肆
「いっ、いえ、なれど、なりません、えぇ、えぇなりませんとも……!」
「どうして」
「ウィリアムは男でございますぞ!」
「ん、女に見えるか?」
「そうではございませぬ、出生もよろしくございません」
「母はかの国より嫁いだが?」
「それは陛下になられる前に雪様を身篭っておりました故に仕方なかったのです」
「……」
「それに皇太后様は元はこちらの国の産まれ、紛争前にあちらに渡っただけにございます。調べれば出てきましょう」
「……百歩譲って」
「はい」
「ウィルを正妻に出来なくとも側室なら」
「致しかねます……!」
「……爺やなら俺の話聞いてくれると思った」
「物には順序、そして分別がございます。雪様のお心を踏みにじり大変恐縮ではございますが、それだけはなりません」
「……」
「雪様、よくお聞きくださいませ」
爺やは畳に正座をした。爺やの部屋は未だに変わりない。囲炉裏は程よく暖かった。
急に来たから片付けられなかった将棋の盤上を見る。詰将棋だったようだ。俺は将棋は良さが分からなかった。
「雪様をよく存じております爺やだからこそ申し上げます。雪様が大事になされているからこそ分かるのです。きっと雪様はウィリアム以外に目をくれもなさるまいと。そうなるとどうなります。雪様は死が分つまで彼と一生いるのでございますか?雪様は寿命では身罷りません。ウィリアムが死ぬその時までお世継ぎを産ませないのではこの爺やも安心して逝くことすら叶いませぬぞ!」
「死なないというのは世迷言だと思う」
「いえ、いえ、現に前王陛下は雪様が産まれて十五年後死に至りました。十五年、という年はお世継ぎが成人される年月にございます。これは爺やの家系が代々言い伝える事実。どうぞご留意を……、何卒!」
爺やは頭を畳に擦り付けた。爺やはそのためにいるのだそうだ。子供はたくさん産ませてその歳で二歳になる娘までいる。子供の中から一人選んでその地位を継がせるのが役目なのだと言った。
「でも、ウィリアムと一緒にいたい」
「存じておりますとも。いられなくなるわけではございません。奥方様を……お世継ぎを作っていただけるのなら良いのです。しかし雪様はそのような器用なことは出来ますまい。ですから爺やは今困り果てているのです」
「……どうしよう」
「兎にも角にも、一旦令嬢の出入りを止めましょう。雪様はまだ十六歳。前王陛下は早くに産ませましたが故に短命でしたが雪様であれば四十五十と生き長らえて頂けるほど国が潤いましょうぞ」
「ん」
「爺やにお任せを。雪様の遺恨が残らぬよう後悔が立たぬよう、動いてみせましょう」
「……ん」
「駄目だった」
「……でしょう」
「ごめん」
「謝られることなど、何一つございません。良ければ、再度推挙させて頂きたく存じます」
「…………一応聞く」
「メイを推奨致します。勿論別の移民でもよろしいですが、思惑がバレましょう。メイであるなら一度出入りした身、雪さまが一目惚れであると明言すれば宜しいので悟られにくいかと」
「出来るなら、」
「はい」
「ウィリアムの言うことは聞いてあげたい」
「勿体なきお言葉」
「……一生、一緒に居てくれる?」
「勿論ですとも」
今度は瞳を見て言った。ウィリアムは力強く頷いてくれた。ウィリアムがいればいいのに。ウィリアムじゃなきゃいけないのに。それを口にすればまた困った顔をするんだろうなと思うとどうしても二の次が出ない。子供を作れば十五年後には死ぬ。そのあとウィリアムが生きやすいような国にしなきゃいけない。あまつさえ後宮から出ろとか言われないように。そうするとやっぱり移民が、植民地の民が妻にいい気がした。一番良いのは王族だけど父が皆殺しにしてしまったから王女を娶ることも出来ない。
「あ、」
「どう致しました?」
「ううん」
「はい」
ウィリアムも王子だった。あそこには王族しかいなかった。ウィリアムが女だったら……なんて失礼か。失礼だ。女だったから助けたとか色目を使ったとか言われないで済んだのは男だったからかもしれない。逆に、その時に婚約してしまったならカラクリが露呈しただろう。俺の言葉を曲解して国民に伝えるのが好きな官僚達を酷く恨めしく思ったかもしれない。
**
「──陛下にはご機嫌麗しゅうございます、と言っています」
綺麗な衣装を着せてもらったメイは後日後宮にやってきた。正直俺も言葉が分からなかったから勉強はしたがネイティブには話せない。メイは視線があちらこちらにいって怯えている様子だった。
彼女の後ろに控える公爵夫人と令嬢がメイを睨んでいた。それにびくびくと体を揺らして俺ではなく彼女達の方をちらりちらりと視線を送っていた。
とてもではないがそんな言葉出てくるだろうか。でもウィリアムの言葉を疑う訳にも行かない。
何かを口にする前に爺やと三十歳になる息子が俺の前に出て椅子に手を添えた。
「お疲れでしょう。メイ殿お座り下さい」
ウィリアムがメイに向けて言葉を伝えると彼女は夫人達を見た。二人は鼻持ちがならぬ様子で顎で椅子を指す。俺はそっと腕を上げた。その一挙手一投足にすらその場にいた全員が俺を見る。壁際を指してスライドする素振りを見せると心得たとばかりに爺やは夫人の元へ行った。
「雪様はメイ殿と密談したいご様子。しかし後見であらせられる夫人方に室外へ出ていただくのも失礼というもの。ただいま椅子をご用意致します。少々お待ちくださいませ。──お市!」
呼ばれて入室を許された女中はまず俺に挨拶をして自分の親に向き直った。
「椅子を此れに」
「承知致しました」
メイと会いたい、実は妻にしたいとやんわかに伝えた文を受け取った公爵家はすぐさまメイを養女として迎え入れたようだった。そうなれば皇族になれるからだ。血が繋がっていなくても関係がない。上との繋がりが重視された。これで晴れてあの令嬢は誰よりも皇族に近い女性になるわけだ。御皇妹というやつかな。違うかもしれない。
俺の声は貴重らしい。なので小さく話してやることにした。
「『ひどいこと、される、いる?』」
「っ」
ブンブンとメイは首を振った。握りしめたスカートがシワになるぐらいになってまで事実を隠そうとするのはやはりあのふたりが怖いのだろうか。
「もしなってなかったら訳してウィル。『わたし、たすける、したい、あなたを。結婚する。たすける、できる。ここ、住む、あなた。あのひとたち、出せない、手を』」
ウィリアムが少し悩んでメイに伝えているようだった。メイは目を見開いて俺を見る。涙を貯めた瞳で口を開いて、閉じる。涙を拭いた。ウィリアムの方を見る。口を開いた。暫く二人で話しているようだった。ウィリアムは淡々としているがメイは辛そうに答えている。ちらりとこちらを向いて渋々といった様子でメイが頷く。
「──喜んでお受けすると」
「そう」
「出来れば今日から住みたいとも」
それに焦ったのは公爵夫人たちだった。思わず立ち上がってずんずんとこちらに歩み寄る。爺やとその息子が前に立ち塞がる。
「恐れ多くも皇帝陛下に許しもなく近付こうとは言語道断。お控えなさい」
「いいえ!聞いていられないわ!メイ!あんたって女は!厚かましいのよ!」
「控えよ、夫人。皇帝陛下の御前である」
「っ、……っ!!申し訳、ございません……」
嫌々に頭を下げ元の椅子へと戻った夫人たちにメイは震えが止まらないようだった。
手を差し出す。離れてはいないが少し距離がある。それに対してウィリアムがメイに伝えたようだった。メイはウィリアムと俺とを視線で右往左往して椅子から立ち上がった。二、三歩近づいて俺の手を取る。左手を出したのは無意識かウィリアムが言ったのか。楽だからいいかと納得して薬指に口付けを送る。それだけでことは済む。もう済んだだろう。そうだと言ってくれ。もしそうでなくてもそうしてしまえ。
爺やを見ると彼は頷いた。よし、終わった。彼女から手を離す。
「陛下はメイ殿……メイ様とのご結婚を望まれました。然るべき時に公表致します。つきましては公爵夫人には日程や儀式についてお話がございます。別室へ移動致しましょう」
「え、あ……メイは……?」
「この方は今日から雪様と同衾されます」
「なんですって!?メイはまだ幼いわ!せ、正妻じゃないわよね!?」
「生まれた子は早い方が次期皇帝になります」
「な…………、」
「大丈夫ですか?」
「少し目眩が……。わたくしは休んでから行きますわ。居間はどこかしら……」
「では弥太郎に案内させましょう。弥太、行ってきなさい」
部外者(バリバリの当事者)が出ていくのを見計らって深呼吸をする。
「あなたにはこの国の国母になっていただく。まずは言葉を覚えられよ」
となりでウィリアムが訳して話す。
人前でもつっかえることなく話せるようになるまでとりあえずは婚儀はしない。女中をつけるし先生をつける。
その言葉にメイは震えながら頷いた。
「……あとは適当に」
「雪さま最後の言葉はお伝えできません」
「良きように」
「かしこまりました」
「メイが怯えない人選を頼んだ爺や」
爺やは頷いた。後のことは爺やに全て一任する。
「帰る」
「はい。御家老様、御前失礼いたします」