金魚の収容・1
エリアオフィス-81KA-B-02はほとんど完璧だった。
どこからどう見ても興味をそそらない小企業の事務所のなりをしながら、煙一筋通さない堅牢なセキュリティと強固な現実性を保ち、最新型を3世代ほどすっ飛ばした最先端端末と専用回線、それと何より強力な空調システムを備えていた。
エージェント桜木は、真夏の暑さの中でも均一に冷えたこの新しい職場にほとんど満足していた。
足りないのは自分の実績だけだった。それは研修後に配属されて1か月間、先輩エージェントと一緒にエリア内を駆けずり回っても落ちてはいなかった。
だから彼は今日も早朝から難しい資料に取り組んで、眉間にしわを寄せていた。
「おはよー。」
背後からけだるげな声と共に湯気の立つコーヒーの入ったピンクのマグカップが差し出され、桜木は慌てて礼を言った。マグカップを受け取ると、指先に伝わる熱でまだ眠たい頭が覚めた。
「おはようございます。チョミさん早いっすね。」
エージェント千代巳は桜木の先輩で、OJT(オンザジョブトレーニング。現場で実施される訓練)の担当でもあり、このエリアのバディエージェントでもある。桜木は他の皆と同じように、チョミさんと呼んでいた。
「目ぇ覚めちゃって。何読んでんの。」
「報告書と、こっちは日本支部の月報っす。」
桜木は、勉強の為に読んでいた報告書の初期収容記録の束と分厚い冊子を広げて見せた。
「あー、今日は月初か。誰か死んだ?」
「サイトじゃ今月は誰も。事故はありましたけど。ってか縁起悪い事言わないでくださいよ。綿森博士も存命っすよ。」
千代巳となじみのある偏屈な博士の名前を出すと、千代巳はうんうんと頷いた。
「おー、そりゃ何より、何より。」
1リットルの牛乳パックを机に置いて、エージェント千代巳がだらりと椅子に体重を預ける。
長い黒髪がわかれ、白い耳と大量のピアスがちらりと顔を見せた。
「報告書はどれ読んでるんだ。」
「SCP-058-JPの初期収容記録っすね。今は収容記録058-JP-10-0005です。ちょっとこの量は心折れそうす。後は新人エージェント教育用の…。」
「あー。マニュアルはサっとで良いよ、お作法だけ覚えりゃ良い。初期収容記録は片っ端から読むべきだ、死にたくなきゃ。」
えらいえらい、と呟きながら千代巳は牛乳片手に月報を読み始める。
毎日こんな感じだ。紙の知識は確かに蓄積され、エリアパトロールで土地勘も醸成されるが、心霊スポットや廃墟に二人で向かってカント計数機(異常現象に反応する財団の機械)の目盛りとにらめっこする仕事は、桜木が想像していたフィールドエージェントの仕事から幾分か乖離していた。一つ溜息をついた後、桜木は焦りを奮起に切り替えて、冗談のように分厚い収容記録と格闘を再開した。