイリーが目指しているものとは違うからだ。

ゲイリーが目指しているのは徹頭徹尾、『自分のため』という水準である。

そこに商売や、他者のためという理由はまるで存在しない。


その『自分のため』という基準がそこそこ高かったので師事をしてもらった領地の技術屋連中にはすこぶる評判は良かったが前述のとおり、貴族としてはさほど役に立たないような事ばかりに精を出す『変人の三男坊』として、ゲイリーは男爵家と付き合いのある貴族や技術屋ではない平民達にはかなり有名人なのだった。


それも全ては『風呂に入りたい』という最大級の隠し事のため、秘密主義になってしまったゲイリー本人のせいでもある。


尚、グエンはゲイリーが最近男爵領が潤っている原因だと知らない。

元々金勘定が苦手な脳筋なので男爵や長男も説明を諦めているし、する必要もないと考えている。

説明したところで、ゲイリーに対する“力こそパワー”なグエンの小言が止むわけがないのだから。


ゲイリーは、面倒な説教話に適当に相槌を打って聞き流すことに努める。

こういう時、脳筋に口答えをしても良い結果にならないのは、既に今世で学習済みだった。


◆□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□◆


数日かけて学園にたどり着いたゲイリーは、入寮を済ませたあと荷解きもそこそこに学園を見て回ることにした。

表向きはライフワークの菜園を作るため、裏の目的は新たな露天風呂を作るための場所の確保だ。


王都の学園は郊外に建立されているため敷地が広く、その規模は周囲の森を含めなくても横浜スタジアム約16個分レベル。

国有である周囲の森を含めれば倍率ドン! のさらに倍。


そんな森は鬱蒼と広がっており、ちょっと奥の方で迷だけで、軽く遭難するレベルだ。

前世の高校程度だと思っていたらバカみたいな広さだったため、ゲイリーは面食らったものの内心歓喜した。


寮の管理人さんに色々確認したところ、敷地内なら卒業までは自由に何を建てても良いらしい。

そもそも地方出身者の場合、学園の敷地内に自領の作物を植える事は往々にしてあることなのだそうだ。

世界が変われど、ホームシックというのはどこにでもあるらしい。


ただ、当人の卒業後は場合によって撤去されることもあるそうで、気をつけるようにと注意を受ける。


「場合によってというのは?」


「この学園は何せ広いので、学園の奥深くや目立たない所に建てられたものに関しては見つかるまで基本的に放置されています」


管理人さんは苦笑いでそういった。

そもそも部活動として確保されているエリアもあるためさほど問題にもならず、事件や事故につながるようなものでないのならば積極的に探しにも行かないのだそうだ。


国有地とはいえ、言い方を変えれば余っているただの土地だ。

普通なら国策で何らかの利用法を考えたほうが有益ではあるのだろうが、強い魔物もおらず、危険でもないただの森。

国土的に言えば、まだ開発していない地域は五万とあり、とりあえず安全確保だけは、されているこの森は後回しになっているのであった。


これは隠れスポットがあるに違いないとふんだゲイリー。

だが、学園の敷地が広すぎて1日ではまるで回りきれず、その日はヘトヘトになりながら部屋へと帰った。

粗末な小屋や何かの像っぽいのもあるにはあったが、一体どこまで行けば誰にも見つけられないのか……ゲイリーは気合を入れなおし、日数をかけて色々周りながら調べてみようと決めたのだった。


◆□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□◆


残念ながらこの日は目ぼしいスポットは見つけることは出来ず、だいぶ疲れた様子でゲイリーは寮に戻った。


(明日こそ良いスポットを見つけるぞ……ッ)


と気合を入れなおしたゲイリーは、洗浄魔法で汗を落として着替えて、夕食をとるために食堂へと向かった。

用意されていた食事はワンプレートながら美味しそうだ。

王都は肉料理が盛んなのか、良い赤み肉がゴロンと乗っている。

その横に炒めた野菜とマッシュポテト、スープはカップに入っていて、今日の具は豆のようだ。

パンもあるが、こちらのパンは保存のためパサパサのガチガチだったりするのでゲイリーは少し苦手だ。


しかしやはり男爵家と同じく洋食で、前世がしっかりと定着してから密かに米を熱望しているゲイリーは心の中で落胆した。


(本格的に米を探しに行くならば国境を超えるしかないかもしれないな……)


思わず、風呂を作りながら各地を放浪する自分の姿を想像して頭を振るい食事に戻った。


(せっかく頑張って作った拠点を捨てながらなんて……涙がちょちょぎれそうだ……)


そんな妄想をしながらもくもくと夕食を食べていると彼の前に誰かが座る。


「こんばんわ」


顔を上げるとゲイリーの目の前に、まつ毛の長い可愛らしいショタっ子が微笑んでいた。

天使の輪が見えるほどサラサラヘアーの金髪で、その瞳もサファイアのように綺麗だ。


この学園に飛び級とかあるのかなと考えながら、ゲイリーは少し急いで口の中のものを飲み込んだ。


「こんばんわ。

 私はゲイリー。スウ男爵家の3男です」


「ボクはマリン。ノートル伯爵家の4男だよ。

 君も新入生だよね?

 ちょっとお話しない?」


特に断る理由もないので、少し緊張しながら適当に会話を交わすゲイリーだったが意外にも2人の会話は弾んでいく。


「えっ、ゲイリーは実家でラベンダーを育ててたのっ!?」


「はい。

 虫除けに使えると思いまして」


──嘘である。

ラベンダーの匂いのする石鹸と入浴剤が欲しかっただけだった。


「僕はカモミールやミント、レモンバームとかを育ててたよ!

 でも男でそんなことしてたらバカにされなかった?」


「……遠回しに剣を習えとか言われた気がしますが、特には」


──気づいてないだけである。

当初、男爵は相当口を酸っぱくして剣術を習わせようとしていたが、最終的に懇意にしている剣術の先生に才能もないし、気性的に向かないと逆の太鼓判を押されてしまい、なくなく諦めたのだった。

もちろんこの経緯はグエンも知っていたが、根が脳筋なので『努力でカバーすれば良かっただけだ』と今でも思っている。


「ラベンダーも良い匂いだよねぇ」


ほわほわした微笑みを浮かべるマリンにゲイリーは激しく同意する。

グエンとは違い、荒々しくもなく安心感もあり平和な会話に、緊張していたゲイリーの心は次第にほっこりしていく。


「他にも裁縫を少々」


タオル生地製作のため手を出してみたものの、既に類似品があるとの事で途中断念したが、今でも繕い物程度なら出来る腕前はある。

ちなみに、この世界の男で職人でもないのにそこまで出来るのは相当に珍しい。


マリンは目を見開きながら驚いた。


「君、本当に男の子っ!?」


「当たり前ですよ。

 女性だと、ここに入寮出来ないじゃないですか」


「そそそそそ、そうだね!

 ハハハハハハッ!!」


しどろもどろになるマリンを見れば彼女が男装した女性であると見抜けそうなものだが、全く気づかないゲイリーであった。

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