第六話:父の察し
一ノ瀬家の父と娘の夕食は、同世代と比べると会話は大分、多い方だ。
しかし、今日に限り最初の「頂きます」から娘は一言も言葉を発しない。
「……綾乃。元気が無いな、何かあったのか?」
「――え? あぁ……ううん。別に、何もないけど……」
父の恐る恐るの問い掛けに、一ノ瀬綾乃は小さく白米を箸で摘まみ口に運んだ。
「辛いようなら早く休んだ方が良い」
「そんなんじゃないわ。ただ……ん、やっぱり何でもない」
「それなら、良いんだが……」
年頃の少女の親としては、その娘の様子は気が気じゃない。
顔が赤く、どこか上の空。熱がある……という訳でも無い様だが、何かがあったのは確かだろう。
かといって、不用意に問いただして機嫌を損ねるのは避けたい。
年頃となった娘との接し方に頭を悩ませる日々だった。
父としては落ち着かない、どこかバツの悪い夕食が終わり、綾乃は食器をシンクに置いた。
「あと、お願いね」
「あぁ……勉強も程々にな」
「ん」
母親の居ない一ノ瀬家は、料理は娘が片付けは父が行うのがルールになっている。
「親というのは……難しいな」
本当に小さく、無意識に呟いた。
こんな時、母親が居れば良いのだろうか……。
綾乃の父は妻と上手くいかなかった。
若くして綾乃を授かり、幸せな日々を過ごして来たが、妻はそうでは無かったらしい。
彼女は夫婦生活に特に不満は無かったという。
だが、幸福とも言えなかった。
別に心惹かれる男性が現れたから、夫と娘を捨てた……というだけの話。
妻の心が解らぬ男が、娘の心が解る訳が無い。
「やれやれだ」
自嘲気味に小さく笑う。
娘には、自分達と同じ後悔はして欲しくない。
お隣の彼とは、あんなに仲が良かったのに、ここ数年はよそよそしい。
思えば、その頃からどこか元気は無かった様に思う。
母を失ったばかりの綾乃は酷く落ち込み、弱っていた。父である自分が常に傍に居て支えてやるべきだったが、仕事の都合でそうもいかなかった。
代わりにその彼が寄り添ってくれていた。
父親としてその少年は恩人だ。
彼とは形はどうあれ、ずっと娘と仲良くして欲しいと思っている。
娘は娘なりに仲直りをしようと努力をしている様だが、なかなか上手くいかないらしい。
自分に言う資格は無いが、もっと素直になれば良い、と思うのだ。
「――お父さん、聞いてる?」
「ん? あぁ、すまん。なんだ?」
感傷に浸っていたらしい。
綾乃が眉を顰めていた。
「元気が無いのはお父さんの方じゃない?」
「そんな事は無い。それでどうした?」
「んーと……」
彼女は僅かに言い淀み、
「明日の分のお米、少し多めに炊いておいて。一食分で良いから」
「それは構わないが……。足りなかったか?」
父の食べ盛り? という顔に、娘は内心『違うわい』とムッとした。
適当に誤魔化す事は出来たが、父親に秘密にする事でも無い――とも思う。
「……明日はユートの分もお弁当作るから。お願いね」
「あぁ、解った。やっておこう」
「じゃ、よろしく」
リビングを出ようとする彼女の背に、
「綾乃」
「何?」
「彼を大事にしろよ。幼馴染の友達は掛け替えのないものだ」
「――もう、ただの友達じゃないわ」
父がお茶を啜る内に、綾乃は二階の部屋に戻って行く。
トトト、とどこか軽快の足取りで。
やはり体調が優れない、という訳ではなさそうで安心した。
そして何より、
「悠斗君とは、仲直り出来たか……そうか、良かった」
……良かった。良かったが――。
もう“ただの”友達じゃない? そして、お弁当を作る?
それは、より親密な関係に踏み込んだ、という事では……?
確かに、その彼との関係性はあまり重要視していなかったけども、
「――え?」
一ノ瀬綾乃の父は、食器を洗い米を研ぐ間、終始「え?」と呟いていた。
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