第二十七話:彼氏は粉を、彼女は卵を持ち寄って
人の噂も七十五日、と言ったりするが、それよりも早く忘れ去られる事もある。
現に一ノ瀬綾乃の良からぬ噂も二週間もしない内に、本人達の耳に入る事は無くなっていた。
秋元冬樹や水原佳織をはじめとする彼女達の友人達が周囲に訴えたお陰でもあるが、一番は仲睦まじい様子を見せつけていたからだろう。
『こうまで仲の良い恋人なら、噂は噂だった』と二人を目にした者は誰もが思った。
寧ろ『ショッピングモールで御門光輝に絡まれた一ノ瀬綾乃を上条悠斗が守った』という話がいつのまにか広がり、学校でのある種の“時の人”となっていた。
そして、最初に噂を耳にしたあの日の三週間後の土曜日。その昼頃。
「――ねぇ、お昼どうする? 私はそんなにお腹空いてないけど、食べるなら何か作るわよ?」
互いの部屋で思い思いに過ごす中、綾乃が窓越しに悠斗に声を掛けたのが始まりだった。
「んー、俺もそんなに。メシっうか、パンでも良いかなって」
「私もパンで良いかなー。そっちパンあるの?」
「食パンが――いや、ごめん無い。朝食べたな」
「ウチも無いわ。……コンビニでも行く?」
「あ゛っ!」
「何よ、びっくりした!?」
「そう言えばホットケーキミックスが残ってた。アレ使わないとだ。うわっ、でも卵ねぇ!」
「牛乳は?」
「ある。今朝開けたからソレも早めに使いたい」
「ウチ、卵余ってるわよ」
「綾乃……」
「何よ?」
「――愛してるぜ」
「ホットケーキの素材欲しさに愛を囁くな」
「卵持って来てくれたら、今日は俺が焼くよ?」
「ユート……」
「何だよ?」
「――愛してるわ」
「ホットケーキ食べたさに愛を……っ!」
互いが声を堪える様に笑い、ツボに入り一しきり。
「――直ぐ来る?」
「うん――行く!」
彼女は彼氏の家にお邪魔する事にした。
◇
「……あ、意外と良いかも」
初デートで購入した彼氏の好み全部乗せコーデ(パッド無し)に着替えた一ノ瀬綾乃は、キッチンに立つ上条悠斗のエプロン姿に呟いた。
「何が?」
「ん? ううん、別に何もー? はいコレ、二つだけど足りるかしら」
あはは、と流して、卵を彼に渡した。
「サンキュー。俺らの分だけだから十分だよ」
「なんか手伝う?」
「いや、大丈夫だよ。混ぜて焼くだけだしな」
悠斗は慣れた手つきでボールに素材を混ぜていく。ダマにならない様に牛乳は分けて入れるのがポイントだったりする。
――何気に片手で卵を割る姿が、カッコイイと思ってしまった綾乃だった。
「ユートって、料理したっけ?」
「いや、全然。ただ、お菓子作りは昔、ウチで良くやってただろ。それにコレ位はなー」
「そうね。そうだった」
幼い綾乃が元気を取り戻した頃、悠斗の母にお菓子作りを教えて貰っていた時に自分が彼も付き合わせていたのを思い出す。
「あの時はごめんなさい。何でも一緒にやりたかったから」
苦笑する綾乃に小さく肩を竦ませる。
「気にすんな。そん時にずっと一緒に居るって言ったのは俺だぞ」
「覚えてるんだ……」
綾乃には少し意外だったが、悠斗は生地を混ぜながらニヤリと笑う。
「この間、“昔の事思い出した”って言ったろ? いやー、あん時は大変だったよ。俺が居ないと綾乃は何にも出来なくてさ、一人で風呂もトイレもなー」
「あー! あー! 聞こえなーい! 何にも聞こえなーい!」
綾乃は自身が一番酷い状態だった時を思い出し、耳を塞いでわざとらしく叫ぶ。
子供の頃、事情はあったとはいえ、『一緒にお風呂に入ったり』『トイレの度にドアの前で待たせていた』。
手のかかる妹の面倒を見る兄、という兄妹の様ではあったが今は恋人なのだ。当時の事を彼に蒸し返されると、恥ずかしくて堪らない。
「さーてぇ! ホットケーキにはメイプルシロップだなぁー!? いっぱい、かけちゃおうかなぁー!?」
綾乃は人様の冷蔵庫を勢いよく開ける。
彼女の狼狽えぶりに悠斗はフライパンを用意しながら声を出して笑った。
「――って、アレ? ユート、シロップ無いわよ」
「ん? ドア側の棚に無いか? チューブのワサビとかある所だけど」
「……? やっぱり無いわよ。ケチャップとマヨネーズならあるけど」
「ケチャマヨも合わなくもないけどな、アメリカンドッグ的に」
「今は、口が甘いのを欲してるのよぉ……」
分かり易く肩を落とす彼女に悠斗は苦笑する。
「なら、直ぐに買ってくるよ。何なら焼いててくれると助かる」
「だったら、私が行くわ。エプロンまでしてるんだから、そのまま焼いてて」
「いや、でも綾乃は色々準備があるだろ? その――追加装甲の装備が……」
悠斗の視線に綾乃は自身の胸を腕で隠した。
「彼女を人型機動兵器みたいに言うんじゃないわよ……。気遣っている様に見えて、バカにしてるでしょ!」
溜息を一つつき、
「直ぐそこのコンビニだし、知り合いに会う事も無いでしょ? パっと行って帰ってくるわよ」
綾乃は唇を尖らせて、
「――じゃあ、行ってくるから、上手に焼いてね?」
直ぐに、笑みを浮かべた。
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