第二十四話:彼の匂い
――などとありつつ、その十数分には綾乃は悠斗にぴったりと寄り添って身を縮めていた。
『くそっ、此処にもいやがる! これじゃ弾が持たないぜ!』
『この先の通路を左に! 研究室はその先です!』
『――ダメだ。数が多すぎる……別ルートだ』
物語は序盤から銃声と掠れた呻き声であふれていた。
綾乃が持参した映画は所謂『ゾンビモノ』。
よくある題材故に大まかな流れも似たものが多い。
その映画もゾンビウィルスが蔓延した世界で、その発生源と思われる研究所を特殊部隊の主人公達が調査しワクチン作成の為のデータを持ち帰る……というものだ。
ハリウッド映画だけあり、派手でクオリティの高い演出と有名な俳優女優が揃い、日本語吹き替えにはアニメでも人気の声優が多く起用されているのでSNSで話題になった比較的新しい作品だ。
今は、目的地の研究室を目指しながらの戦闘がひと段落し、主人公達は飛び込んだオフィスで態勢を整えるシーン。
「――なぁ、綾乃」
「ひゃぁ!?」
プルプルと震える綾乃をなるべく刺激しない様に声を掛けるが、彼女の恐怖は山場を前にピークに達している様だった。
「な……何よぉ……っ」
「いや、その……やっぱり、まだホラー系苦手だろ。無理しなくてもさ――」
彼女は幼少期、母親の事がある前から、度合い関係なく『ホラー』と付くものを受け付けない体質だった。
幼い時、何気なく一緒に見た心霊番組の後、彼女はプルプルと震えていたのを思い出す。
と、ガタンと物が落ちる音。
『何だ、どうした!?』
「何よ、どうしたの!?」
がたいの良い銃を持った黒人男性と綾乃が同じ反応をした。
「って、綾乃痛い。腕に指が食い込んでるっ!」
「あ、ごめん……」
ぱっと手を放して、綾乃は乾いた笑みを浮かべた。
「見るのやめようか?」
「いや……大丈夫。我慢する」
「やっぱ、無理してんじゃねーか」
呆れた様な悠斗の溜息に綾乃はヤケクソ気味に、
「だって押しつけられちゃったんだもん! 私だって『ホラー系はちょっと……』って、断ったのに『絶対、面白いから♪』って強引に……。周りも『見なよ~見なよ~』って言うし断り切れなかったのよ。話合わせるのに、見とかないとだしさ……」
「やけに推してきたのな」
彼女の苦労を甘いチョコで労って、
「それにしても、女子がそんなにゾンビ映画が好きとは思わなかったよ」
「……まぁ、ゾンビそのものはおまけみたいよー」
甘味を味わいながらの疲れたような溜息だった。
「この主人公の俳優とヒロインの女優って新婚なのは知ってる?」
「あぁ、ネットニュースでもやってたな。……そういえば、吹き替えの声優も夫婦だったか」
「そういう事。『おしどり夫婦のコラボ』がエモいんだって」
今度は悠斗が眉を顰めた。
「それって、映画の内容関係あるか?」
「あはは、女子ってそういう所ある」
彼女の乾いた笑いにテレビに視線を戻すとどういう展開か、いつの間にかシーンが変わり再び主人公達は先に進む。
その行く手を阻むのは、ゾンビの群れ。
序盤の山場であろうテレビ画面いっぱいに密集している。
『ァ゛アアアァアアアアアアア!!!!』
その中の一匹のゾンビの顔色の悪い顔がアップに映り、獣の様に吠えた。
「――!」
主人公達と同様に絶句する綾乃に抱き着かれながら、『この撮影、大変だったんだろーなー』と、悠斗は思った。
あと、この映画が終わる頃には俺の腕取れんじゃねーかな、と。
◇
不意に一ノ瀬綾乃は自分以外の呼吸を間近で感じて、何かに寄りかかって無理な態勢で寝ていると自覚した。
柔らかみもあるがゴツゴツとして温かい。
柔軟剤やシャンプーの僅かな香りが混ざる、とても身近な人の匂い。
「……」
目を開けると、最愛の恋人の顔が直ぐ近くにあった。
一度、心臓は大きく跳ねたが声を出して仰け反る必要は無い。
何せ寝落ちのギリギリまでこうして居たのだから当然だろう。
件のゾンビ映画を何とか見終わった後、綾乃は生まれたての小鹿の様に震えていた。
全体の評価としてはホラーというより主人公とヒロインの絆を描いたアクション映画。
悠斗としては『別に怖い要素は無い』という感想だったが、元々お化けとか幽霊の類を受け付けない体質な綾乃にとっては、ゾンビが居るだけで中々ヘビィな二時間だった。
テレビに映る『子猫のじゃれつく姿』を見て、気分転換にと携帯型のゲーム機を接続して動画を見ていたのを思い出す。
他愛の無い話をしながら流し見ていたが、彼には退屈な時間だったらしい。
爆睡する彼の間の抜けた顔が可笑しかったが、悪い事をしたな、と今更ながら思う。
だが、お陰で映画の話を振られても問題は無いだろう。
一人では、序盤でディスクを割っていたと確信がある。
「……なんでかなー?」
綾乃は彼に身を預けながら、ポツリと呟いた。
一人では見れない映画でもこうしているだけで見れた。
――思えば、昔からそうだった。
一人では何も出来なかった時。何もかもが嫌になっていた時。怖くて寂しくて堪らなかった時。
そんな時には彼が寄り添ってくれていた。
それだけで安心した。
彼の温もりと、声。
「……あぁ――やっぱ、コレなのかな」
そして、何より匂いだった。
シャンプーや香水だとかの様に分かり易い『良い香り』では無いのだが、妙に好ましい。
頭を彼の肩に乗せているだけで、心が落ち着き癒される。
自身にその類の趣向があるとは思わなかったが、思い返せば幼少期はただ意味も無く、抱き着いて安心感を感じていたので、その気質は持っていたのでは?
(いや、でも流石に……)
怪訝に眉を顰めて、彼の首筋に顔を近づける。
……今までに無い位に濃くハッキリと匂いを感じた。
(んー? これは……やっぱり……? あれー? 私、ガチなのかな……?)
彼が起きない事を良い事に、スンスンと吟味する程に確信する。
――彼氏の匂いが好きとか、どうなんだろう? 彼氏的に。嫌がられないかな?
そう思いつつ止められない自分に、ちょっと危機感。
(……ぁ、――コレ……ヤバい、かも)
フワフワと、身体の奥が熱くなり始めた頃、
「――“恋人の匂いが好き”って、“遺伝子レベルで相性が良い”事らしいよ」
「ぇ……?」
恋人の姉、上条祐奈が部屋を覗き込んでいた。
彼女は、ニヤニヤと笑って、
「でも、寝てる彼氏の匂いを嗅いで悶えるのって変態っぽいよね」
「悶えてませんけど!?」
ドン! と、突き飛ばされた上条悠斗はゾンビの様に呻いて悶えた。
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