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第三話:ファーストキス・ザ・ビター


「――飲み物買って来るけど、何が良い?」


「……牛乳」


 上条悠斗は散らばったパッドを拾い集め、泣き崩れる一ノ瀬綾乃を屋上に設置されたベンチに連れて行き、子供をあやす様に宥めていた。


 しばらくすると、落ち着いて来たので教員用の喫煙ブースの隣にある自動販売機に小銭を入れたところで我に返る。


「何がどうして、こうなった――?」


 頼まれた綾乃の牛乳パックと自分のブラックコーヒーの缶を購入して眉を顰めた。



 ――整理すると。



 上条悠斗は一ノ瀬綾乃が好きだった。


 中学に上がる前に彼女との中を冷やかされたのを切っ掛けに、疎遠になっていたが、綾乃が別クラスのイケメン男子に告白されたのを知り、居ても立っても居られず自分本位に悠斗も想いを伝えた。


 今更なんだと、断られると思っていた。


 恋敵は誰もが認める優等生の人気者。一ノ瀬綾乃の恋人に相応しいかと問われれば、誰もが間違いなく御門光輝みかどこうきと答えるだろう。


 だが、


『私も前からずっとユートが好きだったわ! ってか今も大好きよ、バーカ!』


 蓋を開けてみるとその一ノ瀬綾乃も悠斗を好きと言う。


 お淑やかな女性となった筈の彼女が、昔の様に感情をさらけ出して。

 

「……ちゃんと、話し合わないとな」


 両手に飲み物を持って、綾乃の待つベンチに戻ると、


 彼女は大きく開けたワイシャツの胸元に手を突っ込んで何やらゴソゴソと弄っていた。


 その膝には無数のパッドが重ねられている。


「っ゛!? あぁ、ごめん! セッティング中(・・・・・・・)だったな」


「セッティング言うな。いや……まぁ、セッティング中なんだけどさ」


 咄嗟に背を向けてソワソワとする悠斗に綾乃は、


「別にそんな狼狽しなくても。悲しいかな小六からオッパイの大きさは変わんないわよ」


「こ、子供の頃と今じゃ、全然違うって。今の綾乃は本当に綺麗なんだから、んな無防備な恰好……直視出来る訳ねぇし」


「あ、あぁ……そう?」


 ……そうして、数分の内にセッティングが終了したらしい。


「良いわよ」


「お、おう……」


 振り返ると、どこか気まずそうに髪を弄る綾乃の胸は、ブレザー制服を押し上げる様に自己主張をしていた。


 それを見ると、本当に――、


「偽乳をよくもまぁ、見事に盛ったなーとか思ってない? 今更、牛乳飲んでも大きくなんねぇーよとか思ってない?」


「そ、そんな事、お、おもって、思って、な、ないぞ……?」


「そこまで言い淀むなら、寧ろ素直に認めてくれる?」


 ジト目で見られて、悠斗は視線を逸らす。


 まぁいいや、と綾乃は自身の隣をペシペシと叩いて、ベンチに座る様に促した。


 少し、沈黙を挟んで、


「……色々、混乱してるわよね。うん、私も今、頭の中ぐちゃぐちゃ。久しぶりにアンタと()で会って、嬉しい様な怖い様なで緊張してるかも」


「素って事は、やっぱり……」


「そーよ。猫を被ってたわ、まさに化け猫を。ついでにオッパイもE位にまで盛ってた」


 ちらりと悠斗を横目で見て、


「何で? って顔されると、アンタの為にしてきた中学の三年間が本当に無駄だったって、実感が沸いて来たわ……」


「お、俺の!? なんで、そんな――」


「小学校の卒業式のちょっと前のあの日(・・・)


 呟かれた言葉に彼は息を呑んだ。


「『俺はもっと女の子らしい子が好きなんだ』」


「――」


 痛みを堪える様な悠斗の表情に綾乃は溜息を溢した。


「ごめん、責めてる訳じゃないの。それに私が勝手に先走って拗らせただけだから」


 綾乃は苦笑して、


「小学生の私達は他の子達に比べると、ちょっとベタベタし過ぎてたから、よく冷やかされてたけどあの時は特に酷かった。アンタが恥ずかしくて、ああ言ったのはその時から分かってた。本気で言われた訳じゃないとも分かってた」


 だけどね、と。


「やっぱり気にしちゃってた。私はアンタの好みじゃなかったらどうしよう、って。好きな男の子に嫌われたらどうしよう、って」


「……」


 胸が締め付けられるのを悠斗は感じた。


 息が苦しい。だけど、彼女はもっと長い間、苦しかった。


「だから、真に受けて『そうなろう』と言葉遣いも替えて“どこぞの生徒会長”みたいなキャラにしていって……そんで、気付いたら周りの女の子はオッパイ大きくなってるし、祐奈さんに『男の子ってオッパイ大きい方が好きなんですか?』って相談したら、『弟は巨乳で発散してる』って言うから。後の事考えずに、パッドを重ねて重ねて……」


「その流れで発散言うなよ……」


 あははと苦笑する綾乃に悠斗も苦笑した。


「――確認してもいいか?」


「どうぞ」


 一拍置いて、


「気を悪くしたら悪いんだけど……A組の御門光輝みかどこうきに告白されたのは、本当なのか?」


「うん。二日前の火曜日」


「その……返事は――」


 心配そうな悠斗の横顔に、


「食い気味で断ってやったわ。『一ノ瀬さん! 僕と』ってほざいたから、『ごめんなさい!』ってね。……『私には、好きな人が居ます』ってはっきり言ってやった」


「綾乃の、好きな人は……」


「アンタ以外に居ないでしょうが」


 彼女は、あはは、とまた苦笑いを浮かべた。


「ん? 今思えば、さっき告白してくれたんだもんね? 素直に受け入れてれば良かった……? うわぁー、締まらないなー」

 

 ストローを咥えて牛乳を一口二口飲み、「ふぅー」と一息ついた。


「――まぁ、そもそも私もあの時に素直に『中学でも一緒に居よう』って言えれば済んでたんだけどさー。捻くれてるからなー、私。ユートから話しかけてくれるのを待ってるだけで、中学時代無駄にしちゃった。いっぱい話したかった、遊びたかった、傍に……居たかったなー」


 力なく笑う綾乃に、苦いコーヒーを流し込んで悠斗は彼女と向かい合う。


「綾乃――!」


 目を丸くする彼女と視線を合わせて、手を取った。


 彼は一度、目を背けた。手を放した。


 三年もの間、待たせてしまったけれど、それでもまだ彼女は好きと言ってくれるのなら、


「もう一度、言わせてくれ。俺は綾乃が好きだ。大事な中学の三年間無駄にさせたけど、これからの三年間は絶対に無駄になんかさせない! 苦しい思いも寂しい思いも、させたりしない。それに、もしも許してくれるのなら卒業してからもずっと、傍に居たい――居させて欲しい」


 震える彼女の瞳からもう逃げない。


「この手をまた繋いでくれるなら、俺は絶対に離さないから」


 ――綾乃は牛乳パックを置いて、その小さくて柔らかい手を悠斗の大きくてゴツゴツとし始めた手に重ねる。


「なんか、告白っていうか……もう、プロポーズになってない?」


「なっ、なって……なって――る。うん、なったけど、その位、本気で好きだから――やり直さない」


 揶揄うような綾乃の悪戯染みた笑みにも悠斗は屈しない。


 ただ、彼が求めたのは“ただの恋人以上の関係”だ。


 お互いに想いを寄せていたのは、確認出来た。嬉しかった、安心出来た。


 しかし、上条悠斗と一之瀬綾乃に“想いの差”があれば、これで晴れて恋人という訳にはいかないだろう。


 とりあえず付き合う学生としての遊び半分な恋と、もっと先の事を見据えた本気の愛は全くの別ものだ。


「返事は、直ぐじゃなくても良い。ただ、もしも付き合ってくれるなら、俺はその位に――」


 本気なのだ、と伝える前に、口を塞がれた。


 目の前に綾乃の顔がある。


 唇に柔らかい感触がある。


 数秒で離れたが、今までにない位の近さで彼女と目があった。


 視線は外さない――外せない、外したくない。


 吐息の音を、髪の香りを、頬の火照りを感じ合う。


「……ちょっと苦かった」


「ごめん」


「でも、ヤじゃない」


「ん――よかった」


 短いぎこちないやり取り。


「それで、その……返事は――」


「私のファーストキスじゃ満足しないかー、仕方ないなー、欲しがりさんだなー」


 綾乃は、わざとらしく不貞腐れ――照れくさそうに微笑んで、


「これからは、ずっと傍に居て下さい……!」


 答えた。――応えてくれた。


「約束する」


「うん」


 自然と、また二人の距離が近づいて行く。

 


 一度目の口付けは、恋人になる為の儀式。

 二度目の口付けは、恋人としての求め合い。



 

 ――上条悠斗と一ノ瀬綾乃は、心から思うのだ。




「いやー悠斗も誘ったんだけどさー、何か用事あるんだってよー。今日は俺らだけで、ゲームしよーぜ」


 二人と同じクラスでありムードメーカーでもある小学校からの学友、秋元冬樹あきもとふゆきは、他の男子数人と共に、某有名ゲーム会社から発売されている据置き型ゲーム機を携帯モードにして、放課後の屋上でローカル通信で遊ぶ気らしい。


 それは良い。


 学校にゲーム機を持ち込むのは校則違反だが、生徒会役員でも無い悠斗と綾乃にはこのさい些細な問題だ。


 だが、しかし。


 ――邪魔しやがってと、恋人となった二人はもう片方の階段から逃げるように屋上を後にした。


 手と手を取り合いながら――。



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― 新着の感想 ―
[一言] 弟は巨乳で発散してる →やめいw とツッコみました。どうして幼馴染とその姉は仲がいいんでしょうね。七不思議の一つです。 両思い通し仲睦まじくあれと思いますが、きっと事件が起こるんでしょうね…
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