玖
「どうした……」
ウィリアムは俺の頭を撫でていた。至高の間で二人きり。布団の上で膝枕をされた俺はウィリアムの顔色を伺った。
今日はずっと上の空だった。いつも誘うのは俺なのに路頭に迷う子犬のような顔をした彼が至高の間に行きたいと言い出した。話があるのではないかと思ったが何も言わず俺の髪を梳くばかりだから一思いに聞いた。
「雪さま……」
「ん」
雪さま、とうわ言のように何度も口にするから俺は起き上がって彼の頭を掻き抱いた。胸の鼓動が聞こえるように母親のそれのように優しく抱きしめてやるとウィリアムの腕が背中に回る。
「なんだ?」
「私は、どうしたらいいか」
「ん」
つむじに唇を押し付ける。
「……怒らないでください」
「ウィリアムに怒ったことなんてないよ」
「……、っ逢瀬していた女が孕みました」
「…………」
それは予想を超えた言葉だった。思わず撫でている手を止めるとウィリアムはハッとしたような顔で胸から離れる。
驚いただけだと言うべきなのに言葉が絡まって出なくて口を開けたまま彼を凝視した。
「あ、あ……も、申し訳……ございません……。雪さまに助けられたこの命、全て、雪さまのものであるべきなのに、私は、私は」
整理をするべきだと思った。絶望した顔のウィリアムを客観視しながら自分の心さえもそうやって見ようとした。
俺はこの事に憤りを感じているのだろうか。──いやそうでは無い。
では悲しい?──少しだけ。でも違う。
であるなら本当に驚いただけ?──違うが、近い気がした。
ウィリアムはどうだろう。子ができて嬉しくないのだろうか。それは分からない。この顔をされてしまっては判別がつかない。だからまず。
俺はウィリアムの頭に手を伸ばす。彼は反射的に目を瞑ったようだった。
「……おめでとう」
彼を殴ったことなど怯えさせたことなどなかったはずなのにその瞳には顔には畏怖が浮かんだ。
頬を撫でると彼はおっかなびっくりゆっくりと瞳を開ける。
「雪、さま……?」
「とても、喜ばしいことだ」
「……、お、怒って、いらっしゃいませんか……?」
「どうして」
「だっ、て……私は雪さまの所有物で」
「違うよ、ウィリアムは俺の大切な人だ」
ウィリアムは息を呑んだ。
もしかしたら伝えていなかったのかもしれない。でも言っただろう?
「ウィリアム、好きだよ。愛している」
「……っ」
「おめでたい」
「雪さま……っ、あ、りがとうございます……!」
「皇宮へ母子を招け」
「宜しいのでございますか……!?」
「うん」
そうか父親になるのか。父、という存在に嫌悪しかなかった。自分が同じものになるのだと寸分の狂いもなく思っていたから。しかし違うのだ。自分もウィリアムも違う。……ウィリアムに似た子だろうか。その子の産まれに立ち会えるだろうか。
そこまで考えて気持ちを理解した。ウィリアムへの気持ちが愛になっているのだとストンと腑に落ちる。独占欲も支配欲も恋慕も、彼に対しては感情の全てを持ち合わせたけれど一緒にいるうちに彼を本当の意味で愛して、愛したのだと思った。
「好き?」
「えっ、」
「相手の女を」
「……、」
「娼婦ではない?」
「はい」
「ん」
栄養を取らせようとか爺やに話さなくてはとか、清潔な環境を整えなくてはとか宴をしようとか色んな思いが浮かんで、幸せな未来が思い浮かぶのに……、どうして。目の前が見えなくなるほど液体が湧き出た。
ウィリアムはそれを見て瞳を見開く。手を伸ばそうとして止める。そのまま俯いた。
頬を流れる暖かいそれは布団を濡らす。嬉しいよ。でもどうして悲しいのか。瞬きをする度に零れる想いにどうにか近付きたくて拭わないままウィリアムを見つめていた。