陸
公爵の家取り潰しは瞬く間に全土に広がった。瓦版だかチラシだかなんだかが無料で配布された。それを仕切ったのは紛うこと無く俺だと書かれた。そしてそれに関わったとされる侍従、侍女が梟首にされた。久しく見ていないそれに国民は恐れを生したがその理由により逆に同情を生んだ。
内容は公爵家に奴隷として扱われていた女の子メイに酷く心を痛めた雪はどうにかしたいと領地の様子の確認をしていた。すると作物も納税もしっかりと行われているが領主の汚職、横領が浮き上がった。その間雪とメイは心を通わし恋に落ちる。断罪すべく領主達を呼び出したところメイを虐待する姿を目に入れた雪が前王を思い出し涙した。メイへの愛と許されざる不正に雪は致し方ないとお家取り潰しを決めた。メイへの虐待に関わっていたとされる侍従と侍女も同じ罪に処した。と、もっと詳しくではあったが要約するとそんな感じに書かれていた。
手元に来た冊子と呼んでもいいぐらいの束に苦笑する。よくもまあここまで捏造したものだと。
侍従達のことも何とかしたいと爺やに頼んではいたがまさか殺すとは思わなくて驚いた。だが毒にも薬にもならないからどうでもいいかと早々に思考を止める。
「雪さまの今までのことを考えれば、国民は付いてきましょうとも」
「……ちょっとキモい」
「そのようなこと仰らずに」
メイはすぐさま皇妃になった。皇后になるのは少し難しいと世論も爺やも首を振る。俺はどうでもいいから頷くだけにした。
噂でメイは取り潰された公爵家の養女に入っていたのではと流れたが根も葉もない事だとそれは風化した。そうさせた。しかし未だに身分をひけらかす者はいる。「ひけらかすのは良いが虐げるのは許さない」といった内容をわざわざ俺が官吏の前で告げた。拡散しろと言った。俺が唯一でその言葉に従えと。
かつてない強い言葉を使う俺に彼らは畏れた。前王を知っている者も多い。身分を作ったのは父だ。ならばそれを無くすことが出来るのは慈愛の王と呼ばれた俺だった。その可能性に気付いた彼らは早かった。すぐさま移住民──移民ではいつまで経っても格差が生まれるとニュアンスを変えた──の待遇を変えた。下働きや外には出さない所も多かったが国民と同じ扱いをした。医者にも低額で行けるし体が強いものが多いから農作業に適したし、雇うほど国から補助が出た。
名前と申請ですぐ金が降り、月一で監査が入るのみとなった。
それも一年が経てばハーフが産まれた。移住民と国民が結婚すると現王に例え運命婚と持て囃された。そこまで来たらもう移住民とは呼ばない。家も持つことが出来る。区別するために準国民と一応呼び名が付いた。
「偉業を成し遂げる雪さまに私は嬉しいです」
「そう」
「誇らしいです」
「……ん」
「私ももう奴隷と呼ばれなくてすむようになりました」
道のりは長かったがメイが皇妃になってから二年が経過した。街は肌色の違う者が悠々と歩ける時代になった。
ウィリアムは雪を支えた一人として人々の前に晒された。敵国の王子だと知る者は官吏と処刑広場にいた国民だけだったが、情報源があるので瞬く間にウィリアムの出生も広められた。最初は王族故にあまり良くは無いのではないかと雪を心配する声も会ったそうだが、移住民を平等に愛そうとする心意気に気高さを感じたのだそうだ。前王と異なるところが多すぎて、優しすぎて、国民は雪の統治が長く続く事を祈った。皇宮の外には雪を称える弾幕を持った人々が朝から立っていた。雪の部屋からは見えないが"雪の日"ほど彼らは色めき立つという。
「前から、奴隷なんていないはずだった」
「えぇ、雪さまはそうお思いでしょうけれど、実際には悪しき風習が残っておりました」
「……待たせた、と言った方がいい?」
「はい?」
「ウィリアムがこの地で悠々と生きていけるように、願ってた」
「……」
「知ってるだろ。子供が産まれれば俺は死ぬらしい。そのあと、ウィリアムが迫害されないように、生きていけるように、俺はずっとそんな世界を……ウィルに残したかった」
「雪さま……」
ウィリアムは俺の前に膝をついた。久しぶりに忠誠の儀をしているようだった。ウィリアムは騎士になった。俺の傍に居るだけでは愛玩と勘違いされると官吏は言った。ウィリアムの事になると非道になれる質を知っているその官吏は文字通り首を賭けて進言した。冷たく見下ろしていると、呼ばれたのか玉座の間に来たウィリアムは俺の前に膝を折った。「その任に付きたく存じます」その意志を尊重した。
そしてそれをまた大事にした版屋は移住民初となる陛下お付の近衛騎士として情報を湯水の如く広めた。移住民でも騎士になれるというのは俺が思うよりも遥かに価値のあるものであったらしい。
「私は、本当に、果報者でございます」
ウィリアムの肩に手を置いた。滑るように二の腕を触ってこちらに引き寄せる。やっとこちらを直視したウィリアムは切なそうな顔をした。そんな顔も愛おしい。俺の座っている肘置きに手をついてこちらに体を寄せ、恥じるように瞬きをして唇を重ねようとする──途端、部屋を誰かがノックした。
視線だけをドアに向け再度ウィリアムを見る。少し日焼けした頬を撫でた。消えてしまいそうなほど小さな声が耳に届く。ウィリアムが窘めるように名前呼ぶから仕方なしに腕を離した。
ウィリアムは衣服の乱れがないか確認してドアに出向く。
「……皇妃陛下です」
その声に頷くと扉を開け数年前まで見窄らしかった女の子が中に入ってきた。面倒だからメイ付きの侍女に入り用なものを全て任せた。植民地になる前彼女たちが来ていたというドレスは煌びやかで目が痛くなるほどだがメイは大人しめのものが多い。まだ、平気だ。
「陛下、御前失礼致します」
「なに」
「今日の職務は終わられたとお聞き致しましたので……その、会いに来てしまいました」
「そう」
一緒に入ってきた侍女、市は用意周到にお茶を持ってきたらしく帰れとも言えず口を噤む。元々人と、ウィリアム以外と話すのが億劫だから口数が少なく、今も問題ないと思ったのかメイは俺の前に礼をして見せてソファーに座った。
ウィリアムが帰ろうとするので手を伸ばすと気付いたメイが口を開いた。
「ウィリアム様、ご一緒に休憩なさいませんか?」
「……ですが」
ウィリアムがこちらを向くので頷く。「居て」と強めに言う。彼は頭を下げメイとは離れた席に座る。俺よりは近いからとりあえずは良いとした。
侍女が先に俺に湯のみを届けると次にメイ、ウィリアムと出した。それさえも気に食わないが息をついてやり過ごす。
「陛下、お願いしたいことがございます」
「なに」
「はい。……移住民の孤児院に行きとうございます。最近国民の孤児も受け入れをしているようなのですけれど諍いがあるようなのです。私が行ったら混乱するだけかもしれません、ですが」
「行けば」
「……!本当にございますかっ」
「……」
「実は、実の母が院長をしているようなのです。顔を、見たいなと」
「そう」
メイは大輪の花のように微笑んだ。良いだろう。これぐらい笑えるならウィリアムと俺の策は叶ったに等しい。人々も移住民を受け入れている。当時小さな子も、産まれた子もこちらの言葉を習わせるために寺子屋のようなものまで作ったし、順調に思えた。
「あ、あの、陛下、その」
メイは顔を赤らめた。興味もないからお茶を飲む。
「一緒に来ていただけませんか?」
「なんで」
「っ、えっ、と……、いえ、差し出がましいことを申しました。御容赦を」
「──献言をお許しください」
ウィリアムがこちらを見る。彼が言ったことを許さなかった事など、否定したことなどあるはずも無い。
「聞くよ」
「皇妃陛下と皇帝陛下が仲睦まじいことを知らしめる良い機会ではないでしょうか。未だに信じていない層がいるのはご存知のはず。慈愛に満ちた雪さまのご勇姿を、優れた容姿端麗なお姿を、見まごうことのない明晰たるお考えを世に広めるまたとないことかと」
「そこまで言うなら」
メイに視線を向ける。
「用意して」
「は、はい!ありがとうございます!陛下」
静かに下がっていく彼女の侍女はそれを知らせに行ったのだろう。一緒に出ていけばいいのだが、まだ飲み終わってないのか。
「話は終わり?」
「あ、はい。そうでございます。貴重なお時間を取らせまして申し訳ございません。私はこれで失礼いたします」
「ん」
ウィリアムがドアを開いた。今、侍女がいないからやるのではあれば彼しかいないのは分かっていたが面白くはない。
ドレスをつまみ上げ礼をしたメイは下がっていった。
「ウィル」
「……はい、雪さま」
「おいで」
しっかりと閉まったドアを後目に彼を呼ぶ。邪魔された続きを再開した。