花見の会・3
「お、来たか、チョミちゃん!」
何もない工事現場にたむろする集団から、一人が立ち上がって大きく手を振った。
「油山さん、もう来てたんですか。仕事は?」
「今日はオフだ、営業の方も。そっちの子はどうしたんだ、新人か?」
皆の赤らんだ顔が一斉にこっちを向いたので、桜木は深呼吸してから会釈して話し出す。
「今年配属になりました、フィールドエージェントの桜木です。千代巳さんのエリアオフィスでの勤務になります、よろしくお願いします」
皆の大きな拍手と共に、皆が口々に話しかけてくる。皆一様に顔が赤い、出来上がってるようだ。
「ってことは、チョミちゃん初めての後輩か!」
「後輩欲しがってたもんなぁ」
「よろしく、桜木!」
「チョミさん、あの子、お花見は?」
「これからこれから。パッチは渡してあるよ」
Wクラス記憶強化薬。
そう言って渡された小さな正方形のシールのようなそれは、財団の開発した貼るタイプの薬物だ。
記憶処理に注射を使っていた時代もあったようだが、現在は軽い記憶処理であればこのパッチで事足りるようになった、らしい。
だが、どれだけ座学で聞いてはいても、自らに一般の現代科学で説明されていない薬物パッチを貼り付けるのにはそれなりの勇気が要った。
「桜木、記憶強化薬は袖をまくった場所に貼ると良い。痕が少し目立つからな」
「了解です」
覚悟を決めて、パッチを手首の裏に貼る。
その瞬間、水面から顔を出したときのように、音や光、感覚のレベルが「上がった」。
まるで秋の夜のように、様々な知らない虫の声がする。
見たことの無い色に溢れている。
そして、目の前に、皆がたむろしているその真ん中に、大きな桜が立っていた。
限りなく黒に近い、土が焼け焦げたような幹。限りなく白に近い、人肌のような花びら。
風もないのに、ざぁぁと花吹雪があたりを舞っていた。
圧倒され、呆然と立ち尽くす桜木に、千代巳は笑って告げる。
「ようこそ、世界の裏側へ」
「これ、全部反ミームなんですか」
「そうだよ。人間が知覚できない、覚えていられないものの大半がこれで解る様になる。この桜もその一つだ」
桜木は、花を褒める語彙を持っていなかった。
ただただ、美しいと思った。
こうやって記憶を強化しなければ、見る事すらできない桜を美しいと思った。
「綺麗だろ」
「はい。あんまりお花見ってした事無かったんですけど、これは」
少しでも色彩が無くなれば、花弁と樹は白黒にさえ見える。
あまりにも強いコントラストに隠された仄かな色を見たことで、世界の全てが鮮やかに見えるかのようだった。
「綺麗です」
やっとのことで呟くのが精いっぱいだった。
「改めてようこそ、桜木くん。これから、サイトでよろしく」
ぼうっと見惚れる桜木に、わらわらと花見中の職員が近寄ってきた。
研究職、エージェント、その横は機動部隊の隊員だろうか。
職員達は口々に自己紹介したり雇われた経緯を聞いたりと、記憶強化薬の副作用で少し雑な歓迎会が始まったのだった。
一段落した頃。
桜木はビニールシートに座って、少し赤くなった顔に水の入ったペットボトルを当てていた。
副作用か、歓迎会の余熱か、体が少し火照っていた。
その隣に千代巳が座って、おつまみを差し出す。
「お疲れ様。大分酔ったか」
「副作用なんですかね。熱いですけど、まぁ問題は無いです」
「酒と違って記憶強化薬の副作用は弱くはならないからな、慣れるしかない」
はい、と返答をため息とともに吐き出す。
気付けばずっと桜を見ている。
綺麗だ、と思うたびに、大きく息を吐く。
そういえば、千代巳に聞きたいことがあるのだった。
「そういえば、この桜は反ミームなんですよね。放っておけば誰にも知覚されずに収容できるんじゃないですか?」
「いや、放っておくとな、逆に強烈なミーム性を帯びるんだ。本来桜が無い場所に桜が見えたり、夢に桜が出てきたり。末期的には、夢遊病のようにここに集まる。かつて桜があった、この場所にね」
かつて。千代巳はそこを強調した。
となると、今見えているのは。
「昔、ここにあった桜が見えているんですか」
「うーん、どうなんだろうな。ここにかつて立派な桜が咲いていた、という事実はあるけれど、それがこんなに美しい桜だったのかどうかはもう解らないんだ。大分昔に焼けてしまったようで、残っているのはモノクロの写真が数枚。だからね、この桜は、誰かの記憶の集合体なんじゃないかと私は解釈してる」
花吹雪が舞う。視界を覆うように、無いはずの桜がざわめく。
ようやく、桜木はこの歓迎会の本当の意味が解った気がした。
「チョミさん、この歓迎会は……収容プロトコル、ですか」
千代巳は目を少し見開いて、ニヤっと笑った。
「どうしてそう思う」
「放っておくと駄目だ、と言っていたので。定期的に、桜に目を向けなきゃいけないんじゃないですか?」
千代巳は頷きながら続きを促す。
「論理的では無いですけど。こんなに綺麗な桜がもう存在しないなんて、ってふと思って、それで気が付いたんです。じゃぁ、幻でも良いから見えるようになれば、って。だから、放っておくと夢にまで出てくるようになる。実体のない桜が、自分を見て貰おうとして。だから、こうやって定期的に見ることで、桜が出てこなくても良いようにしてるんじゃないかって」
「あとで言って驚かせようと思ったのに。でも大体同意見だよ。この歓迎会はプロトコルの一環だ。他にも色々やってるけど、基本は桜を見る事。それでこの異常は広がらない」
見られる桜と、見る人間。
一方通行のような奇妙な関係性は、実は桜の方が欲していたのか。
それとも、そう想像してしまう、人によって桜の亡霊が作られているのか。
「私はね、これは人が作ったんだ、と思う」
抱いた疑問を見透かしたように、千代巳は呟く。
「年々、桜がモノクロに近づいていく気がするんだ。数枚残った、写真の色に。誰かの記憶の中の桜が、ゆっくり色あせていくように」
ざぁぁ。
頷くように桜は揺れる。
実体のない花弁が落ちて、ほどけるように消えていく。
「これから不思議なものをたくさん見るよ。怖いものも、危ないものも。でも、こういう不思議もあるってことを知ってて欲しかったんだ」
千代巳の真っ白な横顔に、副作用か、ほんのり赤みが差している。
普段気付かないような色にまで、全部気付いていく。
「これからよろしく、桜木」
改まって、千代巳は右手を差し出してきた。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
白く細い千代巳の手と、少し日に焼けた桜木の手が、しっかりと握手した。
きっと、この奇妙なお花見のことは、生涯忘れないだろう
それは、記憶強化薬のせいではないのだろう。
きっと。