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一族は皆殺しに限る  作者: なるせ
7/11

 


 物に当たるというのは滑稽だと思う。癇癪を起こした子供のように喚くだけでは飽き足らず物を使ってまで我を通そうとするのは合理的ではないし、理性的ではない。

 分かってはいた。



「雪様!」



 俺の元に額づいた爺やを見るのは久方ぶりだった。顔を青ざめて一心不乱に許しを乞う。──皇妃への許しを乞う。



「どうか、どうか平にお許しを、お許しをっ、雪様、陛下、どうか、お許しを!申し訳ございません!申し訳っございませぬ!……メイ!頭を下げぬか!!」



 腰を抜かしたのかメイは呆然と青くなった顔で俺を見上げるだけだった。髪が乱れるのもドレスが汚れるのも気にせず爺やはメイの後頭部を持ち畳に頭を打ち付ける。どん、と音がするがそれよりも爺やの方が何回も頭を打ち付けた。

 俺の怒りを、限界を知っている爺やだからこそ今回はそこまでしているのだなと冷静に頭の片隅では思うけれど燃えるような憤りはそれを軽く凌駕した。

 割れた花瓶、ティーカップ、散らばる何かの花。あの日のようだ。だから青ざめているのかこの女は。何も言わず、関わらず、皇妃の座(そこ)に居るだけで良いのに、本当に目障りで手のかかる女だ。



「わたしっ、わたしは……」

「メイっ!口を開くでない!」



 間髪入れずそう叫ぶ爺やは顔を上げようとしない。"許す"まで上げないつもりだろう。

 俺はメイに近寄る。一歩前進する度にビクリと肩を震わせ恐怖を滲ませた彼女の髪を握り上に引く。痛がって、しかし涙を流したまま抵抗が出来ずにいるらしかった。



「申してみよ」

「っ、ぁ……、ッ……」

「二度は言わぬ」

「ぁっあ……あ……」



 その意味を汲み取ったのか震わせた空気しか出さない口に苛立ちが募る。強く引っ張って反らせるように顔をこちらに向けた。ぼたぼたと畳を濡らしてひくひくと唇を開閉し女は俺を直視した。



「ウィ、ウィリアム様、も……」

「……」

「ウィリアム様も、いいお年、だから……っ、良い人、が、出来たら……ぅっ、良いなって、思って……っ」

「それで女を用意し宛がったと?」

「ち、違、違います……ッ、嫌だったら……いいと、言いましたっ!ウィリアム様が……っ最後は選びました……っ!」

「皇妃からの言葉を無視できるとでも?」

「ヒッ……、もっ、もうしわけっもうしわけ……ッございませ……っ」



 言葉にならない嗚咽を吐きながら泣く女の声が姦しい。髪を離してやると重力に従って顔が畳に落ちた。散らばった長髪が惨めで不愉快だ。



「爺や」

「はっ!」

「皇妃はひと月、部屋から出るのは罷り通らぬ」

「はっ!仰せの通りに……!」



 抜きはしなかったが傍らの小刀の鞘を握る。それで衝動を抑えて皇妃の部屋を出る。弥太郎が襖を開けた。ウィリアムが側にいないからだった。


 異変は十日前だったように思う。

 当然のように俺を起こしに来るウィリアムと触れ合っていた。頬を撫でて髪を梳いて、口付ける。そうしてウィリアムが好きな衣服を選び俺を着せ替える。いつも通りの朝。

 カタン、と部屋の外で物音がした。俺を弑逆しようとする輩はこの皇宮にはいない、と思う。外は分からないが。ウィリアムは着替えも半ば刀を片手にドアへと走って誰であるかを確認しに行った。

 ウィリアムはその人物に警戒を解いて、柄から手を離した。そして頭を下げたのを見て誰であるかを十分に絞り込めた。



「皇妃陛下です、雪さま」



 ウィリアムはこちらを振り返って再度その人物に向き直った。まだ着替えの最中であったから仕方なしにボタンを閉めていく。ドアが開いたままだったから見られるのも憚ったし、ただ単に寒かったから。官吏が満足そうに満面の笑みを浮かべるほど貧弱な体はそれだけで風邪をこじらせる。



「……このような早朝にどうなされたのですか」



 訝しげにウィリアムは聞いた。俺は気にせず着替えを続ける。できないことは無い。むしろさせて貰えないことの方が多い。

 束の間の問答のあとドアは閉まり、ウィリアムは暗い顔をしていた。

 何かされたのでは、と不快感が募る。顔に出ていたのか彼は俺を見て首を振って笑った。



「何でも、ございませんよ」



 嘘だ、と直ぐにわかった。でも問い詰める術を持たない。聞いてもっと嫌な気持ちになったら?聞いて欲しくない話だったら?俺は口を開いて、何も言わずに閉じる。頷く。




 夜の帳が下りて俺は皇妃の部屋に行った。もちろん侍女を呼んでその旨を伝えた。機械的なほど定期的にしか部屋に行かないからそれを聞いて驚いた侍女は嬉しそうだった。

 部屋に行ってすぐ朝のは何だったんだと聞いた。メイは湯を浴びたのか肌が生々しい。脱ぎやすいようにと閨を共にする際は着流しのみで豊満に育った谷間の主張がうるさい。



「……ウィリアム様を大事に思われているのは存じております。でも、キス、を……されていました、か?」



 なんのことも無い質問に面白くもない。邪魔をするなと言う意味を込めて、呼ばれてもいないのだから部屋に近づくなと言うと明らかに傷付いた様子で瞳を伏せた。それに許しもなく部屋を覗くなど賊だと勘違いすると再度強く言いくるめた。

 話は以上だと部屋を出ようとすると背中に感じる体温。離れるのを惜しむ言葉を一蹴して体を離す。肘が柔らかい肌に当たったがどうでもよかった。

 その後爺やに皇妃が邪魔だと話し事の顛末を話すと困ったように頭に手を当ててから綺麗にお辞儀をした。「こちらで話しておきます」と言うから任せたのだ。



 もしや皇妃はウィリアムを邪魔だと思っているのか?お門違いにも程がある。ウィリアムに命を助けて貰っておきながら彼と俺の中を引き裂こうなど、隔てようなどと、馬鹿げた事だ。俺はこの女でなくても良かった。ただ身近で、ただ"ウィリアムが望んだ"からそれだけのことだ。

 奮い立つ苛立ちを抑えながら部屋へと戻る。弥太郎がドアを開けた。何も言わず何も聞かない弥太郎には一応一抹の関心はあったからドアを外側から閉めようとする彼を振り返る。



「入れ」

「かしこまりました」

「……」

「寝巻きに着替えられますか?」



 それに頷いた。弥太郎は部屋に入る権限を持っていない。しかし俺が許したなら怒られはしないだろう。



「聞き流して頂いて宜しいのですが、皇妃の侍女であるお市だけはお許し頂ければ幸いです。妹はただ自分の職を全うした迄。ウィリアム様を思う陛下のお気持ちを知っております。しかし皇妃が願えばしなくてはなりません。宜しければ、でございますが」

「黙れ」

「はっ」

「ウィリアムに至高の間に来るように伝えろ」

「御意に」



 羽織りを身につけ出入口に歩むと弥太郎は少しだけ焦ったような声を出した。



「陛下、ウィリアム様はいつ帰ってくるか、私どもでは存じ上げません。明日の……、いえ、長く離れにおられるのでは御身をお守りできません」

「開けろ」

「……はっ」



 廊下には爺やと侍女が待っていた。俺を見た瞬間額づいた。爺やが何か言いたいなら聞くかとそのまま見ていると侍女の方が震え出した。謝るために来たのならもう意味を成さない。許せはしない。この矮小な心はウィリアムしか許容できない。



「御家老、陛下は至高の間に行かれます。……何か」

「──雪様。雪様、どうかこの爺やめに追随する許しを頂けないでしょうか」



 しっかりとした声音に安堵する。爺やは誰になろうが関係ないしどうでも良いが、この男は俺の味方であると幼少から理解出来ていた。理解者が居なくなるのは僅かばかり面倒だから。



「許す」

「ありがたき幸せにございまする!」

「弥太郎、調べておけ」

「……、ウィリアム様の御相手の女性、所在、でございましょうか」

「弥太、皇妃との関係もじゃ。よって皇妃から洗い直せ」

「……かしこまりました」





 至高の間に着くと爺やは敷居前で身を落ち着かせようとするので仕方なしに入室を許可する。外にわんさか遣える女中達に話を聞かれるのも億劫だ。



「雪様。この度はこの家老、自害する心持ちで雪様に具申をしとうございます」

「……」

「以前より雪様の統治が安定し、国民移民の衣食住心身共に安寧を齎していることに対し、爺やは四十五十と生きながらえて頂ければとお話致しました。しかしこうなっては皇居内の要らぬ噂が立ちましょう」

「ん」

「ですので、早めにメイとの子供を設け、その子供に雪様の後釜をさせることにして、短い期間ではございますが、十五年、ウィリアム様と離れで暮らしていただくのはいかがでしょうか」

「……」

「政は爺やが受け持ちましょう。爺やに書面を一筆頂ければ雪様までは行きませぬがやってのけましょう」

「……俺もそれを」



 考えて二年が経つ。一向にメイの腹は膨らまない。通うようになってから女性の周期を侍女や爺やに話されて、試してみても実りがない。



「……子は神より頂くもの。七歳までは神の子です。生を受けていない子も、またそうなのでしょう」



 気休めのような爺やの言葉に項垂れるように頷く。



「雪様、もうひとつ大事なことがございまして。爺やも雪様と生涯を終える所存ゆえ、爺やの後継を決めとうございます。……弥太郎でよろしいでしょうか」

「好きにしろ」

「では、良きように致します」



 話し終えたのか一息ついて、爺やはまた頭を畳に擦り付けた。



「この一件、爺やの不足であるところ、誠に頭が上がりませぬ。寛大な雪様のお心に更なる忠義を」

「爺や」

「何なりと勅命を」

「……もうよい」

「ありがたき……幸せ……!」



 窓から外を見た。女中が楽しそうに語らっていた。能天気だな。俺もそうでありたかった。








 結局夜も更けてから帰ってきたウィリアムは血相を変えて至高の間にやってきた。爺やが灯した行燈のみが部屋を照らす。



「ウィル」

「ぁ、ゆ、雪さま、そのようにお怒りになるとは、思わなかったのです」

「怒ってないよ。ウィルには」

「で、ですが」



 行燈が消えかかっているのだろうか。しっかりと笑みを浮かべたつもりだった。



「あの女に言われたからだろ」

「えっ?」

「言われたから、皇妃に言われたから、仕方なく女と会ったんだよね」

「え、あ……」

「……だろ?」

「もち、ろんで……ございます……」

「俺から言っといたからもう言われなくて済むよ。ウィルは側に居てくれるだけでいい。誰の命令も、話も聞かなくていい。側にいて、それだけでいい」

「雪さま……」

「ね?」

「はい。……仰せの通りに」



 ウィリアムに近付いて抱きしめる……直前で肩を強く押した。畳みに転んだ彼を見つめる。



「着替えてきて。鼻が曲がりそうだ」

「えっ、あ、たっただいま……!」



 許さない。

 ウィリアムが敷居を跨いだ。遠くに女中と弥太郎が見えた。襖を閉められ見えなくなる。駆けていく遠ざかるウィリアムの足音。

 許さない。

 栈に頭を預ける。どんな女と会ったのだろう。何を話したのだろう。心を奪われたりしてないだろうか。

 許さない。

 俺は人生で初めて燃えるような感情(どくせんよく)で身を焦がした。

 皇妃は許さない。




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