第十七話:彼の描く物語
「――コレは、我ながら酷い……」
その日の二〇時頃。
普段なら上条悠斗は一ノ瀬綾乃の部屋で彼女と寛いでいる頃合いだが、彼は今、自室の机で古びたノートを捲り眉を顰めた。
当時の自分は妙に自信があったが、七年越しにはただの落書きにしか思えない。
どうやら、こんなものが彼女の宝物らしい。
嬉しい様な恥ずかしい様な複雑だった。
だからこそ愛しの婚約者との約束は守りたい。読者の期待には作者として応えたい。
流石に当時の自分の構想の全てを思い出せた訳ではなかったが、プロットの概念をまだ知らない子供がいっちょまえに、あらすじやセリフを残していた。
それらを繋ぎ合わせていけば、あの時、彼女に見せたかった事が僅かにでも形に出来る筈だ。
――と言っても、絵本としては成り立っていないだろう。彼女の持っていた分を自分でも読み返してみたが、やはり吐血しかけた。
駄作も駄作。
いくつかのエピソードがあったが繋がりは感じられなかった。面白味や深みというものも無かった。
ともあれ物語は佳境。残るエピソードは一つだけ。
「さて、自信は無いけど……『いよいよ最後の戦いだ』」
嘗て自分が思い描いた大好きな子の為の物語を完結させる為に、悠斗は自身の描く主人公のセリフを呟いて、ノートパソコンを立ち上げた。
◇
「――結局、一章読んでしまった……」
一ノ瀬綾乃は自室のベットの上で、スマホを手にしたまま猫の様に大きく背伸びした。
ちらりと見た時計の針は二〇時半を過ぎた所。
いつもであれば上条悠斗と寛いでいる所だが、今日は珍しく一人。
恋人となり彼を自室に呼び始めた当初は、嬉しさの中に恥ずかしさと緊張があったが今となっては、一人では寧ろ落ち着かなくなっていた。
その物足りなさを埋めてくれているのは、彼の書いた異世界転移をテーマとした冒険小説。
作者本人は自信が無かった様だが、一読者としては序盤を読み終えた所で、『お気に入り』に設定していた。
その物語は、主人公の少年がヒロインである聖女に勇者として召喚され聖剣を託されて始まる。
聖剣が世界を救う希望であり、世界を繋ぐ鍵。
魔王を討伐する為に世界そのものに作られた剣は、世界を救った時に勇者を元の世界に帰すのだ。
正義感溢れる主人公が強大な力で無双する事も無く、最初からヒロインに好意を向けられる事も無い。
力を解放し切れず魔力を斬撃として放出するだけの聖剣、聖女として世界を救う為に主人公に魔王の討伐を強いるヒロイン。
頼りない少年、不器用な少女。
だが、世界を救う為の旅の中で少年は少女の覚悟を知り、少女は少年の気持ちを理解する。
そして、序盤のボスと言える魔王の力を宿した特殊な魔物との戦いで、二人は互いを信頼する様になる――というのが、一章であり相応なボリューム感だった。
確かに、文章に拙さがあり誰のセリフか分からない部分もあったりした。
だが、主人公達は確かに物語の中で悩み考え努力し、生きていたのだ。
好きな人の書いた小説であり、贔屓目に見ている事もあるがそれでも綾乃は良い小説だと思う。
何気なく見たそこまでの感想の中に『普通に面白い。なぜもっと伸びないのか。あと、ヒロインもっとデレろ』とあった。
「――わかるわー」
しみじみと綾乃は呟いて、続きは後で読もうとホーム画面に戻る。
お気に入りユーザーの新着小説の一覧に『夜神』の名はまだ無かった。
彼は書けたらサイトにアップすると言っていたが、『物語を書く』というのは大変な事だ。流石に今日中は無理だろう。
今の進み具合は気になるが、彼女のファンとしての信条に『どんなに先が気になっても催促しない』とあるので大人しく待つ事にした。
スマホを置いて、枕元に並べた古びたノートを手に取り捲る。
子供の頃。母親が去り、弱っていた自分を元気づけたいと、彼なりに考えて、描いた物語。
玩具の剣や弓を手に近所の公園でした冒険ごっこの延長だ。
その世界は魔王の力で涙が溢れていた。
多くの人が涙を流す悲しい世界。
どこかの国のお姫様も寂しくて辛くて、毎日泣いていた。
国中が悲しみに暮れる中、ある時『勇気の剣』という聖剣を手にした勇者が現れる。
『俺が魔王を倒して、姫の涙を止めてみせる!』
そうして物語は始まり、勇者は姫と共に冒険に出て魔王討伐を目指す。
いやいやいや、と綾乃は苦笑交じりに小さく微笑んだ。
魔王の呪いでお姫様の涙が止まらない、のはまだ良いとして、なんで勇者はそのお姫様を連れ出したのだろう。王様も『いってらっしゃい』と笑顔でお見送りとは、いかがなものか。
そして、姫も一緒に魔法で前衛で戦うとか割とアクティブなプリンセスだったりする。
まぁ、子供の書いた絵本にそう指摘するのは野暮というものだろう。
綾乃は懐かしく思いながら、読み返す。
――ともあれ勇者と姫は冒険の中で立ち寄ったいくつもの村で様々な涙を見た。
例えば、怪物に襲われた村の人々は恐怖で怯えていた。盗賊に大切な物を盗まれた人は悲しんでいた。食べる物が無い村は飢えに苦しんでいた。大切な友達と喧嘩をした子供は後悔していた。
勇者と姫は協力して、彼等の涙を止める為に奔走する。
怪物を倒し、盗賊から奪い返し、森で動物を狩り食料を得て、子供達の話を聞く。
そして、助けられた彼等は、最後に安堵や幸福を感じて涙を流し、笑顔になった。
様々な人々と出会い、助け、勇者と姫はついに魔王の城へと辿り着いたのだった。
「いよいよ最後の戦いだー、ってね」
読み終えて、主人公と同じセリフを綾乃は呟き、クスリと笑った。
――単純な話。
子供なりに『涙』をテーマにした絵本の真似をした落書きだ。
世界感は出鱈目、登場人物は乱雑、ストーリーは強引。
コレを他の誰かが読んだのなら、きっと鼻で笑って放り投げる代物。
だが、その続きが何よりも楽しみだった。
描く彼の楽しそうで真剣な表情を見るのが好きだった。描き上げてやり遂げた表情を見るのが嬉しかった。
一緒になってストーリーを考える事もあったのがワクワクした。
それが今、七年越しに続きが見れる。大好きな彼が自分の為に物語を綴っている。
その実感で胸がトキメキ、身体が妙に火照ってきた。
「ん~……ん~~!」
持て余した感情が溢れ、ベットの上で身悶えているとスマホからメッセージの通知音。
彼からの『出来たよ』と一言。
「ゎ……ゎっ――」
不意打ちの報告に戸惑いながら画面の僅かな読み込み時間さえもどかしくお気に入りユーザーの新着小説にある『夜神』の新作をタップする。
丁度、その真下に『塩ラーメン』の書籍化作品も更新されていたが、綾乃の目には入らなかった。
お読み頂き、ありがとうございます。
更新が遅れて申し訳ありません。
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