第一〇話:青空幼馴染弁当
上条悠斗が待ちに待った昼休み。
彼は一ノ瀬綾乃と共に、校舎の中庭の片隅でお弁当を広げていた。
中庭には他にも多くの生徒達が居るが、その喧噪に紛れた方がクラスで机を合わせるよりも、周囲の目は気にならない。
何より折角の幼馴染のお弁当なのだから、青空の下で食べたかった。
「この唐揚げ、スゲー旨い! 飯が進む進む」
「そんなに慌てて食べると、詰まらせますよ」
口一杯に頬張る悠斗に、綾乃は頬が緩みそうになるのを堪えながら、水筒のコップを兼ねた蓋にお茶を注いで彼に手渡した。
「ありがとう。別に慌ててる訳じゃないけど、本当に旨いから箸が止まらないんだって」
「そうですか、良かったです」
彼女も自分の作った弁当をつつく。
いつもの様に作ったのだから、いつもと同じ味の筈だ。理論的には。
だが、
「なんでか今日は特別、美味しく感じるのかが不思議」
素の声で呟かれたのに、
「好きな人と食べてるからじゃないか?」
「……自分で言う事ですか」
「俺はそうだから。恋人補正」
「主人公補正の親戚みたいな言葉ですね、気持ちは分かりますけど。それと、そう言ってくれるのは嬉しいのですが……」
唐揚げにかぶりつき、米で追いかける悠斗に、
「お弁当自体は大した事無い、って事ですか?」
「っ、ふぐんっ!?」
吹き出しそうになったのを、何とか堪えた。
「ごめ、ちが――旨いのは本当だから!」
「分かってます。だから、泣きそうな顔しない、お米も溢さない」
言って綾乃は悠斗の口元に付いたご飯粒を指で拭い、舐めとった。
「っぉ、びっくりした……」
「この位でドギマギしないで下さい。もう“直接触れている”んですよ……まだ一回だけですが」
かく言う綾乃も頬を真っ赤にさせていた。
彼女の表情に込み上げている感情をぐっ、と飲み込んで、
「そういえば、水原とは気まずくなってなさそうで良かったよ」
「えぇ、あの後にちゃんと話せました。彼女は私達を応援してくれるそうです。いつか、自分にも恋人が出来たらダブルデートをしたい、と言っていました」
それに悠斗は安心したが、また別の不安が生まれた。
「二組のカップルが一緒にデートするんだよな? それってどうなんだろ?」
「正直、実感は持てませんね。自分達のデートもまだなのに……」
「そりゃそうだ」
まぁ、ともあれ、と悠斗は、
「綾乃が友達を失わなくて良かった。これ以上俺のせいで傷ついて欲しくないから」
「ご心配をお掛けします。ですが、私は現在進行形で幸せを感じているのでご安心を」
「ん、何よりだ」
悠斗が最後の厚焼き玉子を味わって、手を合わせた。
「――ご馳走様でした」
「満足できましたか?」
「そりゃもう! 大満足。“幸せ太り”ってのも今なら解るよ、幾らでも食べられる」
「それはとても嬉しいのですが、貴方が太らない様に明日からは野菜中心にしますね」
クスッ、と小さく笑った綾乃に一瞬見惚れた。
「? どうしました?」
「あ、いや……何でも」
それを誤魔化す様に咳払いをした悠斗の顔を綾乃は覗き込む。
「――所で、上条君」
「な、なに……?」
まじかに彼女の顔が迫り、悠斗の心臓は跳ねる。
綾乃は悪戯めいた微笑みで、
「先ほどの体育の時、私をじっと見ていたのは……どうしてですか?」
フゴッ、と小さく咽る。
「あ~、っと……あはは……」
引き攣った苦笑で誤魔化そうにも、綾乃は綺麗で冷ややかな笑みを逸らさない。
「――そう。綾乃は走る姿も綺麗だなーって、思っただけだよ」
「もう、上条君ったら。そんな事言われたら恥ずかしいですよー」
うふふ、と口元に手を添えてお淑やかに、そしてわざとらしく照れを隠し、
「――で? 本音は?」
真顔で素のトーンだった。
悠斗は「ひぃ」と小さく悲鳴を漏らす。
変な汗が噴き出て来たが、彼女は視線を逸らさない。
……見逃してはくれないようだ。
「……申し訳ないな、って思っただけだよ」
何が? なんて彼女に、周囲の目を気にしながら、
「だってさ、今色々と余計な気苦労があるだろ。体育で思いっ切り走る事も出来なくてさ、ずっと気を張ってる。――俺のせいだもんな」
自嘲気味な苦笑が漏れる。
「その癖、俺に出来る事なんてないだろ。“『恋人』になっても、綾乃の助けにならないな”って、思ってさ。だから――」
ごめんな、と告げる事が分かった綾乃は彼の口に自分の弁当からプチトマトを摘まんでねじ込んだ。
「そーゆーのは、いいの。アンタは気にしないでも」
ヘタごと口に入れられ焦る悠斗を見て、彼女はクスリと笑う。
「そりゃ一番の理由はアンタの気を惹く為だったけど、それも私が一人で空回っていただけ。それに、周囲への牽制ってのもあったしね」
綾乃はわざとらしく肩を竦ませた。
「牽制?」
「『女はマウントの取り合いだ』って言ったでしょ。普通はどうだか分からないけど、私の周囲には居たのよ、胸の大きさがアイデンティティな奴が」
綾乃は遠くを見ながら、
「『また下着が小さくなっちゃったのー、この間、替えたばかりなのにぃ』『あれぇ? 一ノ瀬さんは、まだ同じのなのぉ?』『ラクチンだねぇ!』――ハンッ」
そして、乾いた笑いを吐き捨てる。
「乳のデカさがなんだってのよ。アレか、デカいと偉いのか、貧乳には人権は無いのか……」
ブツブツと呪詛を垂れ流し、悠斗の居た堪れない様子に苦笑する。
「まぁー、そういうこと。巨乳自慢してくる連中は、自分と同じか大きい奴には絡んで来ないからね。――はは、悔しそうに睨んできたから『もう少し盛ってやろう』って興が乗ったのよ。……うん、自分でもやり過ぎたなーって思う」
深い反省の溜息が漏れた。
「――だから、アンタが変に責任を感じる必要は無いの。そもそも、中学の時もプールも身体測定も隠し通してきたのよ? あと三年乗り切るのも訳ないわ」
「……確かに、考えるとよくバレなかったよな」
「その辺は、努力と執念と“自前ですが何か?”という虚勢」
「……なんか、ごめん」
「だから、謝んなて」
つい漫才の様に手の甲で軽く打ち、綾乃はハッとする。
『一ノ瀬綾乃』は、“誰にでも優しいお淑やかな優等生”だ。間違っても、彼氏にツッコむ系の女の子では無いのだ。
周囲に目を配り、安堵する。
「ともあれ、私を助けたいと思うならこれからは――いっぱい甘えさせて癒してくれれば良いわ」
頬が熱くなったの誤魔化す様に「ん゛んっ」と咳払いで切り替えた。
「――さ、五時限目は音楽です。早めに教室に戻り準備をしましょう」
片付けを始める綾乃に、悠斗は何げなく、
「あ……そうだ。今夜――ウチに来ないか?」
「え?」
綾乃はそのお誘いに手がピタリと止まり、みるみる顔を赤く染めていく。
悠斗は良からぬ誤解をされる前に、慌てて、
「あぁ、夜ってか“晩御飯”な! 母さんがお弁当のお礼に呼べってさ。昔は良くウチに食べに来てただろ。『あれから』、ぱったりだったから、気にしてたみたいなんだ」
「あ……そ、そうですか。おばさんにも、ご心配をかけてしまいましたね」
綾乃が僅かに眉を顰めた。
「元はと言えば、俺なんだから綾乃のせいじゃないよ。だから迷惑じゃなければ、これからはまた来て欲しいんだ」
「私達が中学に疎遠になってしまったのは、お互い様ですよ」
と、彼女は苦笑して、
「では、お邪魔させて頂きます」
「うん、良かった。……それで、まぁ、相談なんだけどさ」
悠斗は頬を指で搔きながら、
「俺達の事、母さんと姉さんに……言って良いかな?」
彼女からの返事は無い。
代わりに、コクン、と小さく頷いた。
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