第三十四話:兄と姉
御門一輝は恵まれている――と思っていた。
裕福な家庭に生まれ、両親から十分な教育を受け、出来の良い弟と共に周囲からも将来を期待されていた。
医者である父の影響もあって、彼も医学の道を志していた。
寄せられる期待が重荷になる事もあったが、努力する理由にもなっていた。
日々が満ち足りていた。充実していた。
――幸せだった。
だが、それもたった一日で終わった。
◇
その日は弟と共に、書店へ高校入試の為の参考書を見に行った。
中学の弟には少し早かったが、情報として触れておくのは良い事だ、と兄は思っていた。
弟が適当に目を通している間に、適当な参考書を選んだ。
そのまま帰って、勉強をするものだと思っていた。
店を出るまでは。
店を出た直後、万引き防止用のゲートの警報音が鳴った。
購入した参考書がレジを通す時に不具合があったと思った。
だが、違った。
店員に用意された警備員室に連れて行かれた。
バックの中を調べられた。
身に覚えの無い、新品の漫画が入っていた。
万引き、と言われた。
意味が解らなかった。
そんな事はしていない。
でも、その物がバックの中にある。
誰かが入れたのだろう、と抗議した。
誰が入れたんだ、と怒鳴られた。
もっともだと思った。
だが、自分は万引きなどしていない。
そもそもバックを手放していない。
――そう、途中でトイレに行く時に弟に預かって貰った時以外には。
弟が、バックに漫画を入れたのだ。
「そんな訳無いじゃないか、どうしてそんな事を言うんだ兄さん!」
――誰も信じてくれなかった。
店員も、学校も、友人達も、家族も。
誰一人、御門一輝を信じてくれなかった。
今、思えば弟は常に自分の陰に隠れていた。
テストで良い点を採っても、『あの兄の弟だから』
何か失敗したら、『あの兄の弟なのに』
『兄はもっと――』
『兄なら――』
そんな事を言われ続けたら、誰でもこんな歪な笑みを浮かべてしまうのだろうか――。
◇
少しだけ懐かしく、もっとも忌々しい夢を見た。
パソコン作業の内に、うたた寝していたらしい。
弟から大量に押し付けられた写真データの中からそれらしいモノを探して、必要なら加工。
SNSでは女子高生が援助交際をほのめかす所謂『裏アカ』を作り、フォロワーを増やしていく。
件の少女の写真や住所などを公開すれば、立派な爆弾となる。
少女一人の人生を壊すには十分だろう。
――我が弟ながら、悪趣味だと思う。
もっとも、それに加担する自分も、撒き餌のツイートに釣られる性欲旺盛な思春期だか薄汚い中年だかは知らないが、ダイレクトメールを送ってくる連中も同様のクズだと思う。
だが、コレも後少しの辛抱だ。
あの書店の一件以来、御門一輝の信頼は家でも外でも地に落ちた。
父からは高校を卒業したら絶縁するとも言われている。
――それで良い。
世間体だけを気にして結果のみを見て、勝手に期待し、失望した父。
ただ、なぜどうして、と嘆くだけの母。
そして、自身が評価される為だけに兄を陥れた弟の居る家など、クソくらえだった。
学校では友人など居なくなったが、卒業さえ出来ればそれで良い。
他の誰がどうなろうと、関係ない、興味も無い。
弟が余計な事を両親に言わない様に、機嫌を取る事が自由への近道だ。
「――はっ」
何気なく見た窓。その弟が同級生と思われる男子と出かけて行った。
『同世代はバカばかりで困る』と嘆いていても、友達付き合いはするらしい。
“周りの評価”だけで生きている弟の生き方は今の自分から見ても哀れに思えた。
鼻で小さく嘲笑いながら作業を続ける。
しばらくすると、
「――一輝くん。私よ、久し振り」
不意に部屋のドアがノックされた。
家族以外の、その女性の声には聞き覚えがある。
「――上条、か……?」
◇
「……それじゃ、何かあったら直ぐに呼んでね」
怪訝そうに、そして、腫れ物を触る様に上条祐奈に告げて、御門一輝の母は一階のリビングへと降りて行った。
足音が遠ざかるのを確認して、彼女は口元を歪ませる。
「相変わらず、信用されてないねー」
「……何の用だ?」
「元カノが遊びに来たら……いや、無理があるか。一か月も持たなかったし、中学ん時だもんねー。にしても、そっちから告っておいて『勉強に集中したいから』って振ったのは、今でもウケるわ」
ヘラヘラと笑う祐奈に一輝は眉を顰めた。
「今更、それを責めに来たのか……」
「流石にそんなもん蒸し返さないよ。コッチも真面目過ぎて反りが合わないなーって思ってたし。今日は、別件で脅しに来た」
表情が鋭くなった彼に、
「良い顔をするようになったじゃーん」
不敵に笑って、
「アンタの弟がちょっかいかけてるの、ウチの弟とその女なのは知ってるでしょ? 今直ぐ、手を引け」
そういう事か、と一輝は鼻で笑う。
「……生憎と、アレは俺でも真面とは思えない。お前が俺と会った事が分かれば、何をしだすか――。弟が大事なら、いっその事、姉弟で仲良くしていたらどうだ?」
「……――。それはそれで、ちょっと良いかも? って思った、ゾっと」
祐奈がスマホを操作した直後、一輝のスマホに着信が届く。
「――」
怪訝そうに眉を顰めた彼を祐奈は視線で促した。
メッセージアプリに送信された画像に一輝は絶句する。
子供と大人の中間程の女性の下着姿。
姿見に映る自分を撮ったソレは、顔こそ手で隠しているが、知人が見れば誰か分かる程度。
「ひゅ~、我ながらエッロい身体ぁ~。ムラムラしたかにゃ?」
揶揄う様に言う彼女は、笑ってなどいなかった。
下着姿とはいえ、自身の裸を晒しているのに、冷ややかな表情。
そして、『これで、許してください』と一言が続けて送信される。
「――――お前……っ」
御門一輝は理解した。
やられた。
「例えば、『元カレに弱みを握られた女子高生が、“恥ずかしい写真”を強要された』ってのは、面白そうじゃない? 証拠? もうスクショしてるのにゃ~」
もしも、彼女がこのまま母に泣きついたら。
普通に考えて、脅されている男の部屋に来て、写真を送信して、その場で親に抗議する……というのは、被害者側の行動としては不自然だろうが『御門一輝が上条祐奈を脅している』事を仄めかすだけで、彼の立場を更に悪くするには十二分。
それが、性的な問題なら周囲に与える悪質性は割増だ。
元々、首の皮一枚で繋がっている御門一輝の立場に後は無い。
「アンタに拒否権は無いっしょ? 私の弟達から手を引かないなら、親にも学校にも警察にも晒す。お前を社会的に完全に殺す」
祐奈は口元を歪ませる。
「それに、コレはアンタにとってもチャンスじゃん?」
「なにが、だ……」
顔色が悪くなった彼に、
「前の万引き騒ぎ。弟にハメられたんでしょ? だったら、やり返しちゃえよ。弟に人生台無しにされたんなら、今度はアンタが台無しにしてやれよ」
悪魔の様に囁いた。
今、御門一輝は一ノ瀬綾乃への毒を持っているが、同時に弟への猛毒もある。
どちらをどこにぶちまけるかで、立場は大きく変わる。
少しの沈黙。
「――弟の、光輝の暴走を……止める為、だ」
「別にお兄ちゃんの言い分はどーでも良いよ~。あの子達の邪魔さえしなければ、御門家の問題は御門家でご勝手に」
一輝から大きな溜息が漏れた。
「……何で、お前は、ここまでする? 自分の身体を利用してまで……」
「利用っても、写真だからねぇー。ソレでアンタに抜けない釘刺せるなら安いもんじゃん? まぁ、男子としては抜けちゃうんだろうけど」
またヘラヘラと笑う彼女に、一輝は敵わないと、肩を落とした。
「それに姉ってのはさ、可愛い弟の為なら何でも出来るもんなんだよ」
一部、描写の緩和を行いました。
◇
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