第08話 《設計魔図》
夏の暑い日。
空には入道雲が流れ、森ではセミの大合唱が響き渡る。いくら蓼科の涼しい森の中とはいえ、猛暑には逆らえない。
「はぁ、はぁ……暑い、疲れた……」
「運動不足だぞ、エス」
「ぐっ、ロゼが70kgぐらいあるんですよ」
「そんなわけあるか」
日向に借りた体操服を着たエスティは、えっちらおっちらと山道と獣道を進み、ようやく《魔女の庵》の建設場所へと辿り着いた。位置的には笠島家からはそう遠くはない。だがこの暑さに加えて、ロゼの言う通り体がなまっていた。
夏休みも中盤に差し掛かると、蓼科にやって来る観光客は急激に増加する。そのため、日向達はパン屋の仕事で忙しかった。
エスティも手伝いたいと願い出た。しかし、文字も読めず機械操作も不慣れなエスティに出来る事は少なく、忙しいので教育する余裕も無い。せいぜいマスコットとして立っているぐらいだ。
そんなのが居ても従業員の邪魔にしかならないので、こうしてロゼと《魔女の庵》作りに励むことにした。
「ふぅー。お金が貯まったらソグウェイとやらを買いたいですね」
「そこが問題だな。どうやって貯める?」
エスティは転がる丸太に腰かけた。
そして、目の前にポコッと湧き出る濁ったお湯を見て、ピンときた。
「ここに温浴施設を開くなんてどうでしょう?」
「蓼科では温泉に制限があると成典殿が言っていたではないか。それを調べてもらってからだ」
「むぅ」
「まぁ、笠島家に世話になってばかりは良くない。自立しなければな」
エスティの肩にしがみついていたロゼがひょいっと飛び降りた。そしてスンスンと嗅ぎまわりながら草の中を動き回る。
硫黄の香りが漂う場所でウッと顔をしかめ、湧き出す湯をペロリと舐めた。そしてヴェッっと吐き出し、再び周囲を探索する。飲めるものではないようだ。
「そうですね。さて……」
エスティは空間魔法で丸太を引出し、周囲にどしんどしんと置き出した。
「うわっ! エス、危ないではないか!!」
「あ、すみません」
そう謝りながらも丸太は次々と放り出され、地面に生える草たちが重みで潰されていく。あらかた潰し終えた所で丸太を収納すると、空間が一気に広がった。
「なるほど、草を柔らかくしたのか」
「はい。こうして見ると、地面が少し斜めになっていますね」
「そうだな。整地したいところだ」
「ロゼは草刈りをお願いします。私は小屋を片付けますよ」
「了解だ」
使い魔との分業だ。
そして、エスティは小屋の扉を開こうと、取っ手を握った。
手にネチャッとしたものが付着した。
「うへぇ……」
何か分からなくて気持ち悪いが、そのまま開く。
小屋は狭かった。
ベッドが2つ収まるかどうかの広さで、窓も無く、外光は壁面上部に付けてある換気扇から漏れる光のみ。小屋というよりも物置に近い。水漏れなどはなさそうだ。
電気を受ける盤が壁付けされているが、成典曰く使えないらしい。盤の外側には電線が繋がっているから、ちゃんと引き直せば家電が使えるようになるはずだ。
「冷蔵庫や洗濯機は欲しいですね……ん」
気が付いたが、歩くたびにバキッと危ない音が鳴っている。床が思った以上に脆い。軋むというレベルを超えて、割れている。
この蓼科はネクロマリアと同様に災害が多いらしい。特に厳しいのが風雨と地震。建物と地面が接する箇所がしっかりしていないと、災害によって簡単に崩壊する。
そのため基礎と呼ばれる部分で固定するのが重要だそうだが、エスティにはその方法が分からない。しかも成典は、下手にいじらないほうがいいとも言っていた。尚更分からない。
「エス、どうだ?」
床の音が気になったのか、ロゼがやってきた。
「予想以上に脆いです。このままだとベッドも置けないでしょう」
「……中々だな。だが中古の家でも蘇る《魔女の庵》ならば、問題は無さそうではあるが」
「程度にもよりますけどね」
確かに魔女の心臓が落とし込まれれば、生きた家になる。
「それに《設計魔図》もあるのだろう? バックスが随分と大金をはたいたと落ち込んでいたぞ」
《設計魔図》。
ネクロマリアでの一部では、建築が魔法で行われる事があった。《設計魔図》と呼ばれる、その名の通り設計図を反映させた魔法陣を組み上げ、素材を乗せて建築する方法だ。
これは、次々と魔族に破壊される家を効率的に立て直すための、いわば魔法使いの知恵だった。だがこの方法が使われるのは貴族のみ。何せモノの値段が高いのだ。そのため、壊された家は自分達でコツコツと建て直すのが普通だった。
「出来上がる建築物は、イメージと乖離があるらしいが」
「《魔女の庵》は生きている家ですからね。細かい箇所は出来上がってから調整しますよ」
この魔図は魔法陣が文書化されたものだ。寸法や間取りを記入すると必用素材数が出てくると言う、非常に使い勝手のいい魔法となっている。
「まずはどこに家を建てるかだな。エス、場所は重要だぞ?」
「……ふふ。ロゼ、その言葉を待っていました」
エスティはニヤリと微笑み、空間から一枚の紙を取り出した。
「――これが理想の《魔女の庵》です!」
エスティがでーんと見せつけてきたのは、5歳ぐらいの子供が描くような絵だ。
大きな丸で囲んでいるのが、この広場だろうか。丸の右上に家、左下に温泉。辛うじて、家の場所に猫の絵があるのだけは分かる。ロゼにはそれ以上読み取れなかった。
「可愛いでしょう?」
「……これは足で描いたのか」
「ひ、ひどいですよロゼ!」
だが、建物の位置関係は分かる。
「というか、これは配置図だな。にしても見づらいぞ。それに、我のニャーレムも無い」
「ふん、そもそも私に絵なんて描けませんよ。孤児院時代に落書きした程度なんです!」
「そう拗ねるな。何はともあれ《設計魔図》に落とし込んでみるのだ」
ロゼがそう言うと、エスティは空間から《設計魔図》と筆記用具を取り出した。バックスの用意したこの《設計魔図》は、丈夫な魔獣の皮で作られているものだ。
そして、広場の綺麗な場所に置く。取り出した羽ペンに特殊なインクを付けると、周囲の魔力が集まって来た。
「――ふふ、この新しい魔法を使う瞬間はたまりませんね」
エスティは魔女らしい笑みを浮かべ、魔力の込もったペンで設計魔図に触れる。
――《設計魔図》発動――
「さて。まず、暖炉は絶対に欲しいです」
「それもいいが、とりあえず時空魔法の起点を囲うべきだ。家の中にあると便利だろう」
「そうなると、小屋をもう少し拡張する必要がありますか……」
エスティはかきかきと寸法を記入していく。ペンが設計魔図を走るたびに、接触部分から青白い光が溢れ出ている。
「階段は疲れるので平屋がいいですね」
「まだ若いのに何を言っているんだ。エス、あそこに湧き出ている温泉も、どうにかして家の中に取り込めないか?」
「距離がありますね。素材が足りません」
「ふむ……」
玄関に窓、廊下に個室。ロゼと間取りについて話し合いながら、次々と設計魔図に記述していく。既存の小屋もそのまま取り込んで流用する事で、素材の一部を賄う事にした。
そして完成した最初の図面を見て、予想外の出来栄えに驚いた。
「おおぉ、良い感じじゃないですか?」
「そうだな」
現れたのは、平屋のログハウスだ。
およそ6m×4mのリビングに、2m×2mの個室が2部屋。一つが寝室で、もう一つが時空魔法の転移門の部屋だ。建材は全て木で、壁も丸太だ。腐食防止と空気の循環のために、地面との間に30cmほどの空間も作った。
「しかし『設計魔図』の作動中も、私の魔力はほとんど使いませんでした」
「……考えたのだが、魔法自体が強化されているのではないか? エス、初級魔法を使ってみてくれ」
ロゼにそう言われて、エスティは火の初級魔法を詠唱した。簡単な魔法で、掌にこぶし大の火が数秒現れる呪文だ。
だが、エスティは空間魔法以外の才能が全く無い。
「まーた、ちっさいですね」
現れたのはロウソクほどの灯だ。
「才能が無いと強化はされぬか」
「でも魔力を使った感じは無いので、周囲から魔力を補えるようです」
エスティはそう言って「ふぅ」と溜息を吐き、丸太に腰かけた。そして休憩がてら、空間からパンを取り出して食べ始めた。
笠島家で貰ったホカホカのパンだ。時空魔法によって、いつでも焼き立ての状態で食べる事が出来る。
「もぐもぐ……んまんま……」
「ん? エス、もしや……」
香ばしい匂いを嗅いだロゼが、何かを閃いた。
「ふぅ、美味しかった。ひとまず今日は引き上げましょうか」
「そうだな。我も成典殿に用事が出来た」
ロゼが体をブルッと震わせ、エスティの肩にしがみついた。
「行くぞ」
「ところでロゼ、ニャーレムって何ですか?」
「……にゃんの事だ?」
都合が悪い時、ロゼはいつもとぼける。
ロゼはしがみついていた手を離し、逃げるように獣道を歩き出した。