弐
「───では、そのように」
閉廷と代理の者が口を開いた。貴族らは次々に俺の前に膝を折り礼を尽くす。通常なら王である俺自ら席を立つのだが手を振ると彼らは視線を合わせて深々とこうべを垂れ下がって行った。
王が許しているのだからそれに意見する者はいない。馬鹿を除いて。
「恐れながら陛下!」
身も蓋もない会議で疲れきっていた俺は玉座の下で傅く男を風景として見ていた。それをどう思ったのかは知らないが男はまた口を開く。
「あの下賎な者は信用にかけまする。何卒区別を!陛下こそがこの国の至宝、寝首をかく可能性のある輩を陛下の膝元に置くなど言語道断ですぞ。それよりも我が子、十郎太を!娘もおります!何卒謁見を賜りたく……!」
「──二度は言わぬ」
俺はそれだけ言った。父の口癖のようなものだった。男は青ざめ芋虫のように這って頭を床に擦り付け聞き辛いほど吃った声で謝罪を告げた。何度も躓きながらその場を後にする。
「……雪さま、お疲れ様でございました」
青年が頭を下げる。彼が来たことでやっと知らぬ者がいなくなったことを理解して長くため息を吐いた。肩に掛けられた受け継がれたマントを引っ手繰ると宙に放る。
「雪さまっ!」
慌てて既で掴んだ青年は俺の奇行に物言いたげにしかし息を吐いてマントを綺麗な所作で畳んで手にかけた。
「帰りましょう」
「うん」
父の代から家老を務める爺やに全てを丸投げして玉座の間を後にする。
「今日は雪さまが大好きな魚だそうですよ。料理長が言っておりました」
「そうか」
「午後には大公令嬢がお出でのようです」
「なんで?」
「それは……雪さまがお年頃であられるからです。誰彼も慈悲王と名高い雪さまの妻になりたいのです」
「へえ?父と血が繋がってるんだけどな」
「……」
「ごめん、思い出させてしまった。忘れてウィル。ウィリアム、許して」
「いいえ、雪さまは何も悪くございませんよ」
「…………帰る」
「はい。お供致します」
父が崩御した。僅か三十歳。俺を産ませたのが十五の頃だから頃合でいったらそうだった。
確かな証拠はないが我が一族は龍の血を継いでいるらしい。尊いのだと俺は父に英才教育のように何度も教えられた。そして子を設ければ自然と死に近づくのだと。俺の祖父も父を作って死んだらしいが史実では百年余りを生きたと言われている。これについては家老が証言していた。我が一族は一人で生きていける一族なのだそうだ。ただ伴侶に子供を作らせると龍の寵愛が移ってしまうのだという。永遠に一人で生きるか、潔く死ぬか。父は俺に任せた。父は俺を設けた。それが重荷だった。
「母上、おはようございます」
「あら。おは…………っ、控えなさい……!ここをどこだと思っているのです。雪路の愛玩であるから生かされているのだとお前は理解出来ているの!?」
ウィリアムは劈く声を出す母上に深々と一礼をして部屋を出ていった。声をかけようにも母上は父が見込んだ女性だから差別意識が高い。背中を一瞥だけして席に座る。
「全くこれだから下賎な者は。礼儀に欠ける。……ああ、雪路。あなたが気負うことじゃないのよ。その旦那様に似た可愛らしい顔を母に見せてちょうだい」
下を向いていた顔を母上に向けると彼女はとろんと笑ってお酒を手に取った。母上が好んだ酒は度数が高い。もう既に出来上がっているのかもしれなかった。
次々と運ばれる料理に舌鼓を打ち早々に席を立つ。母上は嫌いではない。しかし、
「あら雪路、行ってしまうの?でもそうよね、どこかの令嬢が来るのだったわね。いい?雪路、あなたの好きにしていいのよ。んふ、だって、この国はあなたのものなんだから」
好きにはなれないだろう。
**
「さっきは庇えなくてすまなかった」
「謝罪されることなど、何一つございません」
広すぎる自室、広すぎるベッド、多すぎる護衛に家来、女中。西洋から入ってきた執事、メイド。
本来であれば側仕えがつくが全てを断ってウィリアムに一任していた。ウィリアムは俺の分身だ。あの日引き裂かれた魂の一部。彼は俺を裏切っていいのだ。父が行った残虐の数々を罵り俺を弑逆し新しい国を再興してもいいのだ。その権利が彼にはあった。
謁見用の衣服をウィリアムが脱がせていく。俺はぼうっと彼を見ているだけ。自分でなんでも出来るけれど誰かに見つかった時叱られ折檻を受けるのはウィリアムだった。前に一度無理を通して一緒にベッドに横になった時母上が訪ねてきて本当に大変な事になった。彼の背中には未だに竹で叩かれた跡が生々しく残っている。
「今日はどのようにしましょうか」
「好きにして」
「……はい、任されました」
楽しそうに箪笥を検分して俺に合わせるように衣装を突き出しては頭を傾げてそれを戻す。俺は知っていた。彼を『殺した』時に着ていた服はとうに着れなくなったというのに大事に閉まってあることを。嫌な記憶だろうに悲しい出来事だろうに、彼は微笑んで『生かされた日』と宣う。事実上奴隷となり愛玩とされているウィリアムと王家に復讐を誓い奴隷になるしかなかった父は何が違うのか。境遇は同じように思えた。俺のような未熟な支配者が、チーズを齧ったネズミを許すように、それによって国が潰れるなど病になるなど誰が予想しただろうか。この病は治りそうにない。
俺は慈悲王などと呼ばれているそうだ。王は崩御すると名前を地位を失い官名がつく。父は鮮血王と名をつけられた。俺にはまだつかないはずのそれがついているのは敵国の僅か三分の一を救ったからだという。初めて父に刃向かった日、父は否定の言葉を言わなかった。ただ呆然と俺を見ては悲痛な眼差しで一言「わかった」と。
自分が殺さなければならなかった少年に手を差し伸べた。それがウィリアムだ。
名前も変わった。官僚からの切なる希望で即位に合わせて名を変えるようにと懇願された。我が一族は四季、月名、気象などの名前をつけるのが習わしだった。父は神無という名を賜った。俺は雪路と。要は人の名前を穢れとしたのだ。
名を変えるとしても大幅な変更は天命ゆえに許されざるとくだらない論争を経て後ろを取った。前王の子供であることを見て見ぬふりをするように、俺は既に俺であり神の使いなのだと父が崩御後すぐ匿われた。俺は王宮で一人だった。ウィリアムがいなければきっと自害していたに違いない。俺の心は狭すぎてウィリアム一人分しか余裕が取れない。
「はい、やはり雪さまの御髪の色には高潔な白が似合います」
何も言わない人形のように佇む俺に着替えを施しそう笑うウィリアムの方が大使のように思えるが口にはしない。
雪が降る日に生まれたから雪路と名付けれた。父と母上はどちらも黒の髪色だったがその名に触発されたように俺の髪は真っ白だった。父のように武術をしてこなかったからひ弱な肌色で白い服を着ると真っ白な未知の生物の誕生だった。嫌とは言えない。があまり好みではなかった。威厳もあったものじゃない。しかし官僚は俺に武術をさせたくなかったところを見るとお飾りの王が欲しかったように思えるのでもうこれでいいのかもしれない。
「似合う?」
「目に狂いはございません!」
「なら、いい」